黒川は私を抱えたまま、
黙って私の部屋へ連れて行く。



「黒川、降ろしてください。
 挨拶もせず退席するなんて
 失礼じゃないですか。
 せめて玄関まで王子様達を
 見送らせてください」


「お前、自分の着ているジャージを
見てみろ。
 鼻血まみれで見送られても、
 恐怖でしかないだろう」



「王子様は、そんな些細な事で
 動じたりしませんよ」



「見送りなら青田君と白石君に
 任せてあるから心配するな」

「でも……。
 折角『梅田の羊羮』の話で
 盛り上がってきたところ
だったのに……」



「……」





部屋に到着すると、
黒川はベッドの上に私を降ろし、
着替えのジャージをクローゼットから取り出して、ポンと投げてきた。



「早く着替えろ。
 シミになったら白石君に怒られる」


「うん。
 ……あ、黒川」



「何だ?」



「今から着替えますから、
 絶対見ないでくださいね」



「見るわけないだろう!
 早く着替えて、脱いだジャージを
 こっちに寄越せ」



「脱いだジャージを
どうするつもりですか?」



「染み抜きに決まっているだろう。
 それ以外に何があるんだ?」


「別に。聞いてみただけ」


「……」



黒川は溜め息を付きながら、
椅子に腰を降ろした。



「あッ! 黒川。
 今、こっちを見ましたよね?
 私のパンツ、見ましたよね?」



「いや、見ていない。
 見たのではなく、見えただけだ。
 seeとlookの違いだ」

 

「英語など使われても、
 さっぱり分かりませんよ」

「お前の、
 水玉が横に伸びきったパンツなど
 全く興味がないから安心しろ」


「しっかり見ているじゃないですか。
 それにこれは
 水玉が横に伸びてしまったのではなくて、
 もともと楕円柄のパンツですよ。
 只今、若者の間で流行中の
 オパール柄パンツなのです」


「……」




フフッ。

黒川が黙った。

若者の流行に
付いて行けないようですな。



「お嬢。楕円はオパールではなくて
 オーバルだからな。
 今日中にオパールとオーバルの綴りを
 百回ずつノートに書いて持って来い。
 ついでにseeとlookの違いも調べて
 ノートにまとめて来い」



うわー。



余計な事を言ったせいで、
面倒臭い話になってしまった。


早く話題を変えて、
この面倒を回避せねば。





「く……、黒川。
 恋とは切ないものですね」



「突然何だ?」



「王子様達との楽しいひとときは、
 あっという間に過ぎ、
 私はただのジャージ娘に戻るのです」



「楽しかったのか。
 それは良かったな」



黒川がそっけない返事をする。




「王子様達、優しかったな……」



「気に入った奴でもいたのか?」



「皆優しくて、皆イイ!」



「ああ、そうか」



「黒川は、
 どの先輩が良かったですか?」



「別に」



「黒川。
 先程から返事がそっけないですね」



「そうか?」



黒川は座っていた椅子から立ち上がり、
私が座っていたベッドの隣に腰を降ろした。

「く……、黒川。何?」



「じっとしていろ」



黒川の手が私の目の前に伸びてきたので、

私はぎゅっと目を瞑った。



「鼻血、止まったみたいだな」



黒川が
私の両方の鼻に詰め込まれたティッシュを引き抜いてゴミ箱に捨てた。


心臓がドキドキしている。


「お前。
 金や食べ物で
 相手を選ぼうとしているだろう」



「そ……、そんなことしませんよ」





カネカネ言っていたのは
黒川達の方だからね!


「梅田の羊羮を
 随分気に入っているようだが、
 梅田家に嫁いでも、
 お前に老舗和菓子店の女将が
 務まるわけがないし、
 毎日羊羮が食えるわけではないからな」



「し……、知っていますよ。
 それくらい。
 それに高級羊羮は、
 滅多に食べられないから高級なのであって、毎日食べるものではありませんよ。
 毎日食べるのなら、高級羊羮より
 黒川が作ってくれるご飯の方がイイ!」



「そうか?」





一瞬、
黒川の目が輝いたように見えた。


「当たり前ですよ。黒川飯、最高!」



「ハハッ! そうだよな!
 さて、夕食の準備でもするか」



あ。
いつもの黒川だ。



黒川は
座っていたベッドからスッと立ち上がり、


「その鼻血まみれのジャージ、
 ちゃんと白石君に謝っておけよ。
 それから、英単語の書き取りは
 必ず今日中に持って来い。
 持って来るまでずっと待っているからな」


そう言い放って、
鼻唄混じりに部屋から出て行った。



「あ……、黒川。
 ジャージの染み抜きは……?」





その言葉を発する頃には
黒川の姿はなかった。



一体何だったんだ……。



その後、
自分なりにジャージの染み抜きに
挑戦してみたが、染みは薄まるどころか
広がる一方で、

結局、白石を激怒させてしまった。



英単語の書き取りは睡魔との闘い。



そもそもオーバルやオパールは、
私の人生の中で使い道のある単語なのだろうか……。



書き取りが終わったのは夜中の二時だった。





まあ、それまで黒川は
本当に起きて待っていたし、
大きな花丸とホットココアを頂いたので、よしとしよう。



ただ黒川に着替えの一部始終を

見られただけだよね……。

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