お、おにいちゃんっ

 隅っこにいたルイが、慌てて俺のそばに来た。

 俺は妹の腕を問答無用で掴み、そのままベッドの下へ潜り込む。まだチャージ時間が短くて、ステルスが使えないからだ。
 

駄目だ、落ち着かせてる場合じゃない。隠れようっ

りょ、了解っ


 兄妹そろってベッドの下で俯せになった瞬間、荒々しい音がしてドアが開く音がした。

どうしたっ

 声がしたと思ったら、いきなり焦ったように怒鳴った。

おい君、脇坂君っ、なにを――うわ、やめろおっ

 抱き合うように寄り添い、ベッドの下で隠れている俺達には、正直、見えないところで何が起こっているのか、正確にはわからない。

 しかしこれは多分、脇坂が警官の人を相手に、何かダダこねているんじゃないだろうか。

 ……なんて考えている間に、ベッドがガタガタ震えて、脇坂が喚く声がした。

いやだ、絶対嫌だっ。やめてくれぇええ

おいっ、落ち着け! ここは病院――くっ

 一瞬、げっと思った。

 というのも、いきなり俺の視界の中で、転んだ警官の姿が映ったからだ。どうも、脇坂に突き飛ばされるかどうか、したらしい。

 もし彼が、そこでふと横を見れば……その時点で俺達はばっちり見つかっていただろう。
 しかし、余程焦っていたのか、警官はすぐに跳ね起きた――が。
 ワンテンポ、遅かったらしい。

 というのも、窓ガラスが割れる壮絶な破壊音がしたかと思うと、警官が絶望的な声を上げるのが聞こえたからだ。

(ま、まさかっ。脇坂のヤツ!?)

 そのまさかだった……俺が危険を冒してそっとベッドの向こうを覗くと、まさに、警官が破壊された窓のそばに佇み、眼下を眺めているところだった。

 俺はすぐに首を引っ込めたが、その直後に、彼がドアから走り出ていく足音が聞こえた。

わ、脇坂のヤツ! まさか、また飛ぶとはっ

 あいつから受け取ったブレスレットを握りしめ、俺は思わず呻く。

ど、どうする、おにいちゃん?

どうするも……こうするも

 考えるまでもなく、俺は即答した。

とにかく今は、ここから逃げる!



 言葉通り、俺はチャージを終えたばかりのインフェクションを使い、妹と二人でそこから遁走した。
 いつまでもベッドの下に隠れてる場合じゃないしな。

 しかし……まさかまた病室から飛び降りるとは思わなかった。病院の前は大騒ぎになってたけど、なんだか後味悪いな、クソッ。

 今回はさすがに脇坂も助からなかった気がするし。

 当然、ショックを受けているのは俺だけじゃなくて、一緒に歩くルイも俯き気味でしきりにため息をついている。

 心配してひそかに聞くと、

やっぱりお外に出るといいことない……

などとションボりした声で呟いていた。

いやホント、今回は悪かった

 俺はルイの肩を抱くようにして、通りの隅に寄った。
 深夜とはいえ駅の近くだし、やはり頻繁に通行人とかち合うので、少しでも妹の負担を減らそうとしてやったわけだ。

 最初から隅っこ歩いてたら、さすがにわざわざ注目するヤツも――。
 そこで、いきなりぞくりと悪寒に身が震え、俺は足を止めた。

 自分でもなぜ足を止める気になったのかわからないが……あるいは俺の持つギフトの一つ、プレディクション(予見)が、俺の心に強い制止をかけたためかもしれない。

 もちろん、真相はわからないが、いかにもありそうである。
 ……いきなり俺が足を止めたせいか、ルイは不思議そうに俺を見た。

どうしたの、おにいちゃん?

いや、俺にもよくわからんのだが――

 言いかけた俺は、上を見て絶句した。

 ……なんの変哲もない雑居ビルの上に、セーラー服の女の子が立っている。時間と場所を考えれば、それだけでも妙なシチュエーションだが、さらに言えば、その子は屋上の縁に立っているのだ。

 しかも、あと半歩だけ足を踏み出せば落ちるという、ギリギリの場所に。

 雑居ビルとはいえ、八階建てであり、飛び降りたらタダでは済まない。しかも、ここから見上げた俺は、その子がさっきの脇坂そっくりに身体を前後に揺すり、動揺を露わにしているのを見てしまった。

まずい……これは嫌な予感がする。ルイ、悪いが少しここで待って

 言いかけたが……あいにく、遅かった。
 可能なら、今からでもそっと雑居ビルに入り、屋上まで行って止めるかと思ったのだが……相手は、ためらいもなく飛び降りてしまったのだ。

見るな!

ええっ

 セーラー服を着た身体が石のように落下するのを見て、俺は慌ててルイを引き寄せた。

 辛うじて間に合ったが、間近で液体の詰まった革袋を落としたような、何ともいえない音がして、華奢な肉体が弾けた。
 裏道とはいえ、数名ほどの人通りはあり、たちまち周囲に悲鳴が木霊する。

 今回は、いち早くiPhoneを出して警察――もしくは救急車に電話している大人がいたので、俺は率先しての通報は控えた。

 ただ……ここでも俺はばっちり見てしまった。

 飛び降りたばかりのその子の左手に、銀色のブレスレットが光っているのを。

……どうなってんだ、一体

 思わず呟いたが、もちろん答える者はいなかった。

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