老人は机に向かい、誰にともなく呟き続ける。
「徳とは何か」
老人は机に向かい、誰にともなく呟き続ける。
「それを最早、徳エネルギーと切り離して語ることは最早できない。仏教のみならず、功徳に近い概念……『善行は報われる』という信仰こそが徳。これは人類に普遍的なものだ」
「即ち、元来人類が形而上作用として持っていた功徳を、形而下に作用するようにしたもの……それが徳エネルギーの正体といえよう」
ガタッ
「だが、儂は後悔しいている!!特に『マニタービン』だ!儂があれさえ発明しなければ、徳カリプスは……っ!」
「おじいちゃん、興奮すると体に毒ですよ」
お茶を運んできた娘が、興奮した老人を諌める。
「……いつもすまんのぅ」
「それは言わない約束でしょ」
「うむ……」
互いの気遣い。実に美しく、徳の高い光景だ。だが今年齡80を数えるこの老人こそ、徳エネルギーの権威にしてチベット仏教の高僧、ラマ・ミラルパ20世である。
だが老人の正体を知る者は、娘を除き街には居ない。
娘は、彼預かった孤児であり、唯一の彼の縁者だった。
「爺さん、爺さん!」
「邪魔するぞ」
そこへ慌ただしくドアが開き、入ってくる男が二人。クーカイとガンジーである。
「ソクシンブツを見つけてきた。これで三ヶ月は持つぞ!」
「……そうか。それは良かった」
老人の皺だらけの目元が微かに綻ぶ。
「徳ジェネレータを動かしてくれ。爺さんじゃないとダメなんだ」
「ガンジーさん、お爺ちゃんは疲れてるのよ」
「いや……ジェネレータの所へ搬入しておいてくれ。今晩にでも見てみよう」
「よろしく頼む」
頭を下げるクーカイ。
「しっかし、爺さんくらい徳があれば、自給自足だってできるだろうに」
「有り難いのは確かだが、なんで採掘屋の街なんぞにいるんだか」
「年寄りには、色々とあるんじゃよ。それに……自分のためにしか使わぬ徳は、錆び付く」
「そうかい。ぽっくり成仏しないよう気を付けてくれ」
「……あの爺さんも謎が多いな」
「そう言うな。あの爺さんが居るから、徳ジェネレータが動かせるんだ」
二人は老人と別れ、ささやかな祝杯を上げている。街が救われる、その前祝いだ。
「よう、お二人さん。お手柄だったじゃないか」
「なんだ、マスター。奢ってくれるのかい」
「奢りはせんが……こいつは、気持ちだ。受け取りな」
「おう、気が利くねぇ」
「徳カリプスからもう十五年。その酒の残りは、そいつで最後だ」
「そうか、もうそれ程経つか……」
徳カリプスによって、文明世界は崩壊した。
文明の根幹を担っていた徳ジェネレータが暴走・連鎖崩壊し、多くの人命が失われたのだ。
「あんたらが、別の村まで行ってくれるなら、また飲めるかもしれんがね」
「おいおい、今回だってヤバかったんだぞ……」
この街には偶然、稼働停止中の徳ジェネレータと実験都市があった。それが細々ながらも、ガンジー達が生きながらえることの出来た理由。
だが、それでも足りない物は出てくる。事実今回も、エネルギー不足で街は干からびかけたのだ。他の人里と交流できれば、それに越したことは無いのだが……
「リスクが高すぎる。得度兵器の密集地帯を抜けねばならん」
『得度兵器』。徳カリプスと時期を同じくして、人の手より離れ野生化した機械生命体。
彼らは人を襲って徳を食い荒らし、糧とする存在だ。今やそれが、無人となった荒野に犇めいている。
「……悪かった。だが、あんたらなら出来そうな気がするんだ。この街一番の採掘屋の、あんたらなら」
「そう言われたら、まぁ悪い気はしねぇよなぁ」
「今夜は存分に飲んでくれ。奢らんがな」
そう言い残して、店主は立ち去った。
1時間後……
「だが、俺は思ったね」
「ヒクッ……今回のソクシンブツは、天啓に違いないって」
「……また、その話か」
クーカイにとっては、帰りの車中、何度も聞かされた話。
「考えてもみろ。あれほどのブツが見つけられたんだ。いけるって」
「有るかどうかも怪しい代物だろう……
無限の徳エネルギーなんてな」
内なる徳に見切りを付けた彼等は、徳エネルギーをそのまま扱うことはできない。徳ジェネレータで徳からエネルギーを取り出し、その熱でお湯を沸かして蒸気でマニタービンを回して発電、或いはエネルギーを使って水素を作り、それを利用する他ない。
だからこそ、『無限の徳エネルギー』は夢なのだ。
「でもよぉ……あの爺さんは、『有り得ない話じゃない』、って言ってたぜ」
「『有り得る』と『見つかる』は別問題だ」
アルコールが潤滑油となり、二人の議論はエスカレートする。
徳エネルギー工学の基礎を解しない彼らには知り得ぬことだが……それは確かに『有り得る』ことなのだ。
無限の徳エネルギーを生む伝説の遺物……
人はそれを、『仏舎利』と呼ぶ。