この屋敷の庭には蔵があり、

そこは長年『開かずの間』になっている。





桃の節句。



毎年、青田君が畳敷きの大広間に七段飾りの雛人形と桃の花を飾り、

白石君と赤井君がケーキを買いに行く。



俺がちらし寿司を作り始めると

お嬢のテンションは最高潮を迎えるが、

今年は少し違った。



大広間に七段飾りの雛人形が二組飾られていたからだ。



「青田。左が私の雛人形で、

 右が母さんの雛人形ですか?」



「そうだよ。

 倉庫を整理していたら見つかってね。

 折角だから今年はお嬢のお母さんの分も飾ってみた」



「不思議ですね……。

 母さんが小さい頃、

 この屋敷で暮らしていたなんて……」



お嬢が珍しく雛人形の前で正座をして、じっと眺めていた。



「母さんは小さい頃、

 どんな人達に囲まれて育ったのでしょうか……。

 私みたいに賑やかに暮らしていたのかな……」



「お嬢はお母さんから、

 お嬢のお母さんが小さかった頃の話を

 聞いた事がないの?」



桃もお嬢の隣に座って、

雛人形を見つめながらお嬢に聞いた。



「うん。この屋敷に連れて来られた時、

 母さんがこんなに大きな屋敷のお嬢様だった事を知って驚きましたよ。

 母さん、小さい頃は私に似ていたのかな……」



「僕達が屋敷に来た頃は、

 この屋敷に誰も住んでいなくてね……。

 お嬢のお爺さんも、ほとんど海外で生活していたから。

 最初は僕と黒川君と白石君の三人で暮らしていたんだよ」



「えー?

 黒川と白石と青田の三人で生活?

 全く想像出来ない……」



青田君の言葉に、お嬢が驚いている。



お嬢がこの屋敷に来た時から俺達は、

なるべく過去に触れないようにしてきた。



あの『開かずの間』になっている蔵の中に、

お嬢の母親が屋敷を出ていく前の思い出の品が詰め込まれているのは知っていた。



俺は、その思い出を見た時の

お嬢の反応を見るのが怖くて、

あの蔵をずっと開けられずにいた。



「お嬢、

 お前の母さんの思い出の品を見たいか?」



「え? 母さんの写真があるのですか?

 見たい見たい!」



お嬢がこちらを振り返り、

パッと瞳を輝かせた。



「ボクもお嬢のお母さんを見てみたい」



桃も目を輝かせる。



「……いや。

 俺も蔵の中を見るのは初めてだから、写真が残っているかどうかは分からないが……」



「いいよ。宝探しだー!」





俺はお嬢と青田君と桃を連れ、


庭にある蔵に向かった。



「こ、この蔵……」



一瞬、お嬢の動きが止まった。



「お嬢、どうしたの?」



「小さい頃から黒川に

 『この蔵の中は暗黒世界と繋がっている』

 と、散々脅かされ続けてきましたから」



「ハハハ!」



扉の鍵を開けると蔵の中に光が指し、

カビ臭さと共に埃が舞い上がるのが見えた。



俺達はマスクとゴーグルとゴム手袋を装着し、

懐中電灯を持って蔵の中に入った。



「お。早速お宝発見!

 古いテレビゲームを見つけました。

 黒川、これ使えるかな?」



「さあ、どうだろう。

 長い間使われていないからな」



「後で試してみてもいいですか?」



「ああ」



 

お嬢がテレビゲームを探すのに

夢中になっている間、

俺は引き出しの中から一冊の古い日記を見つけた。



パラパラ捲ると、

恐らくお嬢の母親が書いたものだろう。



この屋敷の不満が綴られていた。



「お嬢、アルバム発見!」



桃の声に、慌てて日記を閉じ、

引き出しの更に奥へ隠した。



「黒川、写真が見つかったって。

 見に行きましょう」



「あ、ああ……」



声のする方へ行くと、

お嬢達が懐中電灯で照らしながら

木箱に入った古いアルバムを取り出していた。



「蔵の中では見づらいから、

 一旦、屋敷に持って帰ろう」



「うん」



青田君と桃がアルバム数冊を持ち、

お嬢がテレビゲームを抱えて蔵の外へ出たのを

確認した後、再び蔵の扉を閉ざし、鍵を掛けた。





雛人形を飾っている大広間へ戻ると、

ケーキを買いに行っていた白石君と赤井君が

座って待っていた。



「何ですか! 全員埃まみれになって。

 お嬢、頭に蜘蛛の巣が付いていますよ!

 寿司を食べる前に、風呂に入って着替えて来てください」



「ハーイ」





皆が風呂から出て大広間に集まると、

白石君が蔵から持ち出した

アルバムやテレビゲームを綺麗に拭いて、除菌していた。



「何ですか? これは」



「白石、赤井。

 このアルバムは、多分、私の母さんが

 この屋敷にいた頃のものですよ。

 うー。初めて見るから緊張しますね」



お嬢がアルバムの表紙を開くと

バリバリと音がした。



長い間置きっぱなしにされていたようで、

相当痛んでいる。



「これが母さん……?」



屋敷の前で沢山の大人たちに囲まれている

一人の少女。



写真は色褪せていたが、

真っ白いワンピースを着た色白で長い黒髪の

美少女であることは分かった。



「母さん、綺麗……」



「お嬢は父ちゃん似なんじゃないのか?」



「む。赤井、それはどういう意味ですか?」



「アハハ!」



アルバムにはお嬢の面影が少し残る少女の写真が沢山貼られていたが、どれも笑っていなかった。



「お嬢。

 お嬢とお母さんの思い出って何かある?」



桃がお嬢にさりげなく聞いた。



「うーん、思い出ですか……」



「あ。無理に思い出さなくても良いよ?」



「思い出と言えば……。

 母さんは側転が得意でした」



「エ? 何? その思い出」



「でも、住んでいたアパートが狭すぎて、

 室内では出来ないから

 公園で見せてあげるって。

 父さんと私を連れて三人で公園へ行きました」



「それで? 側転を見せてくれたの?」



「はい。

 『回れ、烈火のごとく! 家計は火の車!』

 と、叫びながら公園中を

 グルグル回転していたので、

 ギャラリーがどんどん増えていき、

 お捻りも飛んできて。

 帰りにそのお金で焼き芋を買って、

 三人で分けて食べた記憶があります」



「お嬢の性格は母親譲りですね」



「白石、それは褒めているのですか?」



「もちろん褒めていますよ?」



「お前の母さんは、

 この屋敷を窮屈に思っていたのかも

 しれないな……」



「全然窮屈じゃありませんよ。

 この広い屋敷の長い廊下なら。

 側転が何回出来るかな?」



「いや。そういう意味ではなく……」



「ん?」



あの日記を見たせいか、

余計な事を言ってしまった。



皆の視線がこちらに集中し、

しばらく沈黙が続いた。



お嬢は、その空気を気にする素振りも見せず、

少し首をかしげてクスッと笑った。



「皆さん。

 何を隠そう、この私も側転が得意なのですよ。

 見ていただけますか?」



お嬢が立ち上がり、

おもむろに皆の周りを側転し始めた。



「回れッ! 烈火のごとく! 家計は火の車ー!」



「おお! お嬢、凄い!」



「ふはははは!」



「そのセリフ、

 屋敷の外では言わないでくださいね」

「お嬢、もうそろそろ止めておかないと、目が回って……」



俺がそう言いかけた瞬間、

お嬢はちらし寿司が入った寿司桶に

頭からダイブした。



その後は察しの通り。

雛祭りらしく、雛壇と雛壇の間に

小一時間ほどお嬢を飾った。



「ううっ。

 お寿司とケーキ、

 私の分も残しておいてくださいね……」





お嬢は

お嬢の母親とは違う。



お嬢は俺の手で幸せにしてやりたい。



過去は振り返らなくて良い。



真っ直ぐ前だけを見て欲しい。







ちなみに、

お嬢が蔵から出してきたテレビゲームは、

平凡な少女がある日突然男たちに

モテ始めるところから物語を進めていく、

いわゆる『恋愛シミュレーションゲーム』ばかりだった。



お嬢の、

あの夢見がちなポエムのルーツは

多分ここにあるのだろう。



「思い出と言えば……。母さんは側転が得意でした」



「エ? 何? その思い出」



「でも、住んでいたアパートが狭すぎて、室内では出来ないから公園で見せてあげるって。

 父さんと私を連れて三人で公園へ行きました」



「それで? 側転を見せてくれたの?」



「はい。『回れ、烈火のごとく! 家計は火の車!』と、叫びながら公園中をグルグル回転していたので、ギャラリーがどんどん増えていき、お捻りも飛んできて。

 帰りにそのお金で焼き芋を買って、三人で分けて食べた記憶があります」



「お嬢の性格は母親譲りですね」



「白石、それは褒めているのですか?」



「もちろん褒めていますよ?」



「お前の母さんは、この屋敷を窮屈に思っていたのかもしれないな……」



「全然窮屈じゃありませんよ。

 この広い屋敷の長い廊下なら、側転が何回出来るかな?」



「いや。そういう意味ではなく……」



「ん?」



 あの日記を見たせいか、余計な事を言ってしまった。

 皆の視線がこちらに集中し、しばらく沈黙が続いた。



 お嬢は、その空気を気にする素振りも見せず、少し首をかしげてクスッと笑った。



「皆さん。何を隠そう、この私も側転が得意なのですよ。

 見ていただけますか?」



 お嬢が立ち上がり、おもむろに皆の周りを側転し始めた。



「回れッ! 烈火のごとく! 家計は火の車ー!」



「おお! お嬢、凄い!」



「ふはははは!」



「そのセリフ、屋敷の外では言わないでくださいね」



「お嬢、もうそろそろ止めておかないと、目が回って……」



 俺がそう言いかけた瞬間、お嬢はちらし寿司が入った寿司桶に頭からダイブした。



 その後は察しの通り。

 雛祭りらしく、雛壇と雛壇の間に、小一時間ほどお嬢を飾った。



「ううっ。

 お寿司とケーキ、私の分も残しておいてくださいね……」



 お嬢は、お嬢の母親とは違う。



 お嬢は俺の手で幸せにしてやりたい。

 過去は振り返らなくて良い。真っ直ぐ前だけを見て欲しい。





 ちなみに、お嬢が蔵から出してきたテレビゲームは、平凡な少女がある日突然男たちにモテ始めるところから物語を進めていく、いわゆる『恋愛シミュレーションゲーム』ばかりだった。



 お嬢の、あの夢見がちなポエムのルーツは多分ここにあるのだろう。

閑話(黒川とお嬢の日常)その3

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