2050年――現実世界の日本では、アンドロイドの普及から5年の年月が経っていた。

コンピュータが全人類の知能を超えるとされていた「2045年問題」からも、5年の年月が経ったわけだ。

2045年を契機に、世界はみごとに変わってしまった。正確にいえば、「ロボット大国」と再びいわれるようになった日本を中心として。

まず初めとして、メディアが変わった。
数十年前から「ロボットは人間の友達ですよ」といわんばかりに媚びへつらう傾向にあったのは確かだが、現在はもっとひどい。

今年販売された新型アンドロイドは、神秘的ですよね
前作とは比べものにならないですよ! 
まさしく真善美をそなえた存在というか――

そうですね、しかも人間そっくりですし
私たち人間が淘汰されてしまわないか不安ですよ
最近、科学教徒が熱心にアンドロイドを祀り上げているようで――

その次に変わったのは、美しいもの・便利なものを単純に好む国民だった。

もともと日本は、古くから神道の信仰がねづいていたせいか、日常的なものや自然現象でさえ霊的生命がやどっていると考える人が多かった。

そのせいか、見目麗しいアンドロイドにも「とうぜん命が宿る」とさえ思うようになったのだ。

アンドロイドは神の御姿に違いない

彼らは救世主なのよ!
私たちは服従するのみ――

やがて、こういった考えは国民の間に広まっていき、ついには「科学教」という存在ができあがってしまったのだ。

「科学こそが、真理だ――」
まるで科学そのものが神であるかのように、
まるでアンドロイドがアイドル(偶像)のように、
人々はのめりこんでいってしまった。

そうやって、短期間のうちに事実上の国教となってしまった科学教。

その教徒は普段穏やかではあるが、最近は敬虔(けいけん)すぎる信者が日本の神社・仏閣を壊すありさまだ。深刻な社会問題としてあげられることも少なくはない。

社会秩序というものは、常に均衡を保とうとする。
次に現れたのは、その反対勢力であった――。

排斥団体

あっちに浮浪アンドロイドが逃げたぞ!

排斥団体

何としてでも捕まえろ! この誇りある未来区に、粗大ゴミを放ってはいけない


ヤナギはちっと小さく舌打ちをして、うしろを振り返った。
後ろからは、狂信的なアンドロイド排斥団体のメンバーが追ってきているではないか。

血眼の彼らは、必死に宿敵を追いかけるような表情をうかべている。それも無理はない、なぜなら――。

柳(ヤナギ)

だーかーら! 
僕はあなたたちの家族を殺していませんよぉ?

間延びした口調で、挑発するように舌を出しながらヤナギは嘲笑した。
そう、大切な家族をアンドロイドに奪われた人間――排斥団体に向かって。

排斥団体

この屑鉄が!! 
ぶっ殺してやる! 
てめぇの中にあるコードをぜーんぶ出して引きちぎってやらぁ!

敵愾心(てきがいしん)をあらわにした敵はわめき散らす。

柳(ヤナギ)

はははっ

突然、ヤナギは立ち止まる。

後ろから追いかけてきた団体に体を向けると、まさか立ち止まるとは思ってもみなかった団体メンバーは口をあんぐりと空けた。

その様子を見て、ヤナギはさもおかしげに吹き出す。

柳(ヤナギ)

やれるものならやってみればあ? 
お偉い人間さんたちよお

煽る言葉をなげかけると、

排斥団体

んだと!? 舐めやがって……!

団体のうち、赤ら顔の中年男性が全速力で駆け寄り、ヤナギの頭を狙って金属バッドを振り回す。

しかし、ヤナギは全く意に介さないといった表情で攻撃を避け、近くの塀に軽々と乗りあがった。

柳(ヤナギ)

全く、古典的な攻撃ですねえ
団体のくせして、寄付金でどうにかならなかったのですか、それ

それ、と金属バッドを指さす。すると団体メンバーは口々に罵詈雑言を吐き出すが、ヤナギは相変わらず薄ら笑いのまま、自分より劣った下等生物を見下ろしていた。

柳(ヤナギ)

まあ、どうでもいいんですけどねえ
じゃ、僕はこれで

群青色に染まった夜空にとけこむヤナギ。ここまでは、団体から逃げ回る日常としていつも通りであった。しかし――。

排斥団体

死ね、糞アンドロイドめ!!

柳(ヤナギ)

!?

ヤナギは目を見開き、「しまった」と声を出そうとした。
しかし、時すでに遅し。
唐突として後ろ首に熱が走り、眉をしかめた。

背後で団体の笑い声が聞こえるが、ヤナギはそれどころではなかった。震える手で後ろ首に触れると、ドロリとしたものが手に付着する。

黒い液体――アンドロイドの体液であった。それは傷口から出たものだが、それだけならまだいい。問題は、その傷口の種類であった。

柳(ヤナギ)

コードを……

ヤナギは冷笑を浮かべたままであったが、内心は酷く焦燥感を抱いていた。そう、その傷は『V‐1015』というコードの形に抉られているのだ。

排斥団体

これでどこへ行っても、逃げ切ることはできないぜ! 一般人にも浮浪アンドロイドだってバレちまうな? はーははは!

本日何度目かの舌打ちをしたヤナギは、優越感にひたりまくる醜悪な人間を睨みつけた。

人間はやっと形勢逆転できたとばかりに気を抜いており、ヤナギが既に目の前にいることに気づくのに後れをとった。

柳(ヤナギ)

うっさいですねぇ……
せっかく「慈悲深く」手を出さないでやろうと考えていましたのに

ヤナギの手には、最新式の銃が握られており、銃口は言わずもがな男のこめかみに当てられていた。
ぐりぐりと容赦なく銃口を押し付けると、男の額からは脂汗が流れ落ちる。

排斥団体

ま、待て
アンドロイドは人間を傷つけたりはできない、だろう!?

柳(ヤナギ)

ええ、「普通のアンドロイド」ならばできませんねぇ
ロボット工学三原則がありますから、人間に対して危害を加えることはできない
ああ、説明する必要性がないので――


ヤナギは笑みを深くして、躊躇う様子もなく引き金を引いた。銃声はなく、しかし男は頭に計り知れないほどの衝撃が走ったようで、声にならない阿鼻叫喚が喉の奥へ消えていった。

その後、あっけなく男の身体はアスファルトに吸い寄せられる。息はもうしていなかった。

棒立ちで見ていた他の団体は、恐怖のあまり一目散に逃げる。その際、吐き捨てた言葉をヤナギは聞き逃さなかった。

「人殺しアンドロイド!!」

柳(ヤナギ)

人聞きの悪いことを言いますねぇ

最新式の銃は一瞬青白く光る。
その銃口から男の阿鼻叫喚が蚊のなくような声で数秒流れると、なにごともなかったように静寂に包まれた。

銃のエネルギーの無駄遣いをしてしまった、とごちりながらヤナギは男の身体を踏みつける。

柳(ヤナギ)

かの有名なデカルトは言いました
『我思う、故に我あり』と

子守唄のように穏やかな口調ではあるが、対照的にその声のトーンは低く、夜風よりも冷たい。

柳(ヤナギ)

しかし我々アンドロイドは『我思わない、しかし我あり』
感情という重荷は捨て、計算して自己学習することが存在証明なのです

あなたたち人間と、アンドロイド
どちらが存在価値が高いと思いますか、抜け殻さん?

クスクスとおかしげに笑いながら男の頭をぐりぐりと踏みつけ、ようやく足を上げる。動かなくなった男の顔を見て、ヤナギは冷笑を濃くした。

柳(ヤナギ)

はははっ お人形遊びしてる場合ではありませんよねぇ
『アダム様』のために頑張らないと、ですね

爛々と光る瞳をたずさえ、ヤナギは夜霧へ消え去ったのだった。

今日未明、未来区でアンドロイド排斥団体のメンバーと思われる遺体が――

虚ろな目で語る、女性アンドロイドのニュースキャスターと目が合う。

女性から見ても麗姿だと認めざるを得ないニュースキャスターは、物騒な事件を口にしているにもかかわらず、計算された作り笑いを誇っていた。最近は人間のニュースキャスターは見かけなくなってしまった。

それにしても、この理想都市とうたわれる「未来区」で殺人事件とは珍しい。誰が犯人なのかしら。
そんなことを考えつつ、身を乗り出してモニターを見つめるレイリに、ニビは苦言をていした。

鈍(ニビ)

レイリ様、普通は物騒な事件を耳にして目を輝かせたりはしませんよ

橘玲梨(レイリ)

なーによ! いいじゃない
毎日同じことの繰り返しに飽き飽きしてるの

唇を尖らせてぶーぶーと不満を言うと、ニビは降参だと言いたげに長嘆息した。

鈍(ニビ)

レイリ様はいつまで経っても子どもですね

橘玲梨(レイリ)

あらまあ、失礼! 生憎、私は大人よ? 
16歳っていったら昔だともう立派な大人だし、結婚だってできるじゃない。
それに私には好きな人が――

そこまで言葉を滑らせて、しまったと言わんばかりに口に手を置く。しかしニビには全てお見通しで、無表情のまま鋭い目線をよこした。

鈍(ニビ)

へえ、レイリ様がどなたかに慕情を抱いていると? 初耳ですが

橘玲梨(レイリ)

え、あ、いやいや! 
違うの、好きって言ってもラブじゃなくってライクよ! 
あ、なにその目。疑ってるでしょ?

鈍(ニビ)

もちろんです。なぜなら――

ニビの手が伸び、思わずびくりと肩を震わせた。
ニビの病人のように白い手はレイリの額を優しく撫でる。
するとほっとしたようににへらと微笑んでみせるが、それは間違いだったようだ。

鈍(ニビ)

脳波から読み取るに、嘘をついていますね

橘玲梨(レイリ)

ちょっと、酷いわ! 
わ、私の情動計測はしないでって命令してるでしょ!?

鈍(ニビ)

レイリ様は『ロボット工学三原則』を覚えていらっしゃらないのでしょうかね

第二条には、人間の命令に服従しなければならないと記されていますが……

第一条には、人間の危険を見逃してはならないと記されています

鈍(ニビ)

レイリ様のお相手は、レイリ様に見合う相手でないといけません
粗暴者に捕まるという危険は最小限にしないといけません
ご両親からもそう申し付けられていますので

分かってるわよ、そんなこと――。
みるみるうちに目が翳っていくレイリに、ニビの口元は一瞬だけ弧を描いていた。それは客観的に見ても、幼子をあやす時にする微笑みではない。

ニビより頭一個分背の小さいレイリは、意を決したように拳を握りしめてキッと睨み上げた。

橘玲梨(レイリ)

で、でもね。私は自由がほしいの
自由に人を好きになって、自由に結婚したい
……顔も知らない両親よりも、ニビを信頼してるの
ニビは、両親の命令抜きにして私の自由を望んでくれるよね? ね?

爪先立ちになって必死に我を通そうとするレイリ。
きっとこうやって訴えかければ、鉄面皮なニビも少しは理解してくれるだろうと踏んだらしいが、それは機械には通用しなかった。ニビは冷たい表情のまま、淡々と語りだす。

鈍(ニビ)

レイリ様、自由と我儘は別物です
自由というものは、ある程度の制約の範囲内で保障されるものです

ミクロ経済学で言うと、予算制約線上でしか効用が最大化できないように――

橘玲梨(レイリ)

ああもうそんな話をしてるんじゃないの! 私の自由を無差別曲線と予算線で例えないでよ
もう、この堅物!

――やっぱりニビには思春期の女の子の気持ちなんて分からないのよ! と、業を煮やしたレイリは目を三角にして声をはりあげた。

ニビの胸板を押しのけて、憤然としたまま背を向けた。
イスにかかっていたコートを羽織り、夕日が差し込む玄関へ歩幅を大きくして向かった。

唇を尖らせたまま不器用に靴紐を結ぼうとするレイリを助けようとするニビの手を振り払って、

橘玲梨(レイリ)

自分でする!

と子どものようにそっぽを向き合がら言った。

鈍(ニビ)

レイリ様、もうじき日没でございます
このニビが――

橘玲梨(レイリ)

ついてこないで! 
どーせ危険を察知したら、頼まなくても来るんでしょ? 
それまでは来ないで、これは命令よ!

命令、という単語にニビは目を見開かせてその場に立ちすくむ。その様子を見て少し優越感を抱いたレイリは、腕につけてある通信機器を指さしながら

橘玲梨(レイリ)

私が連絡するまで留守番ね

と言って背を向けた。

鈍(ニビ)

――いつの間に反抗期になったのでしょうか

地面に足を縫い付けられたように動かないまま、ニビはレイリの小さくなっていく背中を見届けていた。

すると突然、鈍色の目が深紅に染まる。と同時に、搭載されている人工知能にノイズが走り出した。
ジリジリ……。

鈍(ニビ)

――うるさいですよ
ただのサンプルのくせに口答えするつもりですか

ジリジリ……というノイズの合間に、切なげな声が混じる。

「ちが……の……な、ん……あの子、な……の」

レイリは意気揚々と夕日に向かってスキップをしていた。
はたから見ると、完全に頭がおかしい人だ。だからこそ、完全にこの空間で彼女の存在は浮いていた。

この未来区では、遺伝子改良されて生まれた『スーパーアチーバー(強化人種)』が凝集している。

彼らは頭が良いことはもちろんのこと、性格は比較的穏やかだ。平和を好み、控えめで、周りに合わせて行動する。

実はレイリもスーパーアチーバーに含まれるわけだが、他の人とは明らかに違う言動をとる。

個性こそが彼女にとっての正義なのだ。
そのせいか、当人は不審そうに見てくる目なんてお構いなしに、久しぶりに一人で外出できる喜びに胸を弾ませていた。

橘玲梨(レイリ)

やーっとニビから解放された! 
ニビったらいつまで経っても子ども離れできない親みたい
がみがみ五月蠅いっての

ここは未来区郊外といえども、喧噪な市街だ。
高層ビルが立ち並び、優しげに微笑む没個性的な人々が行き交う。

そのなかにはもちろん、アンドロイドも混ざっているが、一見分からない。それは「不気味の谷」を超えてしまったからだ。

数十年前は全身が金属でできたロボットが存在したというが、今となってはそんなロボットは博物館でしかみられない。

一見分からないことに一抹いちまつ)の恐怖心はあるものの、レイリにとってはそれさえも冒険のなかにあるスリルのように感じていた。


目的地のない散歩を楽しんでいると、茜色だった空は徐々に宵色に変わる。肌に突き刺す寒気にぶるりと身を震わせた。

その刹那、前方数十メートル先から明らかにおかしなどよめきが起き、それがドミノ倒しのようにこちらへ伝わってきた。

橘玲梨(レイリ)

な、なにごと……?

人垣をかきわけ、なにかがこちらへ近づいてきているのは明らかだった。穏やかな表情を浮かべていた周囲の人々は一変、青ざめた表情でさっと避けていく。

ぼうっとその対象を見ていると、ついに目の前にそのドミノ倒しの動力源が現れた。

橘玲梨(レイリ)

あ……!

ドシンと重たい衝撃が体に走る。
もちろんレイリは尻もちをついたわけだが、ぶつかった彼――さらさらとした柳色の髪、ニビと同様の陶磁器のような肌、そして幼くも整った顔立ちをした男はよろけつつも体制を整えた。

純粋に綺麗だなと思いつつ眺めていると、彼は薄ら笑みを浮かべたまま目を細めた。

柳(ヤナギ)

邪魔ですよ、のろま

今、この人はなんて言った?
すぐに理解できずに口を空けていると、男はおまけとばかりに舌打ちまでしてくれるではないか。

橘玲梨(レイリ)

な……何ですって! 
あ、ちょっと待ちなさいよー!

非常に失礼な言葉を吐き捨て、男はなにごともなかったように立ち去った。
その際ちらっと彼の首元に赤いコードが刻まれている様が目に入る。

目を見開かせてそのコードを目で追っていると、彼に向って罵声をあげながら追いかけるアンドロイド排斥団体が横切って行った。

――なるほど、彼は浮浪アンドロイドだったのか。

たいてい、浮浪アンドロイドはすぐに捕まえられて、廃棄処分となるはずだ。それなのにも関わらず、いまだに逃げ回っているとは物珍しい。

そんなことをぼんやりと考えていると、目の端にきらきら光るものが落ちていることに気が付いた。

橘玲梨(レイリ)

これって、メモリークリスタルじゃない

空に透かしながら見つめる。
これはメモリークリスタルといって、スキャンされた思い出を保存できるデバイスである。

人によって内部の液体の色が違い、このメモリーのように海色もあれば、闇色の記憶もある。

内部にある記憶の泡がブクブクとワルツを踊るように舞い上がっていて、ほうっと息を吐いた。

橘玲梨(レイリ)

待って、見とれてる場合じゃない。これって、さっきの浮浪アンドロイドのもの?

ぶつかった拍子で落としてしまったのか。
いくら非礼なアンドロイドといえども、大切な記憶かもしれない。レイリは壊れないようにそれをポケットにしまい込み、その場を後にした。

日常に舞い込んだ非日常は、ひとときのものだとレイリは確信していた。しかし、それはどうやら甘い憶測だったらしい。

砂時計が一カ所でも割れたらそこから砂が溢れて止まらないように、レイリの安寧も零れ落ちていった。


常になにかに見られている感覚が襲うのだ。

学校で窓際の席に座っている時も、友達と帰りにスイーツの店に寄っている時も、ニビが迎えにきて一緒に帰宅している時でさえも。

それだけならまだ勘違いだろう、という推測でおさまっていた。しかしついには学校の机の中身がすべて散らかされてしまう事態に陥ってしまったのだ。

友達は「やだー、いじめ?」と言いながら心配してくれるものの、なにかを奪われたり壊されたりした形跡はないからどうやら違うらしい。

橘玲梨(レイリ)

そういえば、このメモリークリスタルを拾ってからおかしいのよね

とうとう、「このメモリークリスタルに見えない魔力があるのか」と、科学教が馴染んだこの国の民としてあり得ないことを考えてしまう始末だ。そんなわけがあるはずない。

このまま放置しておくと大惨事になりかねない。身の危険を感じ、原因究明のためにあるところへ向かった。

――国立記憶図書館――

ここでは偉人から一般人に至るまで、莫大な記憶が寄贈されている図書館だ。

利用者はモニター越しの人工知能と会話をしなければならず、レイリはそれが苦手で利用を避けていたわけだが、今回はそうはいっていられない。


「ご利用ありがとうございます。担当の人工知能、イヴでございます。本日はどういったご用件でしょうか」

若々しい女性の声がモニターから響く。

橘玲梨(レイリ)

このメモリークリスタルの記憶の所有者を知りたいの

表情と声をこわばらせながら、差込口にメモリークリスタルを接続する。
イヴは「前所有者は死亡が確認されておりまして、現所有者はいらっしゃらないようです」と淡々と述べた。

呆気にとられていると、イヴは「所有者のいらっしゃらないメモリーは現法上、国の動産となりますので閲覧可能です。閲覧されますか」とつづけた。


いくら現所有者がいないといえども、勝手に他人の記憶を覗くのは倫理的にどうだろうか。
レイリはそんな人倫の判断は度外視する人工知能イヴを睨みつけた。

「付け加えますと、閲覧記憶は削除できます」


そういう問題でもないのだけど、という言葉は飲む。
散々悩んだあげく、レイリは「所有者が分かればすぐに閲覧をやめる」と自分に言い聞かせながら、しぶしぶ閲覧することを決した。


「では、手をモニターへ置いてください。メモリーとシナプスを繋ぎます」

半透明のモニターへ手を置くと、置いた箇所に同心円状の光が集まる。あまりの眩さに目を閉じた瞬間、意識はメモリーへ飛ばされた。

記憶の中で目を開くと、レイリは真白な部屋にぽつんと立っていた。

部屋の真ん中には、大きなカプセル型ベッドがあり、それ以外には何も置いていない。
あまりにも清潔感の塊のような不気味すぎる部屋にぞくっと鳥肌が立った。

すると突然、ドアがスライドした。
そこから、医者らしき白衣を着た老人と、中年くらいの小奇麗な格好をした夫婦が続いて入ってくる。

息子さんですが、残念ながら末期症状が――

そこまで言うと、妻であろう女性がわっと泣きわめきはじめた。そっと肩を抱き寄せた夫であろう男性が、「最後にひとめ、息子の顔を」と呟くように言うと、医者は無言でカプセルを開いた。

冷気のようなモヤが立ちこめる。
夫婦はカプセルに近づき、何度も「助けられなくてごめんね」と言いながら、なごり惜しげにカプセル内に横たわっていた人物の頭を撫でたり頬を触ったりした。

その人物の顔を見ようとした刹那、記憶が断片的に飛ぶ。

今度は、どこかの家の玄関に立っていた。先ほどの夫婦が緊張した面持ちで、ドアを見つめている。

「あなた、私やっぱりいやよ。
こんなの、息子が喜ぶはずがないわ」

「いいや、きっと喜ぶはずさ。
あの子も、お前も――」

橘玲梨(レイリ)

なんのことを言ってるのかしら

状況が把握できず首をかしげていると、無機質な呼び鈴の音が鼓膜を揺らした。

夫のほうが「はい」と扉を開けながら言うと、しっかりとしたビジネススーツに身を包んだ男性2人が姿を現す。


「この度は、グローリアス・ロボティクス社を
ご利用いただき――」

つまらない会話が耳に入ってきて、レイリはぼんやりと玄関を見ていると、スーツ姿の男性が二人わきへよけた。そしてその後ろに立っていた人物が目に入り、レイリの心臓は慌ただしく鼓動をうちはじめた。


「ほら、挨拶をしなさい」

不自然なくらいの薄笑いを貼りつけたその人物に見おぼえがあったのだ。

柳(ヤナギ)

はじめまして。お父さん、お母さん
「戻ってきました」

市街でぶつかった、あの浮浪アンドロイドだ……!

これはとんでもない記憶をのぞき見てしまったと、レイリは後悔の念に襲われたのであった――。

スーパーアチーバー(強化人種)<ダイジェスト版2>

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