夕食後。
気を取り直して、居間の隣にある自分の部屋でレポートに向かう。
歴史の中の『ものの計り方・度量衡』について調べまとめること。それが、徹が現在取り組んでいるレポートの内容。そのために大学の書庫から引っ張り出してきた資料の古い匂いを探りながら、徹は慎重に、PCのキーボードを叩いた。
『長さ』を測るだけでも、昔から様々な工夫が凝らされてきた。古代エジプトやオリエントでは、cubitという、肘から中指までの長さを単位としていた。足の長さを一単位としていた時代もあったし、穀物の大きさで長さを測っていた時代や場所も、世界のあちこちにあったという。もちろん、手を基準とした、長さを測る単位も。
姉の手を、『尺』や『咫』、『束』などといった手を使った古代の長さの単位の基準にしてしまったら、どうなるか。同じ長さのものでも計測結果はやたらと長くなってしまうだろう。キーボードを叩く、姉とは全く異なる長い指に息を吐く。あの、柔らかく器用で飾り気の無い指を気にするようになったのは、いつの頃から、だっただろうか? 幼い頃はまだ同じくらいの大きさだった姉の手が、だんだんと小さくなっていくように感じた頃、だから、おそらく徹の背がぐんぐんと伸び始めた、高校生くらいの頃から、だっただろうか? いやその前から、徹にとって、姉のあの小さな手は、守るべき対象だった。近所の上級生にからかわれていた姉を見て激怒し、倍以上の体格を持っていたその上級生に飛びかかっていったことを、徹は苦さとともに思い出した。
とにかく、レポートを仕上げることが先。気持ちを無理に、PC画面に向ける。
隣の部屋から小さく、テレビドラマらしい音が聞こえてくる。姉が、洗濯物にアイロンをかけながら見ている推理ドラマが終盤に差し掛かっている、緊迫がみえるその音を無理に引き払うために、徹はPCの音楽プレイヤーを起動し、ヘッドホンを耳に当てた。
PC画面を見直して、レポートに誤字脱字が無いことを確かめる。
〈終わったぁ〉
大きく伸びをしてからヘッドホンを外すと、静寂が徹を包んだ。
姉は、もう眠ったのだろうか? シャワーを浴びるために自室を出る。居間を挟んで徹の部屋の向かいにある姉の部屋から明かりが漏れていることを見て取ると、徹はそっと、姉の部屋の戸に手を掛けた。
「早く寝ない、と……」
明らかに本を読んでいて寝落ちしている、ベッドの上で俯せになった姉の身体から伸びる小さな手と、その小さな手が握る文庫本に、微笑みがこぼれる。小さく丸い手から文庫本を取り上げ、近くの机の上に置くと、徹は静かに、姉の部屋の電気を消した。