それからが大変だった。
 どうやら菫、つまり俺は所謂引きこもりだったらしく、家族に会っても挨拶はしない、学校にはちゃんと行っていたようだが、そこでどう過ごしていたかがこれまた謎だった。
 家に帰ればすぐに部屋に入ってしまうし、飯の時も態々部屋まで持ってきて貰いそれを食べていたらしい。
 虐められているのかと問えば、奇声を発しさらに引き籠る始末。
 あー、これはあれですわ。松園の二木に何かされていたやつですわ。
 時折死にたいと口にしていたこともあるらしく、学校にそのことで連絡を入れたが、相手をしてくれなかったとか。
 ……菫さんや、もしや死にたいと思ったから、別の人間を乗り移らせたとか、オカルト的な考えだけど、現状が既にオカルトなので降霊術的なのでもやったんじゃないかと疑ってしまう。




 兎も角、それから数日をかけて家族との上手い付き合い方を探しつつ、遂にその日がやって来る。
 そう、初登校日だ。

「|里奈《りな》ー? 準備は大丈夫?」
「えへへ、うん!」

 ニューマイシスターである一つ下の妹、里奈が笑顔で俺、改め私の膝に乗る。
 最近ではこうして髪を梳かすのが日課だ。菫、つまりは私と同じで、髪質が良く、いつまでも撫でていたくなるような綺麗な黒髪である。
 こうやって並んでみると、やっぱり姉妹だと分かる。これだけ整った顔立ちをしているのだから、菫はもっと自信を持てば良かったのに。とはいえ、虐めに至った原因もあのヤマンバ姿以外に検討がつかず、根本にあるものが何なのかまでははっきりしていない。
 もしかすると、それを解決すれば元の体に戻れるのではと、淡い期待を抱いてしまうが、今は目先のことだけを考えるとしよう。
 ここ数日、家で今後どのような人間関係を築いていけばいいかばかり考えていた。不安があったのもある。家を出たのは父親の車で美容室に伸びきっていた髪を整えに行った時くらいで、自主的に外を出るのはこれが初である。二年生に進級すると同時、クラス替えがあるらしいので、松園と二木と同じクラスにならないことを祈るばかりだ。顔知らんけど。

「よし、可愛い可愛い」
「わーい!」

 里奈はとても私に懐いている。実のところ、SNSには妹に対しても黒い書き込みをしていた。流石に目に余る内容だったので、菫には悪いがアカウント毎削除させて貰った。元の体に戻った時に文句を言われるかもしれないが、それまでの間この体で代わりに生活するのだから、許して欲しい。
 
「お姉ちゃんも可愛いよ!」
「ありがとー!」

 里奈の頭を撫でてあげる。思えば妹の頭を撫でるのも妹が反抗期になって以来か。別の妹ではあるけれど、里奈は間違いなく俺の妹だ。俺がそう言うのだからそうなのだ。
 
「あらあら、二人は仲が良いのね」

 リビングで出迎えたのは母親だ。父親は貰っていた休暇が明けたらしく、仕事に行っている。
 用意して貰った朝食を終えてから、忘れ物がないかなど諸々の確認をする。
 それから玄関に出て、遂にこの家を出る時が来た。

「行ってきます」
「行ってきまーす!」
 
 少し緊張気味にそういった私に対し、里奈はとても元気よく声を出した。
 どうやら学校の入学式自体は昨日終えていたようだ。本当なら私もその日、登校する予定だったのだが、入学式を行うクラスが一年の時のクラスのままだということで、休むことになった。
 そのクラスで虐めがあった可能性には親も気づいていたし、抗議の電話もかけた。そんなクラスに折角明るくなった娘を向かわせたくなかったらしい。結局同じ学校に通うのだから、同じようなものだとは思うのだが、親に説得される形でその日は休むことになった。
 前を歩く里奈に先導される形で学校へと向かう。地図とかで道のりは確認したのだけど、実際に歩いてみるとかなり違う。ようやく学校に辿り着いたところで、里奈と別れた。
 さて、これからが本番だ。二年生のクラスがある二階に登り、クラス発表が張り出されている紙を確認する。私の名前はどこだ…………どこだ…………あ、今は菫だった。間違えて元の俺だった頃の名前を探していた。
 改めて名前を確認。|藤堂《とうどう》菫という名前を発見し、そのクラス、2-Cへ突入する。

「パーリピィポーパリピィーポーフゥー!」
「ぎゃははうけるー」

 すぐ目に入ったのは金色の髪にいい感じに焼けた肌のギャルっぽいクラスメイトだ。何がおかしかったのかは分からないが、チャラそうな男とくっちゃべってる。
 
「おはよう」
「はぁー? おはよお?」

 お、意外とちゃんと挨拶は返してくれたな。きっと見た目はアレだけど中身は良い人なんだろう。チャラ男の方はなんか鳩が豆鉄砲食らったような顔をしてたけど、見覚えのない子に挨拶されるのが初めてだったか? 
 そんな二人の横を通り過ぎて、自分の席であろう場所を探す。
 クラス替え一発目は出席番号順らしいので、適当に見つけた席に書いてある名前から藤堂の文字を遡れば簡単だ。
 
「……アネモネ?」

 私の机の上に花瓶が置いてあった。ご丁寧に紫の花まで添えてある。
 この花は知っている。アネモネだ。けど何でアネモネ? 確かに某ソシャゲでお気に入りのキャラがその花の擬人化したキャラだったが。
 他の机を見渡してみる。当然、この机以外に花瓶は置かれていない。
 流石にこのまま置いてあっても邪魔なので、持ち上げて先生の机の横にでも飾ってあげよう。
 そのまま何もなかった風に自分の席に座る。机の中は、異常ないな。てっきり花瓶に続いてゴミでも入れられているかと思ったが、そんなことはなかったらしい。
 その動きをギャルとチャラ男が目で追って来ていたが、他の生徒は特に気にしていない様子だった。いや、時折此方をちらっと見る視線はあったけれど、動きが自然だったからか誰もそれ以上突っ込みを入れてはこなかった。
 私の席は真ん中の方だ。両サイドはまだ人がいない。少しして、右側の席に男子が座った。
 顔を見れば中々のイケメンである。その男子がクラスに入った途端、女子からの黄色い声が挙げられたことから、人気の高い生徒であることが見て取れる。

「おはよう、隣の席だね。よろしくね?」
「おっ、おはよう。初めましてか? 俺は|間桐《まとう》|雄一《ゆういち》。よろしくな」
「うん、よろしく。私は藤堂菫だよ」

 コミュニケーションは上手く取れている、と信じたい。今後このクラスの一員となるのだから、他からの印象を良くしておく。その方が、何かあった時安全だからだ。

「藤堂さんか! そう言えば去年、同じクラスに似たような名前の子がいたな」
「そうなんだ」
「ああ。その子はちょっと、変わった子だったけど」
「へえ? どんな風に?」
「一言で言い表すなら、ヤマンバだな」
「ヤマ……ンバ?」
「見た目がヤマンバみたいだったんだ」

 それ私じゃね。
 いや私だよね。
 分かるよ自分のことだもん。菫になってから最初に抱いた印象がヤマンバだもん。
 ってことはあれか。間桐君は菫と同じクラスだったってわけか。気づいてなさそうだし、そのまま別人の振りしとこ。

「面白い見た目の人がいるんだね!」
「ま、面白かったのは見た目だけだがなー!」

 そりゃそうでしょうよ。見た目ヤマンバで面白いことやってたら虐められるどころかむしろ人気出るわ。
 菫本人がこんなこと聞いたら俺の方の名前までSNSに晒されそうで怖いな……そのアカウント削除しちゃったから新しいアカウントになるんだろうけどさ。
 間桐君の友達なのか、すぐ近くに別の男子と女子が集まってきた。
 私も隣の席、ということもあり、その会話に混ざる形に。

「そう言えば聞いた~? あのヤマンバも同じクラスなんだって!」
「まじで。あいつ名前なんだっけ?」
「名前~? ヤマンバでしょ~?」

 混ざろうとしたけど、話の矛先が怪しくなってきた。 
 さっきからヤマンバヤマンバって。他に何か話題無いのかよ!?
 話についていこうにもボロを出しそうなので愛想笑いだけ浮かべていると、左隣の席にも新たなクラスメイトが着席する。
 見れば儚げな美少女だった。座るや本を取り出し読みだした。

「おはよう!」

 と、挨拶しても、こくりと頷いただけで返事は来ない。
 その頷きが挨拶なのか。物静かな子だなあ、という印象だ。

「そういえば二木がさっきヤマンバは死にました~とか言って花瓶持ち歩いてたよ」
「あ、それ私も見た~。ヤマンバの席に置いたんじゃない? 探そう探そう~!」
「その花瓶ならさっき藤堂さんが先生の机に置いてたよ」
「え~、あれ、藤堂って確か、あれ?」

 おや、流石に気付かれたか。そうだよ、ずっと近くにいた私がヤマンバだよ。 
 遅かれ早かれクラスメイト何だし気付かれることだった。ここは先手を打たせて貰おう。

「うんうん。去年同じクラスだった人もいるかな? 改めまして、藤堂菫です。まずは一年、よろしくお願いします」
「これはご丁寧に。山田|新左エ門《しんざえもん》です」
「|伊吹《いぶき》|涼香《すずか》だよ~。って、ええ!?」
「つまり、なんだ。藤堂さんがヤマンバだったのか?」
「そんな呼ばれ方もしてたねー」

 間桐君大正解。
 言った本人もまさかそう返ってくるとは思わなかったのか、他の二人と一緒にあんぐりと口を開けている。
 それから咳払いをして、代表をするかのように間桐君が問い詰めてきた。

「その、まじか?」
「そうだよ?」
「あのヤマンバ」
「そのヤマンバ」
「イメチェン?」
「似合わない……かな?」

 菫の素材が良いことはこの俺が保証する。なので私はその素材を活かすように、少し甘めの声と下から見上げるような顔で間桐君に返事をしてあげる。
 するとどうだろう。間桐君の顔が少し赤くなったではないか。ふっふっふ、私可愛い。可愛いは正義。
 あの頃の根暗だった菫はもういない。いるのは威風堂々とした佇まいの、ニュー菫である。

「似合う似合う! てかマジで!? 突然どうしたの? 遅れてからの高校デビュー?」
「うんうん~、すみぽんがこんな子なら去年から仲良くしてたのに~」
「人は変わるものなんだな。これからよろしく」
「うん、三人ともよろしくね!」

 まずは友達ゲット成功! 友達、と言って良いかはまだ分からないけど、四人でグループ組んでねーって言われてもハブられない状態は作れた。
 伊吹さんからはすみぽんという新たなあだ名まで頂いた。ヤマンバは死んだのだ。元の菫が消えた、と言えばその通りかもしれないけど……俺、元の体に戻った時めっちゃ恨まれてそうで怖くなってきた。
 
「そういえば、花瓶を置いた二木さんって、どういう人だったかな? ほら、私去年まであんなだったからさ……周りの人とか、実は良く見てなくて」

 それっぽい理由を付けてまだ見ぬ強敵に探りを入れる。

「それならほら、あそこ」

 間桐君が指さした方を見れば、さっきのギャルがこっちを睨みつけていた。
 ん……? ってことは何か。ギャル=二木か。まさか隣のチャラ男が松園か? 組み合わせ的にもその可能性が高いな。
 でもおかしいな。出席番号順ならその位置は間桐より後の苗字の生徒の席のはずなんだが。

「そうそう~、矢野と一緒にいるギャルっぽいのが二木だよ~」

 矢野、矢野か。チャラ男は矢野って言うのな。
 
「松園って人は知ってる?」
「あ~、知ってる知ってる~、あのお嬢様でしょ~、別のクラスっぽいけど、すみぽん二木以外と何かあったっけ?」
「むしろ二木さんと私、何があったの」
「ん~~~~? 花瓶置かれる程度の仲?」

 どんな仲だ。

「二木はその、とても言いにくいのだけれど」
「いいよ間桐君。教えて?」
「なら言うが、去年までの藤堂が気に入らなかったらしくてな。色々その、されたって聞いていたのだが」
「あー」

 虐めの中心人物は二木かー。松園のお嬢様? とは何があったかは知らないけど、二木からは色々と何かされていたんだろう。その何かが、何だったのか、私には分からないことなんだけど。
 さて、どう理由を付けるか。よっぽどの虐めにあっていたのなら、それを覚えていないのもおかしい。よし。

「その、実は私、去年のこと、あまり覚えていなくて」

 と言ったところ、三人は目を見合わせた。
 流石に無理があったか……?

「まじか。まじか。でも仕方ないか」
「そっか、そっか~、それでか~」
「自分の中で区切りをつけたんだな」
「……えっと、うん」

 良く分からないけど納得されたからそういうことにしておこう。
 それから適当に雑談していると、始業のチャイムと共に先生が入ってきた。
 眼鏡をかけた少し色っ気のある綺麗な先生だ。

「あらお花? 誰か飾ってくれたの? 良い紫色で綺麗ね。この花は確か、アネモネね。紫のアネモネの花言葉はあなたを信じて待つだそうよ。あー、先生もそんなひと時の恋がしてみたいわー!」

 先生はそんなことを言いながら夢見心地で手を大きく開いた。
 第一印象は良さそうな先生だったのだが、その後の第一声からがちょっと不安になる人だ。
 少しすると教壇の上に立ち、黒板に向かってチョークで何かを書き出した。
 
「はい! 皆さんおはようございます! 去年から引き続き同じクラスだった子は卒業までの間よろしくね。|西条《さいじょう》|紫《ゆかり》よ。紫ちゃんって気軽に呼んでねっ! そうそう、絶賛恋人募集中だから、良い親戚の人とかがいたら紹介して?」

 西条先生どんだけ恋に飢えているんだ。他の生徒も引き気味だった。
 間桐君が隣から耳打ちしてくる。

「ゆかちゃん先生相変わらずだよな」
「そ、そうだね」
「今年も賑やかな年になりそうだ」

 愛想笑いを返して適当に会話を終わらせる。
 この言い方からすると、もしや去年も同じ先生だったのでは? 一体菫は先生とどういう関係性を築いていたのか。
 虐められていた、と思われる節もあるし、先生がそれを見過ごしていたのだとすると、見た目通りの良い先生ではないのかもしれない。
 何もかも疑ってかかるのも嫌になるので、せめて生まれ変わった私には優しく接してくれることを願おう。

 卒業まで、ということは二年から三年へ進級する際にはクラス替えが無いということか。
 今のところは二木と矢野コンビ以外に虐めてきそうなやつはいないし、何とかやっていけそうかな? それまでに元の体に戻れればいいのだけれど。

 それから、各自の自己紹介を軽くすることになった。
 内容は本当に名前と何部に所属しているか、程度のもので、一人三十秒から一分程度の軽いものだった。
 とはいえ、人数が二十九名いるので、全員合わせれば三十分近くになる。
 
「|佐々木《ささき》|伊織《いおり》。よろしく」

 短くそう挨拶を終えたのは、左隣の儚げな子だった。
 見た目通りというかなんというか、物静かな印象が強い。
 そして遂に私の番が来た。

「藤堂菫です。去年まではあまり人と関わろうとしない人間でしたが、今年からはそんな自分を変えていこうと思います! 皆、よろしくね!」

 この挨拶に何人かが驚いていた。去年までの菫って……先生はそんな私を見て微笑む。

「藤堂さん変わったわねー、先生良いと思うわ! その調子で恋人も作りましょ? まさか、もういるとか……はっ!? 恋人ができたから変わったのね? そうなのね! 一体どこで捕まえてきたの!? 先生にも少し御裾分けして頂戴!!」
「せ、先生落ち着いて」
「あーん! ずるいわー!」
「駄目だ話聞いてない」

 諦めて着席する。他の生徒もまーた始まったよと笑いながら落ち着くのを待った。
 一分程度して落ち着いてきたので、そのまま自己紹介が続く。
 
「え~、自己紹介とか超ダサいー。|二木《ふたき》|竜胆《りんどう》よろしくぅっ!」

 ダサいと言いつつちゃんと自己紹介したよこの子。
 
「矢野=スパン=|龍《ドラゴン》、赤点回避でなんとか進級したぜえい! あげぽよぉっ! 今年の抱負は百人友達作ることだぜウェーーイ!」
 
 テンション高いチャラ男こと矢野の本名が凄い件。
 ミドルネーム入ってるし、ドラゴンだし。絶対強いやん。今年の抱負とか言ったのドラゴンだけだよ。
 全員が自己紹介を終え、ホームルーム終了の鐘が鳴る。
 この後全員で体育館に行き、校長先生の長話を聞く。それから解散で帰宅となる。
 一年生は始業式の後、学校の設備等の見学があるらしく、里奈からは先に帰っているように言われた。
 待っていても一時間くらいだし待とうかと言ったのだが、悪いから帰っててと言われてしまった。折角気を利かしてくれたのだし、ここは正直に先に帰ることにする。敢えて何も言わずに待つべきだったかと思うがもう遅い。

 始業式に向かう為に席を立とうとした時、隣から声を掛けられた。
 間桐君、ではなく、佐々木さんからだ。

「あなた、名前は何?」
「えっ」

 今さっき自己紹介したやーん。確かに全員の名前はすぐに覚えられないかもしれないけど、そんなすぐに忘れるものなのか。もしやこの子、そもそも自己紹介を聞こうとしていなかったのでは? そういえば座っている時、ずっと本を読んでいたようにも思える。

「藤堂菫だよ。よろしくね、佐々木伊織さん」
「そう。言うつもりはないのね」

 言ったやーん。今言ったやーん。めっちゃフルネームで言ったやーん!
 此方が呆気に取られていると、ため息をついてそのまま廊下に出て行ってしまった。
 めっちゃ自由!!
 その様子を隣で見ていた間桐君が声をかけてきた。

「あの子、変わってるね」
「そ、そうだね。私も大概だったとは思うけど」
「ははは、確かに」

 何とかして仲良くしたいとは思うけど、あの調子じゃこっちから関りを持とうにも、無視されそうだしなあ。
 菫も似たようなものだったのだろうか。佐々木さんより菫の方が酷そうだと思うと、マシに見えてくるのが何とも。

 体育館に向かった私たちは、出席番号順に並べられた椅子に右から詰める形で座っていく。
 クラスで私の前の座席の|千歳《ちとせ》|慎太《しんた》君が右隣から声をかけてきた。刈り上げた髪の少しニキビのある男の子だ。
 
「藤堂さん、本当に変わったね……」
「去年の私と今年の私、どっちがいい?」
「それは勿論……今年の方が」
「ありがと」
「う……へへ」

 やっぱ第一印象って大事だなーって思う。もしヤマンバのまま二年生デビューしていたら、こうして他のクラスメイトと話すこともなかっただろう。

 校長の長話が始まり、欠伸をする生徒が出る中、しっかりとその話に耳を傾ける。
 孫が生まれたとか学校と全く関係ない方に話がそれてるけど、里奈の姉としてしっかりした人だって印象操作しなきゃ。
 話がひと段落したところで、生徒会長からの挨拶が始まる。
 眼鏡をかけた好青年だ。ザ・生徒会長っていった風貌で、覚えやすい。
 その生徒会長の後ろに控える複数の生徒。彼らも生徒会役員だろう。その中にべらぼうに美人な生徒がいるのが気になった。
 この学校美男美女が結構多いな……羨ましい限りだ。今はそこの生徒なわけだけど、心からそう思う。

 長いようでそこまで時間の経っていない始業式がようやく終わる。
 ほんと、なんでこういった行事って長く感じるんだろう。ゲームとかで遊んでいる時にはあっという間の時間との差よ。
 
 放課後。懸念されていた二木との接触も特に起きず、そのまま学校を出る。
 てっきり何かされたり、呼び出しをくらったりするのかなーと思ったけれど、そんなことはなかった。
 藤堂菫という人間が未だに分からない。二木から虐められていたのだとしても、自己紹介を聞いた感じ悪い子には思えないし。花瓶置かれていたのは事実だとしても、菫と二木の因縁がどういったものなのかまでは分からない。
 松園についても気掛かりだ。新しいクラスには松園なんていなかった。別のクラスの生徒なんだろうけど、お嬢様っていう情報しか手に入っていない。お嬢様が憎いのは身体的な面での一方的なものなのか……分からないことだらけだ。
 今後、この体で生活していく内に、嫌でも彼らと関わることになるだろう。
 その時、どういった対処をしていけばいいのか、考えることは山盛りだ。

 そうこう考え事をしている内に、いつの間にか自宅の前まで来ていた。
 顔を上げて玄関にあるインターホンを鳴らす。程なくして、母さんが出てきた。

「た……」

 ……あれ。

「あら、どちらさま?」
 
 ……やっちまった。
 確かに出てきたのは母親だ。しかしそれは菫の藤堂家の母親ではなく、俺の、|立花《たちばな》|秀一《しゅういち》の母親だ。
 考え事をしながら帰っていたせいで、俺の方の家に帰ってきてしまったらしい。
 どうする。どうしよう。何て言おう。絶対初見やん。首傾げてるやん。お前誰って顔してるやん。
 ええい、儘よ!

「立花秀一君の友人の者なのですが」

 いや待って。そこまで言ったのはいいけどその先なんて続ければいいの?
 御在宅ですかって? 俺がここにいるのに? 

「あら、しゅうのお友達?」
「はい!」
「そうなの……上がって頂戴? 今、案内するわ」
「え、あ、お邪魔します……」

 靴を揃えて玄関を上がる。
 案内するって、俺の部屋に? 私を? まさかいるの? 秀一がそこにいるの?
 だとすれば、藤堂菫に入っているこの俺は一体何者なのか。まさかここはパラレルワールドだったとか?
 混乱しつつもリビングに案内される。

「あ……」

 仏壇だ。
 そこに俺の写真があった。

「しゅうちゃん。お友達が来てくれたわよ。全く、いつの間にこんな可愛らしいお友達を作ったの? お母さんに紹介してくれてもよかったのに……えっと、お名前なんだったかしら?」
「……菫です。藤堂菫」
「菫ちゃんね」
「はい……」

 ゆっくりと、仏壇の前に座る。
 どこかで期待していたのかもしれない。ここはパラレルワールドで、別の俺がいることを。
 分かっていた。分かっていたんだ。もう、俺という人間は死んでいるんだって。
 けれど、それを否定したくて、言い訳を探していたんだ。
 仕方ないじゃないか。気付いたら女の子の体だったんだぜ? 死んだ、なんて記憶一切ないし、その心当たりもない。
 本当に突然その日が来て、今ここで、嫌でもそれを理解しなきゃいけなかった。

「その、聞き辛いことかもしれませんが」
「いいのよ。何でも聞いて頂戴?」
「秀一君は、どうしてお亡くなりに?」
「去年、炎天下が続いたでしょう? 四十度越え。そんな日が何日も続いて、まさかあの子もこんなことになるとは思っていなかったのでしょうね。眠るように死んでいたわ。脱水症状を起こしていたそうよ」
「馬鹿……ですね」
「本当に、馬鹿な子よね」

 本当にくだらない理由だった。
 確かに、あの日は蒸し暑かった。
 気付けば時間がかなり過ぎていた実感もある。その時既に、症状が出ていたのだとしたら。
 せめて寝る前に、水を一杯飲むくらいしていれば。
 俺は死ななかったのかもしれない。
 
「その、秀一君の部屋を見せて貰うことって」
「いいわよ。あの子、女の子を家に上げたことはないから、|楓《かえで》以外だとこれが初めてになるのかしらね?」

 楓。俺の妹だ。
 結局用意したプレゼントも渡せぬまま、仲直りもできぬまま、別れることになってしまったか。

「妹さん、ですよね?」
「ええ」

 階段を上り、俺の部屋へ私が案内される。
 不思議な感覚だった。良く知る家なのに、まるで知らない人の家に来たかのような感覚。
 目の前にいるのはお腹を痛めて俺を生んでくれた母だと言うのに、私はその人と一切の関りを持たない。
 やがて扉の前に付き、そこを開けば。

「楓、またここにいたのね」

 つい最近まで俺が寝ていたベッドに、妹が寝ていた。
 俺の部屋はあの夏とほぼ変わりなく、そのまま残されている。

「しゅうちゃんが死んだ日が丁度、あの子の誕生日だったの」

 母は語る。

「あの子ね、それまでずっとお兄ちゃん子だったのよ。それが、年頃だからでしょうね。素直になれなくなって。本当は仲良くしたいのに、邪見に扱うようになって。それでもやっぱり、お兄ちゃん子だから、自分の誕生日の朝にね、起こしてあげようとしたのよ。それまで気持ち悪いーとか言っていたから、びっくりするだろう、ってね。切欠が欲しかったんでしょうね。でも、しゅうちゃんは起きなかった。幾ら揺らしても、起きなかったそうよ。楓、慌てておかーさーん、て、呼びに来てね。救急車を呼んだのだけど、既に手遅れ。あの子、自分のせいだって、自分が嫌いになったから、お兄ちゃんはどこか行っちゃったんだって言ってね。一時期は学校にも通えなくて、高校には行かせられないかもって思ったの。けれど、少しずつ落ち着いてきて、なんとか進学はできたわ。けど……やっぱり、寂しいんでしょうね。家に帰ると、いつもお兄ちゃんの部屋に浸っているの」

 その話を聞いて、俺は初めて妹の心の内を知った。
 もし、もし、俺がちゃんと起きていれば、昔みたいに兄妹仲良く、同じ高校に通えていたのだろうか。
 俺が死んだのは全て俺の責任で、楓には何の責任もない。
 それなのにあいつは、それを自分のせいだと言って。きっと母さんも父さんも大変だっただろう。
 今の俺に、私にできることは、何もない。

「……少し、ここにいてもいいですか?」
「勿論。楓が起きちゃったら、友達だって説明してくれる? あの子、あなたのこと知らないだろうから」
「……はい」

 母さんが階段を降りていく。
 扉を閉めて、部屋に入る。
 勝手知ったる俺の部屋。どこに何があるのか、手に取るように分かる。
 埃が少ないのは、きっと母さんが小まめに掃除してくれていたからだろう。
 テレビも、パソコンも、フィギュアも、そのままだ。
 本棚におかれた本だって、そのまま置かれている。
 ふと、何気なくそこに紛れたエロゲのパッケージを手に取った。
 箱の中にえっちいゲームは入っておらず、代わりに小袋と、それと一緒に入れた手紙が出てきた。仲直りしようと、書いたものだった。
 
「気づくわけないよなあ……」

 まさかエロゲのパッケージに誕生日プレゼントが隠されているとは思うまい。我ならが酷いところに隠したもんだ。
 楓の頭をそっと撫でる。里奈と違った手触り、ごしごしすると楓は怒ったのを思い出し、ふと笑いがこみあげてくる。
 もう、あの頃には戻れない。ならばせめて、最後のプレゼントを受け取って欲しい。
 頭の上の、わかりやすいところにプレゼントを置いて、部屋を出る。

「あら、もういいの?」
「はい。ありがとうございました」
「折角だし、何か食べていく?」
「いえ……すみません。今は食欲がなくて」
「そう。またいつでも遊びに来てね? きっと、しゅうちゃん喜んでくれると思うから」
「はい、また。お邪魔しました」

 俺の家を出て、今の私の家へ向かう。
 心の中にあった迷いも吹っ切れた。
 立花秀一という男はもう死んだのだ。今、ここにいるのは藤堂菫という、一年越しの高校デビューを果たした一人の少女だ。
 この先、恐らく死ぬまでの付き合いになるであろうこの体との付き合い方を本格的に考える必要がある。
 俺……いや、私は女なのだ。ならばこれからは一人の女として、男と付き合うかは一先ず置いておくとして、生きていこうと思う。そう、決意した。

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