この――っ!
レミアの剣閃が、俺の喉元に迫る。
真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに。
見惚れてしまうほど、純粋な斬撃だった。
――だがしかし、あいにく俺は被虐趣味者じゃない。
よっ、と。
俺は木剣を一振りし、
レミアの手の得物を空に弾き飛ばす。
っく……!
まだやるかい、お嬢ちゃん
勿論よ!
いいぜ、どうせ今日は暇してるんだ。
昼飯までは付き合ってやる。
お互い、木剣を手に向かい合う。
――さて。
どうして俺とレミアが試合をしているかといえば、
話は、さっきの朝メシに遡る。
……
あー……。
……あら。
ヒゲにひっかかった米粒をクラリスに取ってもらおうとしたところに、ちょうどレミアがやってきて。
――
、、、、
……
三者三様、気まずい沈黙のあと――
あらアルドったら、もう
クラリスはくすくすと悪魔めいた笑みを浮かべ
また新しい愛人でも作ったの?
そんな、トンデモナイことを口にした。
――っ!
よりにもよってなんてことを言いやがる。
こっちは愛人どころか初体験もまだだってのに。
って、そんなことはどうでもいい。
……
レミアの、静かな視線が痛い。
ほんとうにクラリスのやつ、ろくなことをしない。
どーすんだこれ。
いっそ神意の剣で何もかも吹っ飛ばしてしまおうか。
昔、コメディ作家の知り合いがこう言っていた。
「困った時の爆発オチ、一家に一度は爆発オチ」と。
『抜――
言いかけた、その時。
アルド・ステリア!
名前を呼ばれて、押し留められる。
わ、わたしと――
はじめはためらいがちに、
けれど、やがて決意の瞳をこちらに向け
わたしと勝負しなさい!
――それは客観的に見れば唐突な申し出だろう。
だが。
若い剣士に挑まれるのは、
俺にとって"いつものこと"だった。
いいぜ。で、どこでやる?
リヒランデ師を開祖とする帝国正統剣術。
その使い手たちからすると、力任せな俺の剣は否定すべき邪道に見えるらしい。
特に若い剣士の場合、居ても立ってもいられず勝負を吹っかけてくる。
レミアみたいなやつはこれまでに何十人といた。
だからその対応だって、嫌と言うほど、馴れている。
えっ、あっ……
スンナリと勝負に乗るとは思ってなかったのだろう。
レミアは言葉に詰まっていた。
まだまだ修行が足りねえな、お嬢ちゃん
こんなことでイニシアティブを奪われてちゃ、
剣士としても貴族としても先が思いやられてしまう。
本気で勝ちたいなら、不意打ち一択。
これしかないだろうに。
街の外にいい風の吹く草原があったな。
そこにしようか。
わ、わかったわ……
――かくして、今に至る。
腕力で劣るなら、――手数で、押し切る!
同じことを続けていても勝ち目はないと踏んだらしい
レミアの動きが、変わった。
なるほど、今度は速さで翻弄する気のようだ。
でもな、無暗に手数を増やしたって、
一つ一つの"重さ"が落ちるだけなんだよ。
どうせ速く斬るというのなら、いっそ――
既に俺はレミアの動きを見切っていて
だからこそ。
こんな芸当が、可能だった。
カラン、と。
レミアの木剣の上半分が、地面に落ちる。
下半分は、いまだ手の中に握られたまま。
俺は、レミアの木剣を二つに断ち切っていた。
もちろん、魔法なんか使っちゃいない。
レミアと同じ、そこらで売ってる木剣だ。
嘘でしょ……
嘘じゃない。
現実に可能なのだ。
風の流れを味方にし、疾く速く、
"そうあるべき角度"で振り下ろしたなら――
木剣でも、鋼の鋭さに届く。
……覚えておきな。
おそらく、レミアが目指すべき境地はこれだろう。
ちょっとした講義のつもりだった。
……!
レミアは真っ二つに切り落とされた木剣と俺の顔を交互に見遣っている。
よほど悔しいのだろう。
顔を真っ赤にして身体を震わせている。
――この時、アルドは大きな思い違いをしていた。
わたしの剣が、全然、通じない――
「自分より弱い男に興味はない」
そう公言するじゃじゃ馬の少女は。
今日までわたしが積み上げてきたものが、
ぜんぶぜんぶ、叩き壊されていく――
アルドという越えがたい壁を前にして。
……
抗いがたい力に押し潰される。
そんな、暴力的な体験を前にして。
……気持ちいい、かも
それは転落の酩酊感にも似た、甘さ。
誰もが本来は無意識のうちに抑圧している、
自己破壊衝動の解放。
つまりは――
このまま負けて、組み伏せられたら――
被虐趣味の目覚めである。
太陽はもう空高く昇っている。
陽射しもうららかで、風が気持ちいい。
「いい区切りだ、メシにしねえか」
そう、切り出そうとした時だ。
アルドっ!
後ろで観戦を決め込んでいたクラリスが、
俺の名を叫んだ。
極彩色の"何か"が視界を塗り潰した。
それはヴァイオレント・バタフライの大群。
赤、青、黄色――けばけばしい模様の巨大な毒蝶が
俺たちを取り囲んでいた。
……どうなってやがる。
ヴァイオレントどもの"渡り"は夏の始まりごろ。
今は秋、真っただ中。
季節外れなことこの上ない。
だが、理由を考えている暇などなかった。
――危ねえっ!
……えっ!?
羽ばたく蝶の姿と音に紛れ、
レミアに斬りかかるやつがいた。
俺は反射的に、そいつの顔へと木剣を投げつける。
木剣は真っ二つに斬られちまったが、
俺の目的は果たされている。
奇襲に失敗したと見てか、下手人は後ろに飛びのく。
レミア、お前はクラリスと一緒に下がれ!
理由はさっぱりわからないが、
厄介なヤツに狙われているらしい。
リザードマン。
血と暴力を何よりも好む、戦狂い。
その実力は、リヒランデ師すら「逃げよ」と
書に記すほど。
こりゃ、昨日のツキの揺り戻しか?
これから始まる凄絶な戦の予感に、
俺は身震いを止めることができなかった。