泣いて泣いて、自分を生んだ親を憎んで、自分をイジメた人間を恨んで、自分の存在を呪った。せめてもっと早くこの事実が解っていたら、変わり者だとイジメられる事も、社会で無能と罵られる事も避けられていたかもしれない。
いや、しょせんボーダーなら変わらなかったかもしれない。
でも、それでも。
こんな重大な事実を知らずに生きた40年近くは何だったのか。怒涛の感情の嵐が去った後で残ったのは虚無感だった。

もう泣くことはなくなったが未来への希望も無くなった。
普通の職に就くことも、結婚も、友達作りも、諦めた。
不思議と死にたいという気持ちも無くなった。強烈な死への渇望が嘘のように消えた。
ある意味、精神的に死んだのかも知れない。

精神的な死の後、「ああ生きなきゃ」と思うようになった。
それはけして前向きな「生きなきゃ!」じゃなく、あくまで惰性でそう思った。
生きる以上やはり少しでも状況を楽にする必要があった。
だが具体的に何をすればいいのか。完全に手詰まりだった。

そんな時、たまたま区役所の福祉課に行く用事が出来た。
そこでダメ元で今までの経緯を簡単に話し
「IQが70なんですが障害者手帳は取れますか?」
と聞いてみた。すると係の人は
「手帳の判定は医師ではなく、市町村が行うんですよ。」
と教えてくれた。
今まで医師に無理と言われたら手帳は諦めるしかないと思っていたがどうやら違うようだった。係の人によると市町村の障害者センターのようなところで知的障害か否かの判定を行っておりそこで判定してもらって判定が出れば療育手帳が発行されるとのことだった。
また私でもその判定を受ける権利はあるようだった。

さっそくその日のうちに判定の申し込みの電話を入れたが既に1月先まで予約は埋まっている、来月の〇日に再来月の予約を行うからまた電話をください、とのことだった。

待ちに待った翌月〇日、午前11時に仕事を少し抜けて判定センターへ電話を掛けた。
すでに来月の予約は埋まったとの事だった。
判定センターと言っても実態は区役所だ。
開庁時間は9時と言ったところだろう。
なら二時間で予約が埋まったという事になる。チケットぴあかよ、と内心突っ込んでしまった。
予約開始と同時に全席が完売するライブチケットを取るような気分になったからだ。

毎回こんなに早く予約が埋まるんですか?
と聞くと、そうですね、という返事だった。
来月は何日で何時から予約開始か聞いて電話を切ろうとしたところ「ないとは思いますが、キャンセル待ちをしますか?」と聞かれ一応しておいた。
次回は予約開始の9時ピッタリにかけようと意気込んだ半面、この競争率に勝てるか自信がなかったのも事実だ。

それから数週間が経ったある日の昼休み、知らない番号から着信が入った。
恐る恐るでると判定センターからで、なんとキャンセルがでて今月末に来れますか、との話だった。
もちろんOKして持ち物、幼少期を知る人間の同行が必要な事などを説明され電話を切った。
少し光が見えた気分だったが半面気分が重かった。

原因は同行者が必要な事だった。
私には思い当たる人間が母しかいない。
父は病気だし幼い頃彼は働き詰めだったから私を知らない。
弟も居るが訳アリな人間で頼めない。
(この弟についてもいつか書きたいと思っている)体が空いていてなおかつ子供時代の私を知るのは母のみだが、子供の頃母から虐待を受けていた過去がありあまり関わりたくなかった。しかし背に腹は代えられずいやいや彼女に事情を説明し当日来てもらうことになった。

当日、所要時間は約3時間と聞いていたが、初回なので時間も余計にかかるだろうと有給を取った。
母と駅で待ち合わせて判定センターへ向かった。
母はセンターの場所を知らない。(今どきスマホも持っていない旧時代の人間だ)私のスマホのマップ機能を使って向かったが途中で地図が読めなくなりイライラしながらもなんとかたどり着いた。

感じの良い若い女性が担当になった。
彼女はまず幼少期の通知表や母子手帳、文集の提出を求めた。
ざっと通知表を眺めて
「ほとんどの教科で3以上ですね。特に知的な問題はないようですね。」と言った。

そのあと母子手帳、文集を一通り目を通して30分ほど経った時「のんさんは判定の結果、知的障害に該当しない可能性がかなり高いです。18歳までに知的な問題がなかったと見受けられた場合該当しませんのでもうお帰りになりますか?」
と言われた。
「え?子供の頃は困ってなくても今困ってるんで続けて下さい。」
と頼んだ。
この時点で手帳は絶望的だと判ってはいた。
係の人は明らかに私を帰したがっていた。

子供の頃、理数系は全くできなかった。
今も分数、少数、%などが理解できない。
論理的思考が徹底的に苦手だった。なのでなぜ理数系が3以上なのか理解に苦しんだがこの事実は覆らない。結局そのあと簡単なテストと医師の面談(睡眠がとれてるか、生理は順調か、の質問だけで5分で終わった。)

最後に「先ほども申しましたがのんさんは該当の可能性はほとんどありませんが結果は後日書面でお渡しします。」と言われたが、書面も何も、もう100%手帳の取得があり得ないことは彼女の態度から良く解っていた。

「IQが70だからダメなんですか?今後下がればまた判定は受けれますか?」
「あくまで18歳までに知的障害が認められない限り該当しません。たとえ今後IQが低下してものんさんは該当しません。」

その後も彼女は何か言ったかも知れない。
でも私は覚えていない。
彼女の言葉など頭に入ってはこなかった。
唯一の望みは断ち切られた。
もう縋るものがなくなってしまった。
生きる術がなくなってしまった。

境界知能はどう生きればいいのか②

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