ーー2055年12月24日。

 全人類への『ギフト』導入完了宣言がなされた。
 奇しくもその日付は『ギフト』の導入開始日と同日となった。

 また同時に治安維持が不要となり、司法機関である警察・裁判所が解体された。







 中学三年生の頃、私達は『ギフト』の授業が行われた。

 なんでも人類は謝罪する時に【Y-RST】というものが分泌され、それの分泌量と受容体感度により、謝罪を許容するか否かが本能的に行われているそうだ。

 それに着目した統一政府は罪悪感増幅効果と謝罪受容効果の2つの効能を持つ人工遺伝子【xi-AKU】、いわゆる『ギフト』を開発したという。

 教師の説明は非情に堅苦しいものだったが、人は罪悪感から開放されるためには謝罪が必要で、謝った方は謝罪フェロモンが半分になり、謝られた方は謝罪フェロモン量に見合った要望が言える、といった感じだと記憶している。

 統一政府はなんでそんな事をしたのかというと、「全ての人類が人道的に生きる」ための政策らしい。

「人間の【Y-RST】量は産まれた時が最大で、【Y-RST】は謝罪のたびに半減し、また最大量の【Y-RST】は絶対の謝罪力を持ちます。」

 教師のこの一言は特に私の印象に残っていた。

 つまり、人生で一度目の謝罪であれば要望を受け入れずとも必ず許される、ということなのだ。


 * * *


「なんで今そんな事を思い出すかな……。」

 一抹の不安から過去を省みながらも、現実を直視しなければと裕子の家へと向かいひた走りる。
 幸い親や教師からも謝罪をしなくていい教育を受けてきたおかげで、私は全く謝罪を消費せずに育ってきた。世の中的には恐らく上位クラスの謝罪力を持っているだろう。

 ーーただし、5年前まで。

 絶対ではない謝罪をこれからしなければならない。
 とは言え、まだ二回目の謝罪だ。

「大丈夫だ……。どんな理由であれ裕子はきっと許してくれる。」

 程なくして、裕子の家の前へとたどり着いた。

 すーはーと5回ほど深呼吸をして息を整えた私は、少しためらいながらもインターホンを押した。

「裕子、俺だ。奏汰だ。」

 すると、すぐに

『……入って。』

 という裕子の声が聞こえ、オートロックがガチャリと開き、私を招き入れるかのように扉が開いた。

 門前払いを覚悟していた私は予想外の事に拍子抜けしてしまった。

 オートメーション化されたドアをくぐり、誰もいない玄関へ入る。
 出迎えがあれば幾分気持ちも楽だったろうが、それは贅沢というものだろう。
 廊下の照明は落とされており、突き当りの部屋からはまるで道標のように明かりが漏れていた。

「あの部屋にいるって事か。」

 靴を脱いだ私は、光を頼りに薄暗い廊下を進む。まるでホラー映画の一場面のようだな、と苦笑いしつつも、握った拳には汗が滲み、鼓動は次第に大きくなっていく。
 そして、光源へと到着した時には、私の緊張感は極限に達していた。


「……いらっしゃい、奏汰。」

 光の中へはいると、そこには腕を組んだ裕子が立っていた。

「裕子……。」

 とだけ言葉を発し、しばらく立ちすくんでいた私に裕子は何事もなかったかの様に

「そこに座って。」

 と言ってソファに目をやった。

「……あ、ああ」

 と返事を私はしてソファに腰を下ろした。
 修羅場を想像して来た私は、裕子のいつもどおりの振る舞いに頭が混乱していた。

「何か飲む?」

 と尋ねられたが、何も喉を通る気はしない。

「いや、いい。」

 と、答えると私は続けざまに

「あのメッセージ、どういう事なんだ?」

 と聞いた。

 しかし、裕子はまるで意に介さぬように

「私は紅茶を飲むわよ。」

 といい、キッチンへと消えていった。

「……一体どういうことなんだ?」

 私はますます混乱していた。
 あのメッセージは何かの間違いなのだろうか?

 しばらくして、裕子は二人分の紅茶を持ってきた。

「はい、奏汰の分も淹れたわ。」

「……あ、ああ、ありがとう。」

 裕子はソファへと座り紅茶を口に含んだ。
 私も釣られるままに紅茶を一口飲み、知らぬ間に緊張で乾いていた喉を潤した。

「さっきの質問だけど……。」

「……。」

 裕子は一口二口と紅茶を口に含む。

「あのメッセージの意味を教えてくれないか?」

「……。」

 しかし、裕子は私の質問に何も答えない。

「あれは何かの間違いだよな?」

「……。」

 変わらず沈黙を守る裕子。

「何か俺が悪い事したのか?」

「……。」

 問いかけても何も答えない裕子の姿に、次第に謎の罪悪感が私の心をじわじわと押しつぶす。

 ーー失敗した。

 私は今になって後悔し始めた。対面せずにメッセージ上だったら、本当に話しかけているのに答えて貰えないという恐怖を感じることもなかっただろう。私が作り出したこの場で、醸し出される雰囲気は私自身を責め立ててしまう。

 ーーもうダメだ、言うしか無い。

 何が悪いかも分からぬまま、耐えきれなくなった私は両膝を床につき、手をついて頭を下げた。

「ゴメン!俺が悪かった!」

 すると、これまで沈黙を貫いていた裕子が口を開いた。

「ねぇ、奏多。覚えている?5年前のこと。」

「あの時は本当にすまなかった。裕子の誕生日をほったらかして……」

「違う!」

 突然、裕子は声を荒げた。
 意表を突かれた私は驚いて顔を上げた。

「付き合ってすぐに気づいたの。
 私はアナタの態度がどうしても好きになれないって。」

 裕子は落ち着いた口調を取り戻して続けた。

「けれど、別れようと思っていたその矢先、あなたは私に謝罪をしてしまったの。
 私の誕生日の事で……ね。」

 再び裕子の声に力がこもり始める。

「私はアナタを許容しなければいけなくなった。……『ギフト』のせいで!」

 ーーショックだった。

 これまで付き合って来たのは愛情ではなく、謝罪の力だけによるものだったのだ。

 にわかに裕子の顔から先程までの怒りの表情がすっと消え、にこやかな笑みを浮かべた。

「奏汰、私も今日が初めての謝罪になるわ。」

「……え?」

 ーー何を言っているんだ?

「わざわざ来てくれてありがとう。こうして伝えられるもんね。」

「待って……やめてく……」

 私の静止を聞くことなく、裕子は言い放った。



「別れましょう。ごめんなさい。」




 裕子の謝罪を聞いた瞬間。
 目の前が真っ白になり全身の力が抜けた。
 そして、天にも上るような心地になったかと思うと世の中の全てを許せるような気持ちに包まれた。

 気づくといつの間にか私は裕子の家を出て歩いていた。
 先程までの重い足取りが嘘のように身も心も軽い。

 しばらく行くと、例の当たり屋達が私のことを待ち構えていた。

 ーーもう恐れることは何もない。ヤツラに謝ろう。

 私は許しを請うべく彼らの下へと向かうのだった。









 ーー2061年11月18日
 統一政府は当初予定されていた治安維持効果が発揮されていないことを鑑みて研究チームを発足。

 翌年2月16日
 研究チームより価値観の違いから、罪悪感を抱く基準が全くバラバラであるという調査結果が報告される。その調査結果は世界中を揺るがせ、統一政府に対する不信感が急激に高まった。


 同年4月1日
 妄信的なレジスタンスによりクーデターが発生。治安機関を放棄していた統一政府は敢え無く転覆。類まれなる自尊心を持つ一部の人間による新政府が立ち上がった。

 一方『ギフト』の組み込みは継続され、尊大な人間による卑屈な人間の支配が続いたという。



<了>

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