お腹すいたね

ああ……

わたし薄汚いから町に居られないのかな

違う。いい服買っただろう

襤褸服の上から羽織ったワンピースの裾を摘まみシェイプは言う。遺体から貰った硬貨で最初に買ったもので時間が経ち少し薄汚れていたものの、檻に入れられていた時より見てくれは何倍もよかった。

きっと、いい場所が見つかる。町に入るんだから、そんな顔するなよ

うん、笑顔が一番よね

ディティは自分の頬を引っ張り上げ不格好な笑みを作る。どこかおかしいなとシェイプは素直に吹き出すと、彼女は頬を膨らませポカポカと兄を叩いた。

踏み入れた町は大きくはなかったが、閑散としているわけではなく、人々は思い思いに生活をしているようだった。はためいた白いシーツが青空に映えている。
それに似合わないひそひそ話が近くで繰り広げられていたが、兄妹は気にも留めず彼女達の横を通り過ぎる。

どこに行くの?

まず寝床を確保、かな。お金もないから、廃屋とかあればいいけど

馬小屋でもいいよ。干し草ぬくぬくして気持ちいいもん

馬小屋じゃ見つかった時大変だよ。廃屋も本当は寝泊りなんてダメだけどさ

シェイプは辺りを見回すが、どの家も主は健在で、お目当ての物件はありそうになかった。

やっぱり仕事を先に見つけた方がいいのかな……

しかし、彼の身の丈では門前払いも多い。ガキだからと過酷な仕事を強いる奴隷という職もあれば、子供だと使い物にならないと判断する者もいる。

早く普通の生活がしたい

父が健在だった頃はありふれた幸せに満ちていたとシェイプは思っていた。懸命に働くから少しでもあの生活に近づければ、と。

お兄ちゃん、あそこって人いないかな?

袖を掴まれディティが指さす先を見ると、いかにもといった建物があった。家々から少し外れたところにポツンと立つひとつの建物。壁には蔦が絡まり、窓は閉め切られその先は暗い。建物自体はしっかりしていたが、人の息遣いは皆無のようだった。

いってみようよ

その言葉にはシェイプも同意で迷いはなかった。板張りの扉についた金のドアノブを押す。鍵は掛かっておらず、錆びた音をたてながら抵抗もなく開いた。

おじゃましまーす

ディティの声は薄暗い部屋に吸い込まれた。

左右を見回せば、一面に棚があり隙間なく書物が陳列していた。足元にもうず高く積み上がっている。廃墟か? と、疑問が湧いた。あまりにも物が多いのだ。過去に侵入したところはほとんど物がなく、あるとしても時に晒され朽ちた物ばかり。しかしこの部屋を圧迫する書き物達は年季こそ入ってはいるが、決して読めない代物ではなかった。

誰だ……

しゃがれた声が部屋の奥から聞こえ、シェイプは本に伸ばす手を止めた。薄暗がりに目を凝らせばオブジェのような老人が鎮座している。本に囲まれた彼は焼けた紙と同じく年季が入っている面構えだった。皺に埋もれた瞳は鋭い。

読みたいものがあれば、金と一緒に出せ

ここは本屋か?

貸本屋だ。なんだお前、知らずに入ったのか

老人は時の重みを感じる溜め息をはき、座椅子に腰を深く預ける。ディティは竦み上がっていたが、シェイプは臆することなく、両手を床につけ懇願した。

お願いします! オレを雇ってください!

頭を板張りの床にこすり付けると埃が舞い上がり目に沁みた。

貸本屋なら仕事がある。なんでもやろうとシェイプは思っていた。本の管理でも掃除でも、この老人の世話だって喜んでやろう。

老人は見下すばかりで返答をしない。

ディティは背を丸めているシェイプの裾を握った。

時計もないこの部屋でどれほどの時が経ったのだろう。もしかしたら、この部屋だけ時が止まっていて、扉を開けると数年も時が経っていたなんてことがあるかもしれないと思い始めた頃、老人はやっと身じろぎをした。今まで彼は全く動いてなかった。本物の置物のように本に埋もれていたのだ。

老人は足の短い机に頬杖をつき、兄妹をじろじろと査定する。

働きたい? ここでか

何でもします!

何でも……

そこで老人は初めて笑った。しかしその笑みは友好とは程遠く、明らかにシェイプを小馬鹿にするものだった。

何も理解できていないと老人は思った。この少年は『言葉』の重さを分かっていない。

何でもというのなら、今すぐ死ねと言ったらするのか? そこに突っ立ている娘を殺せと言ったら?

出来るわけないだろう!

シェイプは立ち上がり、偏屈した老人を睨みつける。溜まった埃が立ち込め、一瞬老人の姿をおぼろげにする。

何でもなんて言うな。私は出来ない約束はしない。

なら……

お前、本は読むか?

老人の突然の問いにシェイプの言葉は詰まったが、無理難題を突き付けられたわけではないと分かると、淡々と答えだした。

本を、読めるような場所にいなかった

母は妹を生んだ時に死に、父が不慮の事故で死ぬまでの間、その数年だけが触れられる機会だった。確かその時に読んだものは勇者がドラゴンを倒したものだ。

それしか覚えていない。

父が死んで数日後に、あの男達は来た。ぎらついた目をして、兄妹を檻の中に閉じ込めた。

読みたいか?

……王子様とお姫様が幸せに暮らすお話が読みたいな

俯く少年をちらりと見、そうしながらもディティは本音を言った。彼女は彼以上に本に触れた時期が少ない。それゆえ、羨望と鮮烈な過去の思い出があった。言葉にした王子様とお姫様のお話は、彼女の過去に由来する。

そんな話はごろごろと転がっているな。おい、少年

老人の声にシェイプは肩を震わせた。

お前はないのか、そんな読みたい物語が。ないのなら、帰れ

オレは……

赤いドラゴンが火を噴いて、勇者は女神から貰った盾でそれを防ぐ。後一撃が届けば、この剣がドラゴンの首元に届けば、世界は平和になるのだ。勇者の喉から猛りの雄叫びが迸る。

勇者とドラゴンの話が読みたい!

シェイプは叫んでいた。目の端に涙を浮かべ、それでも凛とした表情で。あの時の勇者のように言った。

読みたいものがあるのなら、働くことだな

老人は興味を失ったのか、手元にある書物を捲る。

小僧は書物の整理と掃除……娘は飯だな……

呟かれた台詞にシェイプははっとする。独り言のように言っているが、自分達を働かせようと遠まわしに告げている。

ありがとうございます!

気に入らないことがあったら摘まみ出すからな

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