よし、行動開始といくか

 ルイの姿が見えなくなるなり、俺はパンを急いで飲み下し、速攻でキッチンを飛び出した。
 白いジャケットと柄シャツ、それにジーパンという格好で、家を後にする。

 目指すはもちろん、サイレントボイスの指示があった、中野だ……これまでのところ、サイレントボイスが誤った試しはないので、ここは指示通りに動くのが正解だろう。

 本当は、脇坂の家に立ち寄って、両親ともお会いしたいのだが……息子が亡くなった翌日に押しかけるのは気が引けるし。

中野駅も綺麗になったもんだ

 新しくなったバスターミナルや駅前広場を見て、俺はひとしきり感心した。やあ、ここへ来るのも久しぶりの気がする。

 中央線の中野駅で降りて、北口の改札を出ると、すぐ目の前に屋根のついた商店街が延びている。そこを真っ直ぐに進んだ突き当たりが、中野ブロードウェイと呼ばれる建物だ。

 建物は築数十年という古いものなのに、なぜか若者――特にオタク系の人に人気がある。
 それというのも、ブロードウェイの中には、オタク系の店が多いからだ。アニメやコミックの店はもちろん、普通の書店もあれば、CDショップもあり、さらにはオタクグッズの販売もしているという、コアな場所だった。

 しかも、地下にはちゃんと普通のショッピングセンターみたいに食料品店が並んでる場所もあって、普通の主婦も頻繁に訪れる。
 問題は、妹が告げたサイレントボイスの言葉が、具体性に欠けるってことだろうか。

 中野ブロードウェイは、一般住居であるマンションも付随していて、正味、むちゃくちゃ広いのだ。

おいおい、もう少し詳しいアドバイスが欲しかったな

 一応、一階から三階まで巡回するように見て回ったところで、俺は早くもうんざりしてきた。

 だいたい、今はまだ朝の十時だ。

 ブロードウェイ内の店舗が本当の意味で開き出すのは、だいたい十一時頃からであり、時間的にも早すぎたらしい。
 しかも、このオタクショッピングセンターと来た日にゃ、上へ行くほど朝は閑散としていて、例えば階段を上って上がった四階なんか、もう廃墟と変わらない。

 回廊沿いに、延々とシャッターの閉まった店が軒を連ねていて、こんなところを一人で歩いている俺は、どうしようもない間抜けのような気がしてならない。

……あれ

 角を曲がったところで、俺はふと足を止めた。

 思いっきり閉まってばかりの店舗の列の中で、一軒だけ開いてる店があるのだ。昼でも暗い廊下の中で、そこだけ光が洩れてて、ある意味では怪しいほどである。

 そもそも、前に来た時には、あんな店はなかったような気がする。

まあそりゃ……早くから開いてる店もあるんだろうけど

 独白しつつ、俺はその店の前に立つ。

 普通、この階にある店はショーケースを並べていろんなグッズを売ることが多いのだが、ここはだいぶ変わっている。

 まず、真っ白な壁と床で清潔感のあるお洒落な内装なのだが……重厚な木製のデスクが一つ、奥にでんと置かれているだけで、ショーケースなどは特にない。

一体、何を売る店なんだ、ここ

 眉をひそめ、俺はふらふらと中へ入った。
 一つだけ置いてある広い机の上には、なぜかメモ帳みたいなのがあるだけだった。

占いの店……とか?

当たらずといえども、遠からずかな

わっ

 正直、驚いた。
 誰もいないと思ったのに、いつの間にか店の奥から人が出て来ていた。

 相当に気配に敏感だと思っていたのに、全然気付かなかった。

驚いた!

悪かったね……別に脅すつもりじゃなかったんだ

 男――というより、謎の少年は、にっこりと微笑む。

 どう見ても俺とそう変わらない年齢に見えるが、長い髪に涼しげな目元が眩しい、かなりの美形である。普通の人間――特に女の子だと、ちょっと前に立つだけで、気後れするかもしれない。

 もしかしたら外人さんとのハーフじゃないかと思うほど、顔立ちも整っていた。正直、美形には慣れている俺まで驚いたほどだ。

 しかし、俺はもう最初の驚きから立ち直り、何事もなかったように咳払いなどしてみせた。

おほん……こっちこそ、いきなりごめん。この階に来るのは久しぶりだけど、この店は記憶になかったんで、ついさ

ははは、別に不思議はないよ。この店、僕の気が向いた時にしか開けないから

 少年は愛想よくトボけたことを吐かすと、そのままデスクの向こうに座った。
 周囲を見回すと、隅っこに小さな椅子があったので、俺もその椅子を引き寄せ、少年の対面に座った。

今は、気が向いた時? この階の他の店、軒並み閉まってるのに?

いやぁ、端っこのアニメセルを売ってる店は、この時間でも開いてると思うよ

いや、そういう細かい突っ込みはナシで!

ごめんごめん……まあほら、僕は本気で気まぐれだから、そういうこともあるんだ、うん

 微笑したまま、目を細める。

 シックなスーツ姿で、季節と場所柄、ちょっと合わない格好だった。

桐蔭涼(とういん りょう)っていうんだ、よろしく

おっとぉ。最近の若者店主は、初対面の相手に名乗ったりするんだ? 個人情報を軽く見るのはまずくない?

 僕が名乗ったからには君もね、とか言われないように、俺は素早く混ぜ返す。でも、別に相手……ええと桐蔭は、こっちの名前なんか訊かなかった。

 その代わり、いきなり俺の目を見て、こう言った。

やあ、僕が気になったのも道理だな……君、実は一人じゃないよね? 中にまだ誰かいる?


 ……正直、軽口が多い俺も、この時ばかりはすぐに言い返せなかった。

 というのも、相手がどこまでわかってて言ったことかは知らないけど、事実、桐蔭の言うことは正鵠を射ていたからだ。

おまえ……何者だ

 さすがに、俺の口調もガラッと変わっていた。

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