ーー2049年8月31日。

 世界規模の疫病対策の結果、国境を失った人類は、効果的に治安を維持すべく、とある遺伝子が人工的に組み込まれる事が義務づけられた。





 ランチのビジネスマン達も退き際の昼下がりの繁華街。

 私の右肩に残る軽い衝撃。

 それは、すれ違いざまに肩と肩がぶつかったものだった。


「ぎゃぁぁぁ!!」


 突然野太い悲鳴を上げながら、黒いスーツに身を包んだ屈強な男が大げさに屈み込み、右肩を押さえながらのたうち回る。

「大丈夫っスか、アニキ!!どうしたんスか!?」


 その様子を見た舎弟らしき男が間髪入れずに心配そうに駆け寄る。
 見ればこれまた屈強で強面だ。

 まるで駄々をこねる子供とそれをあやす母親を演じる男ども。
 そのシュールな光景に、私は思考が完全に止まっていた。


「いてぇよ、ヤス!右肩の鎖骨が折れたみたいだ……。それと、躓いた足ところんだ時についた手も折れてる。複雑骨折だ!」

 のたうち回りつつも冷静な症状分析をする兄貴分の男。
 思わず、

「バカな、ちょっと肩が当たっただけじゃないか!どうしてそんな……」

 と、言い返してしまった。
 すると、待ってましたとばかりに舎弟の男が振り向き私の前に立ちはだかる。

「……あーん?」

 言葉尻に込められた独特の迫力に気圧され、私は言いかけた言葉を飲み込んだ。

「あ……、いや、その……。」

 舎弟の男は口ごもる私にきつい視線を浴びせつつ、必要以上に顔を寄せる。

「おいおいおい、あんちゃん。突っ立ってないでさ、なんか言うことあるんじゃないのか?アニキ、こんなに痛がってるぜ?」


 ありえない程の過剰な症状の申告。一連の鮮やかな脅しの手口。そして何よりこの二人の体格と身なり。

 ここで私はようやく事態が飲み込めた。


 ーーああ、当たり屋だ。


 舎弟の男に見下ろされた私は、にわかに全身が熱くなったかと思うと、背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。

 それを制するように、

「やめとけ、ヤス。」

 と丸めたスーツの背中から、突如として落ち着き払った声。

「そのあんちゃん、怯えてるだろ。そんなにガンつけたら言えるものも言えなくなっちまう……。」

「へい、すいやせん。」

 先程までのたうち回っていた兄貴分の男は、何事もなかったようにすっと立ち上がり私の方に顔を向けた。

「……で、そこのあんちゃん。」

 と言いながら私にゆっくりと詰め寄ると、舎弟の男に代わって兄貴分の男が顔を近づける。
 今まで見えていなかった左頬の傷跡がその凄みを増す。

「怪我をしたのは俺が虚弱体質だったから仕方ないとして……。」

 細身の私を前にどの口がそんな事を言えるのか。

「……道を歩く時は前を見て歩かないとなぁ?」

「うう……。」

 理不尽な言いがかりの中に含められる、こちらの過失。
 次第に罪悪の感情が頭をもたげる。


 ーーダメだ、認めるな……。これがコイツらのやり口だ。認めたら持って行かれる……。

 そう思った私は増幅する罪悪感を振り払うように、私は脱兎のごとく走り出した。

「あ、アイツ、逃げやがった!」



「こんなところで絶対に謝るもんかッ……。こんなところで……。」


 私は謝罪の浪費を回避すべく、力の限り走った。

昼下がりの演劇

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