私が人間の家に住むようになってからもう一年ぐらい経つ。
今日も昨日と変わらず、セミが鳴き、蒸し暑い日となった。
人間の中では、初夏というらしい。
私は、中古品の扇風機の前でその風を浴びている。

なぁ……せめて首振り機能使わせてくれよ……こっちまで風こないんだけど

部屋の真ん中に置かれた丸机の上に本を広げた私の下僕が恨めしそうな表情で私を見て言った。

うるさい、ナ、私を焼き、殺ス、つもりか

俺の方が蒸し焼きにされそうなんだけど?!

黙レ、お前はその本、デモ、読んでいれば、イイ

ふざけんな!何のために、少ない金叩いて買ったと思ってんだ!

ファ〇コン、とやらに、スレバ、良かった、ノニ……

それ言うならエアコンな……何十年前のゲーム機だよ……それに高ぇんだよエアコンは

ナゼ?

工事代とか色々掛かるし……月々の光熱費跳ね上がんだよ……

ムゥ……金、か……

なんだよ、アテでもあるのかよ

ナイ、な

なら買えねえよ

そっ、カ……金、アレバ、買える、ダナ?

おうよ。人間は何をするにしても金がいるんだ。今までは貯金でなんとかしてきたが、それもそろそろ厳しい。だからこうして、バイトの求人広告と睨めっこしてんだよ

ククク……私を、外ニ出シテ、くれれば、仕事、一つ、二ツ、見つけて来て、稼いで、ヤル、ぞ

馬鹿言うんじゃねえよ、お前を一人で外に出すと思ってんのか

そこは、ヨーソーダン、だな

出さないからな、玄関は外鍵も付けたからな完璧だ

余計な、出費……

安全管理だ、このゴスロリ女

無職め

お前はヒモだろうが!

紐?紐とは縛る物ではないか。
つまり、私は下僕を縛る紐だというのか?
私が……この者の……。

……

……おーい、どうした?

……

あ、あのぉ~

……

……もしかして、怒った?

……!

泣いた?!

クッ……ソカ……私……

わー!泣くな!俺が悪かった!お前がそんなに傷つくとは思わなかった!すまん!

下僕は、頭を地面に叩き付けるような勢いで土下座した。
なぜ謝られるのかわからない……。
悪いのは、私の方なのだ。

私が……私が、悪イ……ダカ、ら……だから……あや、マル、のは私の、ホーダ

なんでお前が謝らなきゃいけないんだよ……俺が酷い事言ったから……

ダッテ……私ガ、いる、カラ、お前の、自由、縛られて、イル……ダロウ?

は?

私が、イルセー、でお前の自由、縛られ、テル。ダカラ、私の事、”紐”って、言ッタ、だろ……?私、イルノ、メーワク……か?

下僕は何も言わない。
きっと、そういう事なのだろう。
私がいるのは迷惑だが、それを言ってしまうのは私に悪いと、そう思っているに違いない。
私なんか、やっぱりいない方が……。

なんだよ……そういう事か

え……?

どういう事だ?
下僕は、なぜか安心したような表情を浮かべている。

な、ナゼ、そんな顔、スル、のだ?

いや……まず言っておくと、お前がいるからって俺の自由が縛られてる訳じゃないからな

え……ソー、なのか?

ああ、元々俺は無職だし、自由しかない

ソ、ソー、言えば……そうだ、ナ

……そこで妙に納得した顔するのやめてくれないかなぁ

ま、まあ……それにお前がいると、大変だが……いないと結構寂しいしな

ま、そういう感じだ。ちなみにヒモって言うのは、ニートの事だ

なる、ホド、お前、カ

……俺、いい加減泣きそう

勝手に、泣ケ。クククッ

今日の夕食は、下僕がハンバーグを作ってくれた。
……豆腐の。

深夜。
下僕は畳の上に敷いた布団で体を休めている。
私は眠れず、布団に寝転がったまま部屋を見ていた。
カーテンは薄く、外の街灯の光や月明かりが意外なほど明るく部屋を照らしてくれる。
主曰く安い部屋だそうで、時折窓の隙間から風が入ってカーテンを揺らす。

……ア、つい……ナ……

夏の夜だ、テレビの中の男も寝苦しい夜が続くと言っていた。
下僕が夏を前に買い換えたやはり中古の扇風機が左右に首を振っているが、大した効果は感じられない。
……というより、風が殆ど下僕に当たるようにしてある気がする。

むぅ……気ニ、入らん……

なぜ、下僕が涼しき風を独占すると言うのか。
あれは私の為にあると言うのに。
まったく、不届き者だな。
私は布団から這い出て、そっと音を立てぬように歩いた。

クフフッ……これ、ハ、私の、ダ……

丸机に足をぶつけないよう、慎重に進み、ようやく扇風機に辿り着いた。
これは私の物だ、下僕に独占はさせん。
これの使用権は私にあるのだ。
首の角度を変え、ついでに位置も変えて私の布団に当たる様に設置し直して、布団に戻った。
やはり風が当たるとかなり涼しい。
まったく、下僕はこんなに心地良い物を独占していたのか。

う゛ぅ゛……

しばらくすると下僕の方から呻き声が聞こえて始めた。
暑いのだろうが、お前はさっきまで独占していたのだ、私は譲ってやらん。
私が涼んで、お前が苦しむ分には構わんだろう。

ぐあ゛……う……

……

駄目だ、駄目だ、これは罰なのだ。
助けてやるものか。

はぁ……はぁ……

……

ど、どうしよう……本当に苦しそうだぞ……?
このままでは……下僕が死んでしまうかも……。
考えてみれば、私と下僕は種族が違うのだから体の強度も全く違う筈。
ああ……私はなんて事を……!

い、急、イデ、戻サ、ないと……!

そう思い、扇風機に手を伸ばした私だったが、気が動転していた為に足がもつれ、転ぶ結果になってしまった。

い゛っ……だあ!

転んだ先は下僕の腹だった。
頭を腹に叩き込む形となり、下僕は一瞬で目を覚まし、苦痛に呻いた。

だ、ダイジョブ……?

お、お前……殺す気か……

チッ、違ウ!こ、これ、ハミス……!

くっそぉ……

私はどうしていいかわからなかった。
とりあえず噛んで痛みを喰ってやるべきなのかもしれない。
しかし、下手に噛めば血で布団を汚す事に……。

よくもやったなあ!

ヒャァ!

私は一瞬で下僕に足を掴まれ、逆さ吊りにされ、振り回されていた。
いつの間に立ち上がっていたのか、どうやって足を掴んだのかとか、そういうのはわからないけど、とにかく視界がグルグルと回る。
目が回ってきたところで上に投げられ、天井が眼前に迫った。
ぶつかりそうになったがその前に落下し、下僕に抱き抱えられるようにして受け止められた。

ふぇ……

まったく、夜中に奇襲仕掛けて来るとは、油断も隙もあったもんじゃないな

ち、違う……コレ、は、ソノ……ソ、の……エト……

そんなに腹減ってたのか?

下僕はそう言うと、おもむろに上半身の寝巻をはだけた。

ほら、噛んでいいぞ

エト……

豆腐ハンバーグじゃ、足りなかったか……もう少し、工夫しないとな……

下僕は小声で色々言った。
少しずつ落ち着いてきた私は、どうしようかと悩んだ。
下僕は、私が腹を空かして襲って来たと思っているようだが、あまり腹は空いていない。
しかし、出された食べ物は何とかと前に聞かされた事もあって、喰う以外の選択肢はないようだ。
それに、外から射し込む光に寝汗を照らされる下僕は、何とも美味そうな気がしてきた。
これは喰わねば損だ。

う、ウム……それ、ジャ、あ

どうも、腹の好き具合を問わず、食欲と言うのは生まれるらしい。
私は、半分無意志の内に下僕の顔を舐め回し、痛みの味をしっかりと味わう。
そして、大口を開いて牙をその首に突き立てた。
下僕が苦しそうに呻き、赤い血がボタボタと流れ出す。

ウマ……ウマ……

やはり、こいつの痛みは美味い。
私が知るどの痛みよりも……。
甘く、濃厚で……。
もっと味わいたくて、もっと欲しくなって、何度も噛み直した。
もっと、沢山の痛みを、喰いたくて。

モット……モット……!

おい……今日はやけに喰いたがるな……そういう時期なのか……?

わからない。
でも、もっと喰いたいのだから、仕方ないだろう。

美味シ……

この日は一晩中、下僕が倒れない程度に痛みを喰い続けた。
痛みを喰いながら、私は思う。
ずっと、このままでいられたらいいな、と。
明日も、一週間後も、一か月後も、一年後も、もっと先もずっと……

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