駿河恵司

まぁ、真実というよりかは俺の推測だがな

 恵司はそんな前置きと共に話し始めた。
 曽根崎心中――多くの人は名前しか聞いたことが無いのだろうが、これは近松門左衛門という有名な作家が記した代表的な心中ものである。ちなみに、心中というのは、恋愛関係にある男女が合意の上で同時に命を絶つ行為の事を言う。
 恵司はつらつらと曽根崎心中の内容や、そこで描かれた心中の美学を淡々と語った。

埴谷義己

理解出来んな……。わざわざ死ぬなど

駿河恵司

だから椎さんとも倦怠期入ってんだろこのイ○ポ

埴谷義己

なっ……

 椎とは埴谷が大学時代から付き合っているという彼女の名前である。しかし、埴谷の記憶の中には彼女の事を恵司に話した記憶は無い。不思議に思って埴谷が音耶の顔を見ると、彼はそっと目を逸らした。つまり、犯人は彼である。

駿河恵司

心中の意義についてはまぁ後で話すとして、今回の事件の話に戻るぞ

 埴谷を無視し、恵司はいつもの淡々とした様子で話し始める。
 彼は周りの目を気にせず、声量もいつも通りで話すために場合によっては場所を気にすることになるが、今回はここが事件現場のため、不謹慎かもしれないが不幸中の幸いともいえた。

駿河恵司

まず、徳介、初、平治という一番最初の事件の関係者の名前だな。言うまでもないと思うが、これは徳兵衛、お初、九平次っていう名前が偶然にも揃っちまったというわけだな。相似点は多いが、全部は別にいらないし、必要なとこだけ拾うぞ

 徳介と平治が親友であり、しかも平治に金を持ち逃げされ、仕事も大失敗。結果として初と駆け落ちすることになるが、最初から心中目的のものだったのだろう。恵司はそう述べ、遺体の状況と曽根崎心中における心中方法について話し始める。

駿河恵司

小刀みたいなので首を一突き、ってのは作中と同じだ。お初の持ってた小刀で、徳兵衛はぐっさりやるんだよ。だが戯曲と違うのは、どうしてかは知らんが徳兵衛……もとい徳介は死なず、結果として心中もどきを繰り返してるってとこだ。恐らくは自分に恋させて心中しようと持ちかけ、先に死んでもらって自分は生きる。死人に口なしって言うしな

埴谷義己

だ、だが、女性側も心中しようなんて受け入れるのか? 死ぬんだぞ? 阿呆だろう

駿河恵司

だーかーらーねー。……アナムネーシスってご存知?

 埴谷が正直な感想を口にすると、恵司はやれやれと首を振り聞きなれない言葉を口にした。埴谷には全く聞いたことのない言葉のため、上手く聞き取れずにいると、彼は「アナムネーシス」ともう一度繰り返した。

駿河恵司

アナムネーシスっつーのは想起って意味だ。思想家のプラトンって言えば名前くらい聞いたことあるだろ? そいつが提唱した理論で――

 話が難し過ぎると、埴谷が頭にハテナを浮かべていると、音耶が恵司の話を止める。そこでやっと埴谷の様子に気付いた恵司はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべ、小さく口を動かした。声こそ聞き取れなかったが、明らかに埴谷を馬鹿にしたのだろう。

駿河音耶

今必要な考え方としては、生まれる前に男女は一つで、生まれるとそれは分かれてしまうっていう話です。だから、本来の一つだった頃を思い出して、元の姿に戻るために恋愛でつがいを見つける、という奴ですね。これ自体は人間球体説、とか言ったりしますが、難しい話は抜きにしましょう

 端的に音耶が纏めたが、それが無ければ恵司はどこまで話す予定だったのか、それを考えた埴谷は頭が痛くなることに気付いたため、首を振って思考を止めた。

駿河音耶

それで、心中というのは元の一つに戻るための一種の過程というわけです。魂を閉じ込める肉体を否定、つまりは死に至らせることで魂は解放されますから、ようやく相手と一つになれるというわけですね

埴谷義己

む、ぅ

 とは言われたものの、埴谷にはさっぱり理解することが出来ない。だがここでこれ以上聞いても分からないだろうし、彼は二人、もとい恵司に「続けてくれ」と話を促す。くすりと小さく笑ったところを見るに、埴谷が話を理解していないことにも気づいているだろうが、あえて何も言わず、恵司は話を再開した。

駿河恵司

動機に関しては詳しいことは茂浦徳介に直接聞かないと分からんが、この理論が正しけりゃ犯人なのは確定だろうな。ついでに言えば今のは全部推理だから証拠が残ってるかもわからん。更に単なる偶然でしたで片付く可能性もある。ホントかどうか確かめたりするのは警察の仕事だ頑張れ、以上

埴谷義己

丸投げじゃないか!

駿河恵司

そんなこと言われてもーん? 俺ただの一般人だしー? ソウサとかリッケンとかわかんなーい

 疲れたから帰る、と手をひらひらと振りながら身を翻して帰ろうとする恵司。埴谷は彼のあまりの自由な行動ぶりに、何も言えずそのまま帰してしまった。
 残された埴谷に、音耶は「すみません」と小さく頭を下げていた。

第一話 ⑥ 机上の空論と言う名の推理

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