あいや、早かったあるな。


チャイナ服の少女が、猫のようにこちらを見上げてきた。黒髪をレザーに切りそろえ、赤い薔薇と真珠の髪飾りをしている。

新聞にはもう載ったじゃねえか


白人の少女の言葉にはっとする。

新聞……


言葉を詰まらせるルーカスに、着物の少女が穏やかに話しかけた。

初めは皆さん、驚かれるんです。ですが、こちらにいらしたという事は、もうどうしようもない事実。焦らず、ゆっくり受け入れてくだい


にこやかなその笑顔に、白人の少女が遮りを入れる。

いいや、Halley! Halley! だよ。いいか、これを見ろ。マーケットに強盗に入ったルーカス・ハンソン。確かにアンタだな。まあ、間違いはねえさ。写真が載ってるんだから


彼女が見せたのは、まだ折れ目もさほどついていない新聞。片隅の文字にははっきりと書いてある。『銀行強盗』『店員が撃たれて死亡』『容疑者はルーカス・ハンソン。警官に射殺される』
そして、自分の黒人特有の肌がモノクロでもはっきり分かる写真。

お……ああ……


言葉にならない。

じゃあ、ここは何処だ!? 何処なんだ!?


絶叫する。自分は何処にいるんだ? どうしているんだ!?

ここは―


着物の少女が言いかける。
その先がいきなり続けられた。

ここはヴァルハラ。天上の戦場よ


奥から出てきた白人女。三十路に入ったばかりか。ブロンドがやけに眩しい。
はは……と乾いた笑い。

つまりはあの世か


三十路の女が頬に手を当てる。

そうとも言うけれど、ここは入口に過ぎないわ。そして、あなたがここですることは一つだけ

ざ、懺悔でもしろってのか


ふふ、と小さな笑い声。

それは教会の仕事よ。見てわからないかしら? ここが何の店か

何の……?


どう見ても、アメリカンカントリーの店だ。

この店の品物から、好きな商品を選びなさい。深く考えなくていいわ。お代はその結果次第よ


そう言われても、こんな可愛らしい店に、ルーカスの望む何があるというのだろう。
一面に並べられた、ぬいぐるみやオルゴール、キーホルダー。どれをとってもルーカスには縁のないものだ。
まだ本人は気づいていないが、ルーカスは

商品を選ぶ

ことを受け入れている。その時点で、飲まれている。
そして、ようやく見つけた。
ゼリービーンスや、キャンディ、チョコレートなどが並んである棚を。
人形型のジンジャーブレッドを手に取る。

これをくれ


白人女は微笑む。

そう、それがあなたの選んだものなのね


何か、含みのある言い方だ。

それは、あなたのためのものなのかしら?


そうに決まっている。ルーカスの人生には、ひとのために物を買った事など、ありはしない。いつだって、自分のために買い、盗んできた。
頷くと、白人女は自己紹介を始めた。

挨拶が遅れたわね。私はサマンサ。ここの店長をしているわ。あなたと同じアメリカ人よ。あの赤毛の子も同じ、アメリカ人でエミリー。あの東洋人の子たちは、中国人の方が紅玉(ほんゆい)、日本人の方が依子。三人とも優秀な店員よ

いえ……そんな事は


依子が控えめに否定する。

さて、この場所とあなたの行く道をお話しするわ


それこそ待ち焦がれていた事だ。だが聞くと、ルーカスは後悔した。

ここがヴァルハラであることは言ったわね。ヴァルハラとは、やがて来る世界(ラグ)の(ナ)終り(ロク)の後、新たなる世界で覇権を握るため、各国勢力が永久の戦争をしているところなの。国々は、たまに手を組んだり、よく殺し合ったりしながら、世界の終りを待っているわ。あなたは、この戦争に強制的に参加させられるってわけ

ウソだろ……


唇が渇く。

逆に質問よ? 何もかもすべて失くしている、そう、命さえも失くしているあなたを騙してなんになるのかしら


何も、言えない。

そして、あなたには選択肢が二つあるの。これはとてもラッキーな事よ

ふ、二つ

そう、二つ


サマンサが二本指を立てる。

一つは、アメリカ領に行って、アメリカの国のために兵士になること


兵士。

もう一つはね、実はソ連からアメリカ人を紹介してくれって話がきてるの。KGBの一員として、ソ連のスパイになるって道もあるのよ


スパイ。

待ってくれ。ソ連はとっくに崩壊したはずだ

ええ、そうね。現世では


くるりと、エプロンが回る。

だから、ここでのソ連人は容赦がないわよ。一度は失った国を、新たな世界で作ろうと躍起になってる。凍らない港を欲しがっていた現世の五倍怖いわね


体をすくませたルーカスに、ふふ、とまた笑い。

冗談よ。まあ、現世とは時の流れ方が違うと、知っておけばいいわね


ルージュを塗った唇が動く。

さあ、如何する?

待ってくれ。考えさせてくれ


ルーカスはようやくそう言った。全く頭がついていかなかった。ただ、分かるのは。
どっちも嫌だ。
という事だ。

すぐに決断できない男は魅力に欠けるある


紅玉がため息交じりに言うのを、依子が

いえ、初耳でしょうから、仕方がないと思いますよ。お気になさらないでくださいね


とフォローする。

まあ、どうせ、来てからKGBに連絡打つつったし


あくび交じりのエミリー。

どうしても、なのか

どうしても?


ルーカスは両手を開けて叫んだ。

どうしても、そのどちらかにしないといけないのか!?


サマンサはすっと指を突き出した。

第三の選択肢は自分で考える事ね。まあ、あればだけど


そして、時計を指さす。

今は午後三時。午後七時まで連絡は待つわ。さあ、考えなさい。四時間で。あなたのもう一度の人生をどうするのかを

店の奥にダイニングがある。そこでじっくり考えな


エミリーの言葉に魔法にかかったように従い、店の奥へと入って行った。

ダイニングもやはり木造のデザインだった。
しかし、そんな暖かさを感じる余裕はない。

大したものではありませんが、お召し上がりください


依子がコーヒーを持ってきた。薄いが、きちんと豆から淹れてある。
しかし、味などしなかった。
後四時間―。
後四時間で、人生が決まる。
ルーカスに愛国心は無い。
国のために命を捨てるなど反吐が出る。
しかし、KGBも恐ろしい。スパイなんて務まる自信はない。
ぐるぐると時計の針と頭が回る。
コーヒーはどんどん冷えていく。
スラムで生まれ、学も無く、金も無く、揚句、金に窮してマーケットに入って射殺された。

ついてねえよ……


それしか出なかった。
その時、懐に固い感触を思い出した。
サタデーナイトスペシャルと呼ばれる、安価で小型の銃。
今日、マーケットの店員を撃ち殺したそれ。

これさえありゃあ


第三の選択肢もあるのではないか?
ここにいるのは女ばかりだ。
しかも非力そうな。
つまりは、ここでこちらの世界の金を盗めば。
そして逃げれば。
このクソッタレた選択肢を排除できる!
それを思いついた瞬間、ルーカスの心臓の鼓動は、暴れんばかりに早くなった。

おい! 悪いんだが


大声を出すと、先ほどの日本人が落ち着いた様子でやって来た。

如何なさいました?

いや、水を一杯貰いたくてな

はい。畏まりました


依子は無防備に流し台に立った。
その背後から、飛び掛かった。
肩を掴んで、銃を突きつける。

大人しくしろ!


掴んだ肩は細い。
第一段階は突破した!
そう思った瞬間、ルーカスの視界はぐるりと回った。
そして、全身を叩き付けられる衝撃が走った。

!?


叩き付けられたのが床で、それは依子に投げ飛ばされたためだと、理解するのに数秒かかった。

テンチョやはりこうなったよ

やれやれ、KGBにはまた次のを、だな


ぞろぞろと入ってくる、他の店員たち。
がちゃり
依子からはブローニングM1918A2通称BAR、エミリーからは両手のリボルバー、紅玉からは布の付いた匕首が向けられた。
非力な女だと思っていた。それが、化け物じみた女だった!

畜生、畜生、なんでこんなについてねえんだ。俺の何が悪かったんだよ!? 生きるために仕方がなかったんじゃねえか!


吠えるルーカスに、淡々とした言葉が告げられる。

人が死ぬのに、理由なんて必要ないのよ。人は誰でも死ぬわ。そして、人を一人でも殺したら、いずれ誰かに殺されるという、死のリングに参加しないといけないの

我(ワタシ)たちだって死ぬのはごめんよー

だけど、人を殺したら、嫌でも納得して死ななきゃいけねえ


紅玉とエミリーが交互に言う。

そして、あなたは納得して死ぬことはできないでしょう。ですけれど


死にます。
それがルーカスの最後の意識だった。
発砲された弾丸と、切り裂く刃によって、ルーカス・ハンソンは二度目の死を迎えた。
アメリカンカントリーの店のドアには、プレートがかけられた。

ヘヴンズ・ドアー1「―貴方の撃鉄は起こせますか」

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