青木と植村に連れられて向かった居酒屋は、禁煙のはずなのにどこか紫煙の匂いが漂っていた。
その、視界がぼける場所にある掘り炬燵風のテーブルに座り、男子二人が次々と発する注文にかくかくと首を縦に振る。初めて口にしたビールは、どこか生温く、そして一息で飲み干せないほど苦かった。テーブルに並ぶ食事も、普段食べるものより塩気が多い。美味しくない。ストレートな感情を隠すために、徹は少しべとつくメニューを手に取った。
「お酒、何か頼むの?」
不意に横で響いた、明るい声に、顔を上げる。先程までは確かに徹の向かいに居た、ほっそりとした頬に柔らかい前髪を垂らした女子が、徹の横で徹が手にするメニューを覗き込んでいた。
「意外にカクテルの種類多いね、この店」
確か、授業では徹たちのグループの隣に座ることが多いグループ所属の女子の一人。名前は、何だったっけ? メニューをなぞる細い指の煌めきを見つめないよう、徹はそっと、メニューからテーブルの方に目を移した。
「ジン・トニックみたいにすっきりしたものの方が良いかなぁ。でも、もう食後って感じもするからカルーア・ミルク頼んじゃおうかなぁ」
「詳しいの?」
それでも、しなやかな女性が発する、小さいが明瞭な知識に好奇心を覚え、思わずそう、口にする。
「何飲んでるか分かった方が楽しいじゃん」
ある意味不躾な徹の問いに、赤い唇が微笑んだ。
「カクテルっていうのは、#基本__ベース__#となるお酒にジュースとかシロップとかを混ぜたものね。この辺り、オレンジ・フィズとかはジンってお酒がベース。ラムやウォッカ、ワインがベースのカクテルもあるのよ。飲む目的や所要時間によってもグラスとか、色々違ってくるし」
ジンは、杜松の実を加えた蒸留酒。ラムは、サトウキビから作られる蒸留酒。姉が良く読む外国文学にしばしば出てくる単語だ。
「カルーア・ミルク、のベースは?」
「カルーア・コーヒー・リキュールっていう、コーヒーの風味にバニラの甘みを加えたリキュールがあるの」
まだ手にしているメニューの上を踊る細い指に、姉の小さな指を重ねる。その指に踊るきらきらとした光は、ネットでたまに目にする『ネイルアート』と呼ばれるものなのだろう。白い部分が見えないほどに短くしている姉の、手と同じように小さな爪は、光らない。それでも、飾り気の無い姉の爪の方が愛おしく思えてしまうのは。
「ねえ、何か飲んでみる?」
不意の声が、耳を叩く。
「あ、うん」
忙しなくなった鼓動を押さえながら、徹は、細く光る指に小さく頷いた。