純文学のミカタ!! ~第三話。純文学の歴史 part2~

………………死にそう

パイセン流石っす! 蒙古タンメン五杯も!

ご馳走様でした。貴方様。

…………殺す気か馬鹿野郎

では、お腹も満たされましたし、続きを伺いましょう

……お前ら、俺の体調は無視なんだな()

~しばらくお待ちください~

ええー、なんとか持ち直したので続けます

貴方様、薬で元気になられましたね

なんとかな

また大麻とかマリファナとかやったの?

そっちの薬じゃねえよ!しかも、またってなんだよ!

ダンディー、そんな薬漬けじゃ、そのうち、渋谷で海を見ちゃうかもよ?

そう。竹下通りでポールダンス……ってこんなネタ音ゲーマーにしか分からねえだろ!

ケッホケッホ♡

誤魔化すなや……まあ、茶番はさて置いて

寝ましょうか

あのな……お前ら、腹一杯になったら、一層うるさくなったな

CVが原由実ですからね

なるほど……ハラだけに……って誰がうまい事を言えと!

で、自然主義文学以降でしょー?

そうだ。で、島崎藤村や田山花袋が出たわけなんだが……お前らも知ってるだろ?

知ってるよ。『コミケ前』でしょ?

『夜明け前』な! なんだよそれ! あってるの殺伐とした空気だけじゃねえかよ!

さらに、田山花袋の『蒲団』ってのは変態文学の最骨頂ですね

変態文学言いさんな……当時はあれが精一杯だったんだから。しかも、あれだけの話なのに、これだけ残るというのは凄いことだぜ

でも、変態文学じゃん

お前ら……そんなこと言い始めたら、プロレタリアなんて夢遊病の現実逃避の輩になるぞ。やめておけ。作品はそんな一面的に論じられないし、まさか田山花袋も変態文学にする気はなかったろ

自然主義文学というのは聞くところによると赤裸々に自分を表現するというものですね

あながち間違いではないな。この流れが私小説の流れの一つとなり、またその自然主義文学に反発する形で純文学のタネが芽生えてきたわけだ。田山花袋の蒲団なんて中村光夫がボロカスに言ってたけれども。この作品のせいで自然主義文学は大いに間違った道を進むことになりました、的なことを。でもね。やはり一つジャンルが成長すると、雨後の筍の如くに生まれるわけだ。

なるほど……それでどんな人が反動で生まれたのでしょうか??

まあ、あげるとするならば、まずは反自然主義で余裕派の夏目漱石か

知ってる! 大好き!

……作品が?

紙幣が!

あのな……けど、漱石は初期作品は大衆的だし、無論、純文学の意識を持って書いてなぞいなかっただろう。この評価は弟子の面々や江藤淳らの評論家の意見が強いわけだなあ。なんせ一説では漱石、鬱病対策で気晴らしに書いたと噂されていたくらいだし

へえ、あの文豪が。今、日本でものすごく人気あるのにねえ

しかし、そんなもんじゃねえの。正宗白鳥って作家が漱石評して『現代の滝沢馬琴だ』とバカにしていたしな

滝沢馬琴って南総里見八犬伝書いた人でしょうか?

……タカネさん。そういうところは詳しry

かぐや姫ですから!

あ、はい。だがね、ここでの意味は褒め言葉ではなくバカにしているんだな。滝沢馬琴のように知識をひけらかしてウザい、みたいなノリなんだわ

えー。正宗白鳥ひどくない? 池で白鳥飼ってる叔父さんみたいな名前で

お前、深沢七郎みたいな発想してんなあ……でもな。当時はそんな意見なんだよ。今が異常だと見たほうがいい。寧ろ、正宗白鳥なんかは漱石が真面目に書いてないと察していたのではないのかなあ。まあ、売文業と自認して書き散らした正宗白鳥だからこそのセリフなんだけどね

時代で評価は変わるものなのですね

まぁ、そればかりは……後は森鴎外ね。けど、この人、自然主義文学叩いた割には、ヰタセクスアリスとか自伝的要素作品書いてるんだよなあ。まあ、何とも微妙……

ヰタセクスアリスって性への目覚めを赤裸々に書いた問題作でしょ?

せやで

今では森鷗外ってめいこいユーザーのヰタセクスアリスになっているよね

死にてえか馬鹿野郎! あいつらはマジ怖いからやめろ! でな、その漱石らの後に永井荷風が生まれ、谷崎潤一郎が生まれ、芥川龍之介が生まれるわけだが……まあ、これらの作家を論ずる気はないからそっちへ置いといて……本題の純文学という意識の確立というものを私的解釈してみようかね?

待ってました!

大統領! 日本一! めんよーな!

……最後褒めてねえだろ。僕はな。純文学の意識を強く世間に知らせ、刻み込んだのは『芥川賞』の存在だと思うな

芥川賞⁈

ふむ。先年、百五十回を迎えた日本でも一、二を争う古さを誇る文学賞だ。まあ、これくらいは常識だろう

まあ、それくらいは流石に……

芥川賞はな。芥川龍之介の友人で、文藝春秋の社長であった菊池寛が、友人だった作家、直木三十五と併せて、追悼と憲章の意を込めて作った文学賞てなわけだ

はあ

無論、その前にも純文学的なものはあったかもしれないが、大々的に純文学と大衆小説がくっきりと分けられて、しかもその両方別々に顕彰するというのは、ある意味、ここからスタートだったと思うな

へえ。芥川賞がねえ。

まあ、余談なのだが、その前後でこういう面白い話がある

どんなのでしょうか?

大阪生まれの私小説作家で後に純文学の芥川賞選考委員になった宇野浩二という人がな、ある雑誌に大阪を綴った私小説を書いたんだよ。まあ、大阪気質というかね

フミフミ♡

ふむふむだるぉぉ?

貴方様、貴方様も『かしこま!』とか言いかねない滑舌の悪さですよ

コホン。

で、だ。その宇野浩二って人がな。その小説を発表したら、菊池寛が噛み付いてきた。『君の作品を見ていると上方落語みたいだ』って

へえ、落語ねえ

まあ、今ならば『漫才みたい』とか言われるのが関の山だが、大正時代、まだ漫才はそこまで力を握っていなかったから、こういう例えなんだろう。大阪の人の明るさや軽口ぶり、宇野浩二の作風を揶揄してね

ちなみに、これ書いている中の人はこの芸能関連の本格的な研究者です!

やめろぉ! メタ発言はNOだ!

メタ発言www

また脱線したが、宇野浩二はその発言を聞いて怒った。そして、宇野浩二は親友の広津和郎と相談して、菊池寛にこう反論をした。
「菊池くんの作品だって、張り扇の音がする」ってな

いい話ですねえ〜

どういうこと?

張り扇ってのは講釈師を揶揄しているんだ。当時、菊池寛はな、『恩讐の彼方に』をはじめとした歴史小説を書いていたんだなあ。今ならば差し詰め、宮部みゆきとか言うところかね。宇野浩二が上方落語なら、菊池寛は張り扇ってうまく作風を揶揄した面白みがあるね。この話には

なるほど……でも、その逸話が何か関係あるの?

そこなんだ。この逸話から伺えるように、当時、純文学的な実存が存在しなかったんだな。いや、存在していたのかもしれないが、人々はそれを純文学とかエンタメと分けるって概念が薄かった

まあ、まどろっこしい話なんだがね。宇野浩二は純文学の大家。けど、その純文学の大家が上方落語って大衆芸能の親玉みたいな比喩をされ、やはり大正文学の雄である菊池寛でさえ、張り扇と講釈と揶揄されているわけだ。当時はね、何度も言うが純文学の意識というのが薄かったと思うのだよ。今が過剰なんだよな。純文学と大衆小説とあんなくっきりと分けちゃって

うーん。分かるような分からないような

そんな中でな、芥川賞と直木賞の登場ってのは、その曖昧たる混沌たる文学観に一つのメスを入れたと思ってもいいね

芥川賞が……意外です

菊池寛は、賞を始めるに当たってな。直木賞は良い大衆小説を、芥川賞はその期間内で発表された良い作品に賞をやる、と決めたんだ

……あれ? ちょっと待ってください貴方様

どうした?

貴方様、先ほど、芥川賞は、純文学を刻み込んだといいましたよね?

ああ、言ったな

でも、菊池寛の言葉の中に純文学的なものは一切ないじゃないですか。純文学に刻み込んだはずなのに?

ああ、それはな。根幹の意識が変わったという意味でだ

意識?

そうだ。わかりやすく言えば、先ほどの上方落語と張り扇の喩えじゃないけどね。純文学でさえ、大衆小説ともユーモア小説ともつかない話ばかりだったんだ。それをね。大衆小説ともう一つのいい作品、二つに分ける事により、人々の間に小説の中には大衆小説ともう一つの概念が区分されている、と認知させた、と僕は思うけど

ふむ……

さらに言えば、直木賞の選考委員が吉川英治、大佛次郎、三上於菟吉、白井喬二という時代小説や剣豪物を描く、根っからの大衆小説の書き手であった、純文学的なものにあまり関わらない、今風に言えばスター的な作家たちだったのがうまく作用したと思う

作用?

さよう

洒落言っているのかよ

まあ、初期の直木賞は菊池寛、小島政二郎、久米正雄、佐佐木茂索って文藝春秋の関係者が入ってこそいるものの、これが芥川賞と併用でごちゃ混ぜになっていたら、純文学って概念はあっても目覚めなかったと思うよ。

なるほど。区分という意味で、意識と言う意味で文学を大きく刻み込んだわけですか

ふむ。だから、当時の芥川賞には山本有三……まあ、この人と谷崎潤一郎は賛助会員みたいなもんで選考委員として選考に出る事はなかったのだが……を除いて、真面目に選考委員を務めた人はやはり今では純文学の大御所、文豪と呼ばれる人だね

どんな人がいますか?

菊池寛、久米正雄、小島政二郎、佐佐木茂索に、まず芥川龍之介の弟子ーー後に志賀直哉の門下生になるんだけどーー滝井孝作、旧知の佐藤春夫……

佐藤春夫って太宰治の先生でしょ⁈ 太宰治を裏切った!

あのな……そういう戯言は太宰治信者の馬鹿野郎どもの被害妄想だ。太宰も十分なゴミカスだからな。佐藤春夫はよくあそこまで面倒見たと思うわ本当に。物事は多面的に見なければならぬよ。フミ。

そうです! 佐藤春夫だって全て悪いわけではない! 太宰にだっていくらでも非はあります!

……パイセン、文学あまり知らないのに何でそこまで強く言えるの?

フミ! 秋刀魚の歌という美味しそうな詩を作る人が完全な悪人なわけないじゃないですか! 秋刀魚秋刀魚秋刀魚は苦いかしょっぱいか!

(食べ物絡みになるとタカネさん強いんだよなあ……)

流石です! そこに痺れます! 憧れます!

(このフミも単純な上に、そのうちスタンドでも出すんじゃねーの……)

で、だ。さらに、新感覚派と呼ばれた横光利一、川端康成……

川端康成ってノーベル賞取った人ですよね?

……お前ら、話の腰を折るな。川端康成はまあ、名前はよく知られているからな

あのダチョウみたいなインパクトある顔な

やめろバカ! あの人はすごい苦労があったんだよ! で、最後に詩人の室生犀星が委員として名を連ねている

室生犀星って萩原朔太郎らと並ぶ有名な詩人じゃないですか? でも、どうして?

芥川と付き合いがあったからでしょ。室生犀星は小説も書いてたしね

でも、詩人が小説の賞の選考委員を務めるなんて珍しいよね

そうかなあ。中村光夫なんか、批評家だけど、芥川賞の選考委員務めてたで。一批評家といえども、見方をしていたなあ。今はそんな良心は何処とやら、人気と知名度ばかりのおちゃらけか老害の作家ばかりだけどね

まあまあ……で、その人たちが選考して作品を決めたと

ああ。第一回目から、その芥川賞、直木賞の方向性が位置付けられた。

位置付け?

直木賞は後に人気作家となり、未だに芝居なんかでその名を残す川口松太郎が。芥川賞は社会批評に富んだ純文学作家、石川達三が受賞したんだ

わーお。有名どころじゃーん

菊池寛はあえて、芥川賞をその期間で一番出来の良い作品……と定めたが、純文学的な作品が受賞するのが自然の流れになっていったんだな

ははあ。自然に純文学が練りこまれていったと。

まあ、そういうことっかな。後でもう一度芥川賞関連でやる。戦前の受賞者だけでもな、石川淳、尾崎一雄、火野葦平、中里恒子、芝木好子、八木義徳なんていう戦後まで大活躍した純文学作家が輩出されたわけだ。

まあ、この事は文藝春秋の芥川賞・直木賞150回全記録、に詳しく出ているので!

(さらりとステマしやがった……)

まあ、それで、自然的に、いつの間にか、直木賞は大衆的、芥川賞は芸術的、純文学的、という概念が生まれるようになった。しかし、これも一面性な捉え方だと思う。では次に…………

貴方様。お腹空きました

お前、燃費悪いわ!

パイセン、じゃあ休憩がてら、スイーツ食べに行きましょうよ

ふふっ。名案ですね。

では、また後でね〜

(ううっ……胃が痛え……少し寝てこよ……)

ダンディーの胃はキリキリキリと秋の虫のような鋭い音を立てていました。

まだ続きます(しつこい)
後、そろそろ挿絵入るかも(少し仕込みのため休むかも)

純文学のミカタ!! ~第三話。純文学の歴史 part2~

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