日本人だ、と思った。だから、落ち着いた。

黒髪黒目を鼈甲の髪留めで一つに留めて、後ろに垂らした十六、七の少女が言った。小豆色の和服に白いフリルのエプロンを付けているのと、その口調から、嗚呼、彼女は店員なんだ、と潤は認識にした。
後ろに留めるまでの髪がぱっさりと切られている少女が、ハの字に眉を寄せて再度

と言った。
ようやく、自分が客なことが分かった。
店の中は、温もりのある木やフリルがいっぱいのカントリーの小物屋だった。ところどころに、鮮やかな原色に塗られたキャンディや輪っかの玩具が置いてあり、その無遠慮な色彩から此処はアメリカンカントリーの店なんだ、と納得できた。

二人の女が、親しげに頭をポンと叩いてくる。
ようやく、潤は彼女らと来店したんだ、と認識した。
しかし、おかしかった。彼女らは中学校の頃の同級生だが、決して好意的な関係では無かったのだ。物を隠されたり、臭い、と言われたり、そして―あの私の―とにかく、決して良い関係ではなかった。
そう思い出す一方で二十にもなりながら彼女らを嫌悪する自分が酷く心が狭く思え、潤は悲しみを覚えた。

アメリカンカントリーの中では異質に見えるはずの彼女の和服は違和感なく眩しい。
店に入ったんだから、何か買わなくてはいけない。ウィンドウショッピングというものが出来ない性質の潤は頭を必死で探る。

必死で探って、出てきたのはそれであった。妹は一か月後に誕生日を迎える。今年大学生になって故郷を発った彼女に、何か―。

それは冗談では無い命令、潤はびくつく。

でもの先が思いつかない。何故自分のものを選ばないのかという言い訳が思いつかない。
その瞬間、ぐっと息が詰まる。潤は言い訳を探す。何か、何か。

その言葉で、は、と息ができるようになった。
言ったのは燃えるような赤毛の少女だ。白人の緑の目をした少女肌は、成熟一歩手前の熟れた果実。膨らんだ乳房が羨ましい。

彼女もエプロンをしているあたり、店員なのだろうか。とても店員の言葉づかいとは思えないが。
日本人らしい少女がわたわたと抗議する。店員として当然の事と分かっていても、心が痛む。

潤の傍らの二人は小声で聞こえるように

と言った。その全く何も成長できていない様に、思わず、クスリとしてしまった。

怒鳴りかけた二人の言葉を切るように、依子と呼ばれた日本人が

と割って入った。その日本人特有のアルカイックスマイルに、なすすべもなく二人は引いていく。

依子の不審げな顔に、少し誇らしげに笑う。

日本と反対の南半球ならこれから夏だ。

奥から、赤いチャイナ服にエプロンのの少女が出てくる、エミリーの年齢は白人故いまいち分からないが、彼女も依子と同年代のようだ。

レザーカットの黒髪に付いた、赤い薔薇と真珠の髪飾りを直しながら、紅玉はこちらをひょいと見てよこした。

その愛想のかけらもない様子に、少し緊張していると、依子がまたアルカイックスマイルで。

どうやら自分で行くほうが早いと判断したようである。くるっと踵を返した瞬間、豊満な体にどんとぶつかった。

輝く金髪、トルコブルーの瞳の女性、例によって白人の為、年齢は分からないが、成熟した女性であることは分かる。

ヘヴンズ・ドアー、すなわち、天国の入り口。
そう聞けば、説明がつく。
この不可解な店にいきなり入った事、不愉快な同級生と一緒にいる事、今、自分が何処にいるかもわからない事！
潤の瞳から歓喜の涙が溢れた。

死、それこそ潤に安寧を齎してくれるもの。別に失恋をした訳でもない、病を患っている訳でもない、ただ、ひたすらに、あちらの世は潤にとって苦痛だった。
毎日、どこへ出かけるわけでもなく、アルコールを飲み続ける母親との二人きりの時間の重苦しい空気と、父が帰ってきてからの諍いが苦痛だった。
言葉もない時間と、正論ぶった怒鳴り声を聞く時間が苦痛だった。
そして、あの二人への憎悪がふつふつと湧く、彼女らは学生時代の潤に執拗ないじめをした。
こいつらは想像したことがあるだろうか、バケツで便所の水をかけられて帰宅しても、誰も学校に抗議に行かない家庭なんて！　正常であれば学校が唯一の逃げ場になるはずだったのに、こいつらはそれを数の罵声で凌辱した！　何をしても良い存在だと、カラースプレーのかけられた机で存在を肯定した！
しかし、サマンサは首を振った。

そう、両親が諍い疲れて眠った頃、潤は大量に睡眠薬を飲んだのだ。

失望。
これほどの失望があるだろうか。
歓喜の涙は、絶望へと変わる。
そこに奴の言葉が降ってくる。

成長しなくてもいい温い生活を送ってきた奴らは嘲る。彼女らにとって、潤は未だに嘲笑の対象でしかなく、学生時代そのままに嘲り笑う。息が、できない。
学生時代と同じだ。こいつらの声を聴くと、息ができない。
ぐ、ぐ、と喉が詰まる。
家で

という、嘘八百の嘲り声を聞いたときもそうだった。声がつまり、息が詰まって過呼吸を起こした。もう殺されると思って救急車を呼んで貰った。その時

と妹は、吐き捨てた。

思い出すと同時に、エミリーが取り出す。その非現実的な金属を、潤は受け入れた。

目の前で、依子はエプロンを解いた。

泣き続ける潤に、小さなステンドグラスが渡された。

再び、嘲笑の声が響く。
ガン、全てを叩き割る音を立て、壁が叩かれる。エミリーだ。

びくり、と二人が竦む。

紅玉が本気なのかどうかわからない窘め方をする。
依子は穏やかに胸をさすってくれた。

大きく息をする、誰もそんな事を言ってこなかった。

ようやく、息が吐ける。

教会を象ったステンドグラスを握りしめ、潤は泣く。

依子は木製のカウンターの裏からにっこり微笑んだ。

依子の顔から笑みが消えた。

依子の手にあるのは『ブローニングM1918A2』、巨大な銃には、アニメのキャラマスコットがぶら下げられている。

絶対優位だと思っていた立場が逆転した！　通りすがりのはずの人間が牙を持っていた！
分速600発の鉛玉が、此処に連れてきた二人を粉々に粉砕する。
飛び散った肉片には、なぜか恐怖心は湧かなかった。
むしろ、愉悦した。

病室に運ばれるベッドの上で見えた、

の名札が許せなかった。生きる価値がある自分たちが死のうとし、生きる価値のないあいつが生きる！　その憎悪は、潤を連れ去ろうという意思に変わる。
エミリーが使いそこなった二丁拳銃を弄りながら吐き捨てる。

紅玉がにゃっと笑った。

泣きながら問うと、サマンサは目元の泣きぼくろを上げて笑った。

潤が目覚めたとき、手には、何も、無かった。

二か月後。

紅玉を胸で押しながら、クスリとサマンサは笑った。

サマンサは眼を閉じる。
代金として受け取れるのは、ヴァルハラに置いていって良い思いだけ。
ヴァルハラにやって来た彼女の妹には、きちんと水着を渡しておいた。
此処はヴァルハラ、