このシリーズは今回で最後になる。
最後まで読んで頂ければ幸いだ。

帰り道、母が「お茶でも飲んでいく?」と話しかけて来たが無視して途中から母と別れて帰った。(ちなみに母が私を気に掛けるのはすごく珍しい事だ)
絶望のあと怒りが湧いた。
本当に困っている人間をあっさり切り捨てた判定員にもだが母にも失望した。

子供時代の事聞かれた時に、母は私が中学時代いじめに遭っていたことを知っていたそうだ。
私は中学時代それはひどいいじめに遭っていた。
たぶん私でなければ不登校になっていたと思う。

うちは機能不全家族で、母が所謂毒親だった。母との関係が悪かったし、いじめられているなんて恥ずかしくて言えなくて秘密にしていたつもりだが母はどうやら知っていたらしい。
でも放置していたことになる。
なんで?と思ったけれど口に出してもしょうがないと思って何も言わなかった。
頭のおかしい母の考えなんて理解できるはずがないし。

でもそれでも中学時代のいじめはひどかった。
幼稚園から中学までいじめ通されたけれど中学時代は何度も自殺を考えた。
暴力はなかったが言葉の暴力はひどかった。
他にも何人かいじめられている子はいたが私が一番凄惨な目に遭っていた。
いまだに主犯格の二人には死んで欲しいと願っている。
何十年経ってもこの思いは消えないだろう。
学校なんて行きたくなかったが行かなければ母に怒鳴られる殴られるは目に見えており、それも怖くて不登校にさえなれなかった。

これは私の想像だけれど、母も私と同じ、今で言うスクールカースト最下位の人間だったと思う。
ママ友(最も母にはママ友なんていなかったけど)と言うか同級生の親が怖くて、娘のいじめを彼らに訴えられなかったんだろう。
いじめる子供の親なんて、その子同様、気が強く性格が悪いに決まってる。
母はそういう人間が怖かったんだと思う。
その気持ちが解らなくはない。
ただあのころの壮絶ないじめがなければ私の歪みはここまでひどくならなかったろう。


そして判定の在り方に心から腹が立った。
18歳までに問題が認められない人間はばっさり切り捨てるそのスタンスが理解できなかった。
社会人になってこのかた、ずっと困っているのに。
今ではなく過去を重視するその意味がさっぱり理解できない。
また自治体によって知的障害の判定基準が異なることにも疑問を感じる。

「私はどうしたらいいんですか?」
と聞いた時、精神福祉手帳をお持ちなのでそちらに尋ねてください。と一蹴された。
精神福祉手帳は境界パーソナリティー障害で取得したものだから、これで知的ボーダーをカバーするのもおかしな話だと思う。
思うけれどこれをなくしたらもう本当に終わりで。
最後の命綱が精神福祉手帳だ。

だが実はこの手帳、今年2月で有効期限が切れるが更新できるか分からない。
最近症状が落ち着いてきているためだ。
以前の様に他人に依存することや試し行為、自殺未遂などが明らかに軽減した。
医師は嘘の診断書は書けない。
現在障害者雇用で就労中などであれば継続するだろうが今は就労できている。

医師に判定の結果を伝えたところ「それは君にとって良い事だよ」と言われた。
ああ、この人は何も解ってないなと。
この人との8年は何だったんだろうって改めて思った。
知的ボーダーが良い事だとよ。

これからどう生きればいいのか。
知的ボーダーとしてどう生きればいいのか途方に暮れている。

もう幸せになりたい、とさえ望まない。
ただ普通に生きたい。普通に。
それだけ。

知的ボーダーはどう生きればいいのか③完

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