--同年、12月24日。
青年・成人に先行して新生児への治安維持用遺伝子投与が開始される。
統一政府ではその治安効能を期待する一方、一般市民の間ではその日付柄とネガティブな効能から、この遺伝子投与を『ギフト』と称し揶揄された。
◇
「……に、逃げ切れたか?」
息を切らしながら路地裏へと駆け込んだ私は壁にもたれかかってひと息つく。
冷静になるにつれ、スーツの男の言葉が頭の中で木霊し始める。
『道を歩くときは前を見て歩かないとなぁ?』
「違う!あれはヤツらの手口だ!少しでもよそ見をしている人を見つけてはカモにしているんだ!俺は悪くない!」
声を出して繰り返す自己弁護。
しかし、自身を肯定しようとすればするほど、作り物の罪悪感が顔をのぞかせる。
ーーこのままではまずい。罪悪感に飲み込まれるのは時間の問題だ……。
私は握りしめていたスマホの画面を見た。
汗ばんだ指先を拭いてロックを解除すると、ついさっきまで見ていた画面が映し出される。
◇◇◇
祐子
『……もう、別れましょう。』
13:26
◇◇◇
「……なんで……。どうしてなんだよ……!」
それはあまりに突然だった。
確かに一昨日つまらない事で喧嘩別れしてそのままだった。だからと言って、本当に別れ話になるまで発展するなど夢にも思っていなかった。
ーーいや、もしかしたらこれは仲直りのきっかけ作りかも知れない。
楽観的な解釈を盲信するように、先延ばしになっていた返信をする。
◇◇◇
祐子
『……もう、別れましょう。』
13:26
京介
『冗談だよな?』
14:03
◇◇◇
送ったメッセージが読まれるのを待ちわびながら、スマホの画面を見つめる。
……1分、5分、10分。
ただいたずらに時間だけが過ぎていく。
すっかり整った呼吸は、時間の流れをよりいっそう緩やかに感じさせる。
「こんな気持ちはあの時以来だな。」
私はビルの谷間から少ない空を見上げた。
◇
ーー5年前。
それは私達が付き合い初めて間もない頃。
当時、初めての交際に付き合うという距離感がわかっていなかった私は、裕子の誕生日よりも友人との遊びを優先してしまった。
その結果は当然のごとく別れ話にまで発展した。
私の言い訳に対して、裕子は決して耳を貸さず沈黙を守り意思表示を続けた。
一週間後に私の謝罪で事なきを得たものの、こんな無言の圧力はもう二度とこんな事はゴメンだと思ったものだ。
◇
ーーそして今。
再びその危機が眼前に迫っている。
しかも悪いことに、今回の事の発端が全く検討がついていない。
「……一体どうしてなんだ?」
ここ数ヶ月の言動を振り返ってみても、それと思しき事柄が思いつかなかった。
強いて言えば、裕子の表情が曇りがちだったかも、ということぐらいだろうか。
「……ともかく謝ろう。」
メッセージの返信が読むまでは待てない、会わないことには何もわからないと思った私はスマホ越しではなく直接会って謝ることを決めた。
そして、それと同時にズキリと胸の奥に感じる背徳感。
「二回目の謝罪か……。」
『"ごめんなさい"は、その時が来るまで大切に取っておきましょう。』
ギフト世代の私達は幼稚園や道徳の授業でそう言われて育ってきた。
謝ることは大きな損失だと。
しかし、そんな事はどうだっていい。今の私には裕子を失うことのほうが耐えられない。
◇◇◇
祐子
『……もう、別れましょう。』
13:26
京介
『冗談だよな?』
14:03
京介
『今からそっちへ行くから、
直接話そう』
14:22
◇◇◇
メッセージを送信した私は意を決した。
「……よし。見てようがいまいが構わない。直接会いに行く。」
とその時、路地裏の入り口から野太い声が上がった。
「いたぞ、あそこだ!」
先程の当たり屋どもが数を増やして追いかけてきた。
十分回復した私は再び路地裏を反対方向に逃げる。
「お前らなんかに使ってたまるか!!」
私は裕子のもとへ向かうべく、静寂の路地裏を駆け抜けた。