小さい頃、僕は施設で育った。



母親が金銭的に僕を育てる余裕が無かったから、一時的に僕を施設に預け、生活基盤が整ったら迎えに来る約束だった。





「施設で良い子にして
 待っていてね。

 必ず迎えに行くから」





それが母親の最後の言葉だった。





施設にいる子ども達は次々に里親が決まっていき、いつの間にか僕は施設の中で最年長になっていた。



「青田君は中学を卒業したら一人暮らしを始めて、働きながら定時制の高校に通うのか……」





施設長が進路相談に乗る。


「青田君。君はとても面倒見が良くて、施設の小さい子ども達から良きお兄さんとして慕われている。

 この施設を出ても、たまにボランティアで顔を出してくれないか?

 住む場所が見つからなければ、この施設で寝泊まりしてくれても構わないから」





ボランティア?



冗談じゃない。



タダで子どもの面倒を見ろというのか?



僕はそこまでお人好しでも子ども好きなわけでもない。





「そうですね。

 ここを卒業した後も、
 時間があれば顔を出しますよ」



僕は笑顔で答えた。





今の屋敷に来たのは、中学三年の夏休みだった。



僕は、中学三年の男を里親で迎えようとする、趣味の悪い金持ちの爺さんに憎悪を覚えた。



それでも施設から出られるのは願ったり叶ったりだ。



一人寂しく余生を過ごす爺さんの面倒をほんの数年見るだけで、大金が転がり込んでくるかもしれない。



中学三年の頭の中は、馬鹿みたいに単純だ。





施設を出ていく前に、お決まりの送別会が行われた。 



「青田君、行かないで。

 青田君がいなくなると、夜中のトイレに行けなくなっちゃう」


涙で顔をぐしゃぐしゃにした子ども達が僕の回りを囲む。



「ありがとう。

 君たちにとって、僕は夜中のトイレに付き合ってあげる存在でしかなかったんだね」





僕は笑顔で子ども達の頭を撫で、施設を後にした。





爺さんに連れられ、やって来た屋敷は、僕が育った施設より遥かに広く、それなのに長年誰も住んでいなくて、屋敷も庭も荒れ放題だった。



「私は一年の大半を海外で生活しているから、この屋敷は好きなように使ってくれればいい。

 生活に必要なお金は毎月送金するよ」


好きなように……。



この荒れ放題の庭や屋敷を一人で手入れするのに何年かかるだろう……。





それでも僕は自由を手に入れた。



世話をしなければならないと思っていた爺さんと一緒に暮らす必要もないし、高校にも大学にも進学できる。



月々の有り余る仕送りで、生活費の心配をすることもない。



僕は一階の玄関から一番近い部屋を選んで、そこを自分の部屋にした。





それから程なく、黒川君と白石君が爺さんに連れられて、この屋敷に来た。




僕は内心喜んでいた。





同い年だから面倒を見る必要もないし、この広い屋敷に一人でいると話し相手が欲しくなる。





長年施設で生活していた僕は、憧れていた静寂な時間がこんなに辛いものだと思っていなかった。





「黒川君、白石君。よろしくね」



「……よろしく」





必要以上に馴れ合わなくていい。



お互い干渉せず、良い距離感を保ったまま生活をする。



施設で、他人同士と上手くやっていくためのルールは心得ている。



お互い、この屋敷に連れて来られるまでの身の上話なんか興味がなかった。





黒川君は夕食を食べ終え洗い物を片付けた後は自室に籠り、白石君は食事をする時以外、マスクと手袋をしていた。





三人の生活に慣れてきた頃、爺さんは赤井君と桃を連れてきた。





爺さん、ここを託児所にするつもりなのか?

施設と変わらないじゃないか。



まあ、それでもいい。



大学まで進学できるし、働かなくても生活できる。



大学さえ卒業できたら、就職してこの屋敷を出ていけばいい。



利用するだけ利用させてもらおう。





赤井君と桃は、黒川君達のようにはいかなかった。



子どもに無関心な黒川君達のおかげで、赤井君達の世話は必然的に僕の役目になった。





「赤井君、桃山君。よろしくね」



赤井君は、頭を撫でようとした僕の手を払い、走って裏庭へ行ってしまった。



「青田君。
 ボクの事は桃って呼んで。

 それから、自分の事は自分で出来るから、ボクを子ども扱いしないで」



「……そう。
 じゃあ、桃。よろしくね」





赤井君は毎晩、夢にうなされていた。





赤井君の部屋から叫び声が聞こえるたび、僕は赤井君の部屋へ行き、赤井君が落ち着くまで抱き締めた。



「大丈夫……。
 大丈夫だよ、赤井君」



赤井君は目を閉じたまま、手足をばたつかせる。





赤井君は夢の中で何と闘っているのだろう。

赤井君の夢の中で、僕はどんな存在なのだろう。



「大丈夫……、大丈夫……」


赤井君を抱き締めたまま、しばらく呪文のように唱えていると、赤井君の手足の動きが弱くなっていき、やがて静かな寝息が僕の耳元で聞こえてきた。



「クッ……」





赤井君をベッドに寝かせて布団を掛けると、シーツの上に涙が落ちる。





何故だろう。



悲しくもないのに、

辛くもないのに……。





悲しみや辛さは、施設にいた頃十分味わって、全てそこに置いてきたはずだ。


だけどあの頃の僕は、

毎晩、声を殺して泣いていた。

閑話(青田の過去)その一

facebook twitter
pagetop