まんぷく食堂

「ちわッース!」

「へい、らっしゃい!」 

厨房から、威勢のいい大将の声が聞こえる。
厨房に近い奥のテーブル席に座る2人。
竜二の同級生の美咲が、水の入ったコップを2つ、お盆に乗せて運んでくる。
目の下にクマができ、頬はこけて、髪はボサボサで疲れを隠せない様子。

「よぉ!久しぶり!」
竜二の顔を見て、軽く会釈する美咲。

「なんだよ。久しぶりなのに、つれねーな」

美咲、お盆からコップを一つ、じんの前に置く瞬間、手が滑って水がバシャっと、じんの顔にかかる。
じんの顔から水がポタポタと、テーブルに滴り落ちる。

「すみませんっ!今タオル取ってきます」
慌てて、厨房に駆け込む美咲。

「じんさん、大丈夫っすか?」
厨房に駆け込む美咲を心配しながら、じんの顔を見る竜二。

奥から大将の声が聞こえてくる。

「また、やっちまったのかぁ。今日3回目だよ。大丈夫?家で少し、休んだ方がいいんじゃない?」

「すみません」

|割腹《カップク》がよく、禿げた頭の大将がタオルを持って出てくる。
竜二の顔を見て、おしぼりを渡す。
「竜ちゃん、久しぶり」

顔から水が滴り落ち、無言のまま変顔になるのを、必死に我慢していいる、じん。

「ご無沙汰です。それより大将、じんさんの顔、拭いてあげて」

「ああ、すまない…これ、使って」
焦りながら、じんにおしぼりを渡す大将。
タオルを受け取り、真顔で自分の顔を拭く、じん。

「大将、あいつ大丈夫です?なんかこの前、来た時と比べたら、ずいぶん痩せたみたいだけど…」

「ああ、美咲ちゃんの事ね…それが最近、
おかしいんだよ。仕事中に警察から電話かかってきてさ、慌てて家に帰る事が何回もあってね」

「警察から?」

「そうなんだよ。なんでも、一緒に住んでるおばあさんがいてさ、迷子になって家に帰れなくなったって」

「迷子?それってもしかして、認知症…?」

「そうみたい。ほら、美咲ちゃんて、幼い頃、事故で両親亡くしてるだろ?
誰も面倒見る人が居ないんじゃない?」

「あちゃー、それであんなに痩せてたのか。つれないなんて悪い事、言っちまったな」

真顔になったじんが、
「他に兄弟とかいないんですか?」

「親戚は、いるみたいだけど…
美咲ちゃん、幼い頃、親戚中たらい回しに
されてるからさ」

「あいつに、そんな過去があったのか…
中学の時はやたら、明るくて、結構男子にもモテてたからな。そりゃ、気づかねーわ」

「そう。それで、今のおばあさん、キクさんが最終的に、美咲ちゃんを引き取って育てたから、
責任を感じてるんじゃないかな」

「責任って?」

「年金暮らしで、余裕がない環境で、自分を育ててくれた恩があるから、自分がおばあさんの介護をしないとって思ってるんじゃないかな」

「おばあさんを、家に残しておけなくて、
最近は介護の学校にも通えてないみたいよ」

「介護の学校?」

「美咲ちゃん、今のままじゃ、おばあちゃんが可哀想だから、自分が介護の勉強をして、おばあちゃんを、ちゃんと世話してあげられるようになりたいって」

「ヤングケアラーってやつか…」

「…ヤングケアラーって……何?」
じんが不思議そうに尋ねる。

「俺ももうまく説明できないけど、美咲みたいに病気や障害のある家族の介護とかで、学校の教育をまともに受けられなかったりする、未成年の事をいうみたいっすよ」

「…可哀想だな…」

「大将!もしかして、
美咲のばあさんって、背がちっちゃくて、
髪短くて、家族か誰かにマモルって名前の人いる?」

「…マモル?…そういえば、亡くなった
美咲ちゃんのお父さんが、そんな名前だったような……」

厨房から携帯の鳴る音。

「はい、分かりました。今から迎えに行きます」

「…また警察からかな」

美咲、厨房から出てくる。

「あの、大将…すみません…」

「ああ、分かってるって。早く迎えに、行ってやりな」

美咲、黙ってお辞儀をし、急いで店を出る。

「あいつ、大丈夫かな」
竜二のお腹がグゥルルと鳴る。
大将、竜二のお腹に視線をやり、

「いつもの肉じゃが定食でいいよね」

「飯、大盛りで!あと、ワサビメンチカツも!」
「はいよ!」

「ワサビメンチカツ?…そんなもんよく食べられるな」

「ここの裏メニューなんすよ、じんさんも頼みます?」

「俺はいい…」

「大将!ワサビメンチカツ2つで!」

「いいって言っただろうが…」
すかさず、じんが小声で竜二に言い返す。

「はいよ!2つね」
厨房から元気よく、大将の声が返ってくる。

ヤングケアラーって、何?

facebook twitter
pagetop