「お姉ちゃんは私のお姉ちゃんだよ!?」
「違うもん。私のだもん」

 何がどうしてこうなったのか。
 両サイドで繰り広げられる少女たちのメンチ合戦。中央で引っ張られる私。
 本当に、どうしてこうなってしまったのか。
 今自分の身に起きていることについて、しばし回想してみる。




 
 あれは夏の蒸し暑い夜のことだった。

 連日、異常気象かと思うほどの暑さが続く。気温四十度を超えることなんて昔は滅多になかったというのに、この頃の暑さは本当に異常だ。地球温暖化もここまで来たかと、くらくらとする頭を抱えながらベッドの上で横になる。
 部屋に冷房なんて気の利いたものはなく、扇風機を回し何とか耐えしのぐ。窓を開けようかと思ったが、カーテンを開いたところで目に入った虫の大群を見てそっとカーテンを元に戻した。
 今日はまだ八月の上旬。秋までは程遠く、これからもこの暑さに付き合うのかと思うと嫌になる。
 何でも熱中症で倒れてそのまま死んでしまった人もいるらしい。自分はそうならないよう気をつけねば。

 体を起こし、横に置いた小袋を手に取る。
 明日は妹の誕生日だ。つい一年ほど前までは、お兄ちゃんお兄ちゃんと俺にくっついてくる可愛げのある妹だったのだが、今年に入ってから一変。俺が髪のセットをしてやろうとすれば気持ち悪がり、目を合わせるだけで蛆虫を見るような目で俺を見上げ、挨拶をすれば返ってくるのは「気持ち悪い」の一言だ。
 一体何があったのかと、過去の自分に問い続けているが、本当に突然そうなった。心当たりがあれば良かったのだが、まったく見当もつかない。
 二つ年下の妹であるが、来年からは高校生だ。きっと受験勉強への焦りや、年頃ということもあって、思春期が到来したのだろうと無理やり納得させている。
 誕生日のプレゼントを今年はどうしようか悩んだが、結局用意することにした。用意したのは髪留めだ。ちょっとお高めの、とはいえ高校生の身なのでお小遣いで買える程度のものであるが、妹に似合いそうなものを選んだ。
 去年は大きなクマのぬいぐるみをプレゼントしたのだが、大切にしてくれているだろうか。俺から貰ったものだからと、処分されていたら悲しい。最も、俺がまだ小学生の頃にプレゼントした髪留めを未だに着けているので、それはないと思う。
 そう、妹は未だに小学生の頃から変わらず、同じ髪留めをつけ続けている。流石に色も所々褪せており、年頃の女の子が着けているのにはどうかと思ったので、新しいものを用意した。

 しかし、今年は去年と違うことで戸惑うことが多いな。お気に入りだったMMOももうすぐサービスが終了だと言う。長年やり続けていただけに、喪失感が凄い。
 時計の針を見れば、もうすぐ一時になるところだ。気付かない内に日を跨いでいたのか。
 今日は特にやることもないし、このまま寝よう。妹へのプレゼントを本棚にあるエロゲのパッケージの中に隠し、タオルケットだけ被り、そのまま眠りについた。
 我ながら、隠し場所が酷いとは思う。
 


 どうにも頭が痛い。
 朝、目覚めた俺は暫くの間、この頭痛と眠気との間で戦うことになる。
 ようやく頭痛も治まって、ベッドから顔を起こす。
 頭の上がなんだか重い。頭痛がまだ残っているのだろうか。肩も凝っているし、体全体が気怠い。
 ふと、部屋に違和感を覚えた。見覚えのないものが幾つか、そしてあるはずのものがなかった。
 テレビを点けようとリモコンを探し、リモコンどころかテレビが無いことに気付いたところで、俺の頭は完全に目を覚ます。

「どこだここは」

 出した声にまた違和感。聞き覚えのない、女のような声がした。
 まだ夢を見ているのだろうかと頬を抓る。自分の肌とは思えないくらいに、ぷにぷにとしていて柔らかい肌。
 手の平を見れば、ガキの頃に火傷した際にできた痕が消えていた。
 部屋全体を見渡せば、自分の部屋より整理がついていない印象を受けた。立ち上がり、身に着けている衣服を見れば、ジャージ姿だった。
 寝る前はパジャマだった。しかも俺の持っていないジャージだ。
 はて、何が起きているのか。取り合えず近場にあったノートパソコンを起動してみる。

「……いやいやいや」

 起動しようとして、その真っ黒な画面に映った自分の姿を見てしまった。
 思わずそのまま後退る。それからもう一度部屋を見渡す。
 黒いビニール袋をかぶった長方形の立て掛けられた大きな何かがある。袋を取ってみれば、まるでどうぞ見てくださいと言わんばかりの全身が映る姿鏡があった。

 ヤマンバ。それが第一印象だった。長くぼさぼさの髪は去年流行ったホラー映画「ヤマンバ」というテレビからスクロールしながら海水と一緒に山にある霊界から現実に現れる鮫映画に登場するオバケにそっくりだった。
 胸に大きな二つのボールがある。実のところ、これの存在には気づいていた。気づいていて、気づかない振りをしていた。
 悪い夢なら醒めてくれと、そう願いつつジャージの下を降ろす。何とも可愛げのある桃色の下着を履いていた。
 触れてみればそこにあるはずのものがない。息子は家出でもしたのだろうか。頼むから早くおうちに帰ってきて欲しい。
 髪をかき上げてみれば、ヤマンバとは程遠い綺麗で可愛らしい顔が映る。
 ここまで来れば流石に分かる。間違いなくこれは女の子の体だ。
 問題は、何故、どうして、自分がその姿になっているかだ。
 夢ならまだいい。だが、これは現実だ。例えこれが夢だったとしても、こうもリアルに感じてしまうのだから、現実だと思った方が良いだろう。もし夢だったらとても変な夢を見たで済ませばいい。しかし夢でなく現実だとしたら? この体との付き合い方をまずは考えなくてはならないだろう。
 
 一先ず冷静になる。先ほど起動したノートパソコンは画面がついている。それでまずは正確な日付を確認する。
 
「三月……?」

 時折独り言が出てしまうのは、気を紛らす為か。今日はどうやら三月の二十八日。もし学生なら、春休みの期間だろう。
 幾つかあるフォルダを漁る。俺がやっていたMMOのショートカットも発見し興味本位で起動をしてみたら、サービス終了の旨が出た。サービス終了日にログインできなかったのは非常に残念であるが、今はそれよりやることがある。この体の持ち主について知るために、必要最低限の情報を得る必要があった。
 しかし出るわ出るわ黒歴史。この体の持ち主が書いたのだろう小説のテキストファイル。中二病全開な内容は見ていていたたまれなくなった。そっと、深くは読まずファイルを閉じる。
 SNSアプリを確認する。チェインは入れていないようなので、ツブヤイッターはどうかと其方を開と、すぐに目当てのアカウントでログインされた。何を呟いているのかと思えば、死にたいやら学校が辛いやら、鍵アカウントで延々と同じようなことを繰り返している。松園が憎いとか、二木を殺してやりたいとか、一体その二人に何をされたのやら、そこまで詳細には書かれていなかった。
 フォロワーとフォローしている人を見てみる。フォロワーは一人、フォローしている相手が三人いる。誰をフォローしているのか見てみると、MMOの公式と女性向けの恋愛ゲームと可愛いウサギのアカウントだった。
 可愛いウサギのアカウントはどこかの誰かが飼っているウサギをそのウサギ視点になり切って呟いているタイプのものだった。フォロワーもこのウサギさんだった。フォロー数とフォロワー数が同じくらいなので、フォローされた全員にフォロー返しをした結果、この鍵垢もフォローしてしまったものと思われる。
 続いて現実にあるものに目を向けてみる。申し訳ないと思いつつも、仕方のないことだと割り切って机の中を漁る。
 ノートを見れば一年と表記されていた。俺より一個下……いや、春からは二年生だろうし、同じくらいの年頃ではあるか。クローゼットの中には私服が幾つかと高校の制服が収納されている。俺が通っていたところのものではないが、見覚えはあった。確かすぐ一キロ先にある別の高校の制服だ。近所の幼馴染がそこに通っていたのでよく覚えている。
 一先ず、自分は知らない町に住んでいる、というわけではなさそうだ。地理的な面でも今後この体と長期的に付き合うことになるのだとしたら、余裕ができたと言える。どこか行こうにも道に迷う、なんて心配がなくなって、ほっとした。
 勉強はそこそこできるようで、発見したテストの評価もそれなりだ。習っている部分も、俺の高校で習った部分とそう大きく違いはなさそうだ。これなら勉強にもついていける。もとい最初のうちは既に習ったものが大半だろうから、かなり余裕が持てる。
 日記のようなものはなかった。ネットのSNSが主流のこの時代に、流石に日記をつける習慣はなかったか。
 ベッドの下を探してみる。国語の辞典が落ちていた。その奥にアルバムを発見する。恐らくこの子の家族だろう。父親と母親、それから妹も一人いるらしい。
 家族写真以外の、友達と写っているものが見当たらない。無いわけではないのだが、どれも小学生頃のものばかりだ。
 家族写真に写っていた自分の姿は、ひどくみすぼらしい格好だった。髪の毛は起きた時と同じくぼさぼさで、前髪で目が隠れていて表情が伺えない。普段からジャージでいることが多かったらしく、似たような格好のものがほとんど。
 幼い頃はそれなりに可愛らしい姿なのだが、いつからか、今みたいな形になってしまったのだろう。
 そこに何か大きな理由があるのかもしれないが、残念ながら今の俺には理解できないものだ。自分の現状で精一杯なのだから許して欲しい。
 
「ふう」

 粗方漁り終えた。取り合えず、学校が始まるまでまだ期間がある。それまでに何とか心の整理をつけなくては。
 一番良いのはこれが夢で、元の姿に戻っていることなのだが……本当に困ったものだ。
 時計を見れば朝の六時になるかという頃。取り合えず、このぼさぼさで落ち着かない髪をどうにかしたい。
 クローゼットから適当な着替えを見繕う。ジャージ以外にも一応私服は持っていたらしい。今日はこれを着て過ごそう。
 なんだか妙なことになったが、やり過ごすしかない。さて家族との初対面はどうでるのが正解か。考えつつ部屋を出ると、第一住人に遭遇した。
 しまった! 不意打ちだ!?
 
「おはようお母さん」
「あらおはよう」

 よし! 挨拶は基本! 何もおかしなところはないな!!

「ちょっとシャワー浴びてくるね」
「あらそう? 行ってらっしゃい………………………………え?」

 よしよし。ニューマザーとエンカウントしてしまい一時はどうなることかと思ったが、何とかなるものだな。
 問題は風呂場がどこか、なのだが。大体家の間取りに大きな違いもないだろう。自分のいた二階から一階に降りて、それらしい扉を潜る。
 風呂の設計もうちとそんな違いはないな。さては同じ住宅会社で建てたな。シャワーのメーカーも風呂のメーカーも同じだし、間違いない。強いて言うならこの家の方が真新しいか。
 なんだか体も臭くはないのだが、汗でべとべとして気持ち悪い。まずはこれを洗い落として、それから髪も綺麗にしてから、持ってきた髪留めで前も見やすくしよう。
 これだけ髪が長いと洗うだけで一苦労だ。勝手に切るのも悪いし、やっていれば慣れるだろう。
 着替えも終えて、髪も乾かし、改めて鏡を見る。
 うん、こうやってみれば可愛いな。今は自分の姿だから自画自賛みたいだけど。
 風呂場を出れば美味しそうな匂いが漂ってくる。これは朝飯の時間、即ち、この家の住人が一堂に会する時。
 父親が仕事なのか休みなのかは不明だが、行ってみれば分かるだろう。さっきの母親みたいに、自然に、自然に行こう。

「おはようー!」

 元気よく挨拶! どうやら父親もいるらしく、母、妹と家族が勢ぞろいだ。
 
「お、ねえ、ちゃん?」
「|菫《すみれ》、だよな?」

 あれオカシイゾー。
 妹と父が疑問を浮かべた顔をしていらっしゃる。
 
「ほら、やっぱり!」

 お母様、何がやっぱりなのでしょう。
 不味いぞ。何が不味いのかが分からないが兎に角不味い。何かしくじったらしい。
 取り合えず笑顔。笑ってやり過ごそう。着席。

「え、お姉ちゃんが挨拶した!?」
「菫がジャージ以外を着ている!?」

 お、おう。
 菫、というのは俺の名前で合っているのだろう。学校のノートでもそれは確認済みだ。
 正直根暗なイメージはあった。が、ここまでの反応は想定外だ。まさか挨拶もろくにできない子だったとは。

「え、えっと」

 どうしたらいいか分からずあたふた。
 すると何故か泣き出した父親に思い切り抱きしめられた。
 あの、マイニューファザー。苦しい。

「今夜はお赤飯ね」

 うきうき顔のお母様。赤飯ですか、結構好きです。

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