結局、私は黒川の車で学校に行った。
赤井も桃も、昨日の事を黒川から聞いたのだろうか……。
皆黙ったままで、車内に重い空気が流れていた。
教室に入ると、賑やかだった教室が一瞬静まり返り、やがてヒソヒソと小声で喋る声が聞こえてきた。
青田が学校を辞めても、昨日の事が全て無かったことになるわけではない。
私は自分の席に着いて俯いた。
今日一日が早く終わればいいのに……。
昼休みになると、皆カフェテリアに行ったり教室で机を合わせて弁当を食べ始める。
いつもならエビちゃんと一緒に弁当を食べるけれど、恐らく今日は一人で食べなければならないだろう。
「さち子」
鞄の中から黒川が作った弁当を取り出していると、後ろから声を掛けられた。
「エビちゃん……」
「さち子……。
今日はカフェテリアでランチを食べるんだけど……」
「エビちゃん、早く行こう」
エビちゃんの言葉を遮るように、クラスメイトがエビちゃんに声を掛ける。
「あー。エビちゃん、行ってきてください。
私はお弁当を持って来たから……。
そうだ。用事があったんだ。
……行ってくるね」
「あ……。うん」
私は鞄を持って教室を出た。
弁当、何処で食べよう……。
なるべく目立たない場所がいいな……。
校舎裏の、人が来ない場所を選んで座り、弁当箱を開けた。
一日中、日の当たらない校舎裏は、ジメジメして地面も湿っている。
スカートが汚れて白石に怒られるかな……。
卒業するまで、ずっとここで弁当を食べるのかな……。
色々考えていると、弁当の上に涙が落ちた。
「どうした?
弁当なんか、一人で食っても美味くないだろう」
声がしたので、慌てて涙を拭って見上げると、目の前に白石が立っていた。
「……なんて。
学園ドラマで熱血教師が言いそうなセリフですよね。
俺はそんなセリフ、絶対言いたくありませんけど」
「白石。
しっかり口に出して言っていますよ?」
「そうですね」
白石が私の隣に腰を下ろした。
「白石……。ズボンが汚れますよ?」
「そうですね。
ここは湿度も温度も風景も……。
全ての点において不快指数が高すぎます。
お嬢。よくこんなに不快な場所で弁当が食べられますね」
「いいです。
弁当なんて、一分で平らげますから……」
私が俯くと、白石が溜め息をついた。
「……。
仕方がないですね。
特別に、とっておきの場所を教えてあげましょう。
少し待ってください」
そう言って白石は立ち上がり、ポケットから除菌ペーパーを取り出して、ズボンに付いた汚れを拭き取り始めた。
「アアッ!
汚れが落ちない!
しかも、毛羽立った除菌ペーパーの繊維がズボンに付いて、ますます大変な事に!
何なのですか、一体……」
白石……。
お前こそ何なんだ、一体……。
「お嬢。俺に付いて来てください」
「でも……。
私と二人でいるところを誰かに見られたら、また問題になりますよ」
「俺はお嬢の担任ですよ?
こんなに薄暗い校舎の裏で、泣きながら弁当を食べている生徒を見つけても、無視しなければならないのなら……。
教師なんか辞めてやります」
「私……。泣いてなんかいません」
「……。そうですか。
じゃあ、行きますよ?」
白石がそう言って私を待たずに歩き出したので、私は弁当箱の蓋を閉じ、鞄に入れて白石の後を追った。
誰にも見られないよう、白石から少し離れて歩いていると、白石が急に立ち止まった。
「この木……」
「白石。どうしたのですか?」
「俺が学生だった頃から、ずっとここにある。
懐かしいな……」
「あー。そう言えば白石が教師としてこの学園に来た時も、そんな事を言っていましたね」
「お嬢。こっちです」
白石が手招きをして、木々に囲まれた小さな木製のベンチを指差した。
「え? このベンチ。
ペンキ塗りたての貼り紙が付いていますよ?」
「大丈夫です。
この貼り紙は、誰にも座られないように、毎朝俺が貼り替えているものですから」
白石は張り紙を剥がして丸め、再びポケットから除菌ペーパーを取り出して、ベンチを丁寧に拭いた。
「学生時代……。
俺は毎日ここで、買ってきたパンを食べていました」
「毎日?」
「晴れの日も雨の日も、真夏の暑い日も真冬の寒い日も。
晴れている時は、このベンチに座って。雨が降っている時は、あの校舎の軒下で。
さすがにどしゃ降りの日は、仕方なく教室で食べていましたが……」
「……」
「どうぞ、座っていいですよ?」
ベンチは相当年季が入っているように見えたけれど、白石が毎日拭いているためか、汚れが一つもない。
私がベンチに座ると、白石もその隣に座った。
「白石……。
白石も学生時代、学校で嫌な事があった?」
「沢山ありましたよ」
「そう……」
「学校は実に不衛生な場所です。
そんな不衛生極まりない空間に集められて、一日の大半を過ごさなければならないのですから。
風邪気味の奴や、唾を飛ばしながら授業をする教師がいる日は地獄です」
「あー……」
「靴箱という名の『菌培養庫』に手紙やお菓子が入れられていた時は、全身鳥肌が立ちましたよ。
あれは、俺に対する嫌がらせですね」
「手紙やお菓子?
白石、学生の頃から人気があったのですね。
私には何一つ白石の良さが分かりませんが……。
じゃあ、その中に気になる子はいましたか?」
「は? 何故、そんな無神経な人間を気にしなければならないのですか?
『菌培養庫』に入れられた物は、即ごみ箱行きですから。
誰が入れていたかなんて、知りませんよ」
「うわぁ……。白石先生、酷い」
「ハハハ。
……。青田君は昔から人付き合いが上手かったから、友人と学食で食べて、黒川君は部活の昼練に励んでいましたね。
俺はここで雲を眺めたり、昼寝をしたり……。
あの校舎から聞こえてくる吹奏楽の練習の音が心地よくて……。
一人でいるのも、悪くはないですよ?」
「うん。一人は嫌いじゃないよ?
エビちゃんと友達になるまで、赤井と桃以外、仲の良い友達はいなかったし……」
「エビちゃん?
ああ……。
クラスの網代(あじろ)エビの事ですか?」
「そうです。
白石。担任なんだから、生徒の交遊関係ぐらい把握しておいてくださいよ」
「ハハハ」
「……。
一人でいるのは、嫌いではないですよ。
ただ……。
青田が、青田の思い出の場所にいられなくなってしまったのが……」
「お嬢が原因ではありませんよ」
「分かっています。
青田にも『お嬢は関係ない』と言われました。
それでも青田の気持ちを考えると辛いのです」
「……。
お嬢。そろそろ教室に戻りましょう。
俺は一度、職員室に寄ってから教室に行きますから」
白石は、そう言って先に行ってしまった。
白石。少し怒っているのかな……。
昔から私がウジウジしていると、真っ先に白石に怒られた。
それを青田が慰めてくれて……。
今、慰めてくれる青田は、ここにいない。
私は水道の水で顔を洗い、教室へ向かった。