まぶたの裏を白く彩る光のまぶしさに、私はうっすらと目を開ける。


いつもなら聞こえてくる鳥のさえずりにかわり、耳をくすぐるのは低いいびきだ。

それに少し驚いて身を起こしたところで、私は昨日の出来事を思い出す。


小さな和室の中に、ぎゅうぎゅう詰めになって寝ているのは馴染みの勇者達。


私にくっつくようにして寝ているのはレンとジイジとナミナで、少し離れたところで座ったまま壁にもたれて眠っているのはテオ。


そしてどうすればそんな状態になるのかと思わずにはいられない、アクロバティックな体位で横になっているのはルースだ。

サキ

寝方も、想像通り……

みんなの寝顔を見ながら、私はそっと布団を抜け出す。


もう熱は下がったのか、体は軽く頭もすっきりしている。


気持ち悪さもないし、むしろ昨日の食事が胃に残っていないせいか空腹さえ感じる。


同時に喉の渇きも覚え、私は台所を探そうとそっと部屋を出た。

サキ

あれ、ここって……

廊下に出て、私は思わず息のむ。


驚くべき事に、このアパートは私が住まうアパートと全く同じ間取りと内装だったのだ。


唯一違うのは、どの部屋にも生活感が満ちていることだろう。


共有リビングにはみんなの持ち物が散乱しているし、台所にはそれぞれが使う専用の食器が並んでいる。


アパートに独りで住んでいる私には、その雑然とした雰囲気が少し羨ましい。

テオ

おはよう


殺風景な自分の世界を思い出していると、背後からテオの声が響く。

頭の中で響いていた声が、背中越しに聞こえるのはちょっと新鮮で、なんだか少しこそばゆい。

テオ

もう、起きて平気なのか?

サキ

うん。それになんだか、喉かわいちゃって

テオ

サキが送ってくれたミネラルウォーターあるけど、それで良い?

私が頷くと、テオは台所の端にある冷蔵庫を開け、ミネラルウォーターを取り出す。

サキ

なんか、ちょっと面白い

テオ

面白い?

サキ

勇者様が、冷蔵庫からペットボトル出す姿ってなんだか違和感があって

その上、彼が手にしているのは私が愛用している国産のミネラルウォーターで、浴衣姿も相まってミスマッチ極まりない。

テオ

確かに、エンダージアにはペットボトル無かったな

サキ

冷蔵庫はあったよね、電気のやつとは違うけど

テオ

魔動力の奴だろ、たぶんこの冷蔵庫はエンダージアのと同じ奴だよ

サキ

言われてみると、ちょっと形が違う

テオ

サキが送ってくれた炊飯器とか電気ポッドはたぶん地球のかな

テオ

コンセント刺さないと使えないし

サキ

そう言えば、炊飯器とか使ってるの?

テオ

時々かな? 今のメンツには料理好きいないし、サキのご飯に甘えっぱなし

そんな話をしながら、テオはミネラルウォーターをグラスにつぎ、渡してくれる。


それを飲もうと口を付けたところで、私はあることに気づいた。

サキ

そういえば、私こっち来ちゃったけどご飯どうしよう

テオ

実はそれ、俺も不安だったんだよな

サキ

昨日の残りとか、ある?

テオ

ジイジとルースが全部食ってたな……

テオ

あと、あるとしたら……

冷蔵庫や、シンクの上下に備え付けられた戸棚を開けて、テオがいくつかの食材を取り出す。

出てきたのは主に、念のためにと私が送っておいた食材や調味料だ。

テオ

お米と、梅干しと、そうめんと……、あと調味料はそれなりにあるかな

サキ

野菜とかお肉は?

テオ

肉は、一昨日くらいにルースがおやつで喰ってた……

サキ

お、おやつ……!?

テオ

腹減ったーとかいって、魔法で一人バーベキューしてたぞあいつ

サキ

ワイルドだね……

テオ

野菜も、ほとんど悪くして捨てちまったんだよな

テオ

今のメンツは、野菜嫌いが多くて……

サキ

じゃあ、あるのは主に炭水化物か

テオ

大食いが多いからすぐ無くなりそうだけどな

サキ

どうせなら、もうちょっと食料が豊富なタイミングで来たかったなー

サキ

せっかく来れたのに、食事の心配ばっかりしちゃいそう

テオ

まあ何とかなるさ。
一応ここは、奇跡の中らしいし

確かに、私を除けばここにいるのは世界を救った勇者達なのだ。
そんな彼らを、まさか女神が餓死させるとは思えない。

テオ

だから、心おきなくここにいろよ

サキ

でも、いつまでいれるのかな?

テオ

そう言うことは、今考えるなよ

いつの間にか空になったグラスを、テオが苦笑気味に取り上げる。


そのとき僅かに触れた指先は、私の想像以上に暖かくて、固かった。

サキ

本物、なんだ……

テオがそばにいる。


そのことに不思議な感動を覚えながら視線をあげ、私は彼の顔を見つめた。


そして彼も、まじまじと私を見つめる。


お互いにお互いを観察する私達の間には何の色気もなくて、ただこの状況を奇妙に思う空気だけが流れる。


首をかしげて、まじまじと姿を見て、そして頭に浮かんだのは……。

サキ

テオ、イケメンだね

テオ

サキは、綺麗だな

感想が重なり、私達は思わず吹き出す。

テオ

褒めてもらえるとは光栄だな

サキ

前々から思ってたけど、直に見るとちょっと感動しちゃって

テオ

感動してた割には、あんまり心がこもってない感じだったけど

サキ

うーん、まだ少し実感がないからかな?

サキ

夢見心地というか

テオ

なら、実感してみる?

サキ

実感?

首をかしげた私の手を、テオがつかむ。

そのまま腕事持ち上げられた手のひらを、テオは自分の胸に押し当てた。

サキ

触れる、すごい!

テオ

実感できた?

サキ

なんか、テオってちゃんとした生き物だったんだなぁって今しみじみ思った

テオ

なんだよその感想

サキ

ごめん、自分でももっと良い事言いたいんだけど……

上手い言葉が、口から出てこない。

サキ

私……テオとかみんなのこと、自分で思う以上にちゃんと実感してなかったのかも


異世界に召還されてから、私の周りは奇妙なことばかりで……。


そしてそんな奇妙な現実を、私は夢の様に感じていた。


すべては夢で、いつか覚める物で、だからこそ自分の理解を超えた事が起きても、私は他の人ほど取り乱すことなく順応していた。


いずれ元の現実に戻れると信じていたし、実際私は、運良く自分の世界と生活を取り戻すことが出来た。


でも現実の世界に帰ったにも関わらず、私の生活は少し不思議で、奇妙なままだった。
それを苦だと感じたことはないし、テオ達と話すことに幸せも感じていたけれど、たぶん本当は少し不安だった。


夢のような時間はいつか終わる。
そもそも、今あるすべては私の妄想で、目が覚めた瞬間すべては消えてしまうのだと、心のどこかではずっと考えていたのかもしれない。

サキ

異世界に飛んだときも、そこで暮らしたときも全然実感無かったけど……

サキ

こうしてると、全部現実だったんだなってようやく思えた

テオの胸に当てた手のひらからは、彼の温もりと鼓動が聞こえてくる。


そして上を見れば、自分を見つめる穏やかな瞳がある。


勇者の捕らわれた奇跡の中、という相も変わらず不思議な空間にいるのに、私は今初めて、これが自分の現実なのだと実感した。

テオ

俺も、触って良いか?

サキ

うん、いいよ

テオ

もうちょっと、ためらって良いんだぞ

サキ

私も、触られたいから

ためらいもなく頷くと、テオの指が私の頬に触れる。

サキ

男の人の指だ

テオ

心の声、漏れてるぞ

サキ

いや、なんかしみじみ思っちゃって

テオ

アプリで話すときより、サキは良く喋るな

サキ

いつもは言葉、選んでるしね

テオ

それに表情も、こんなにかわると思わなかった

頬に触れていた指先が、唇に降りてくる。


とたんにテオが男だという事が急に意識され、私は赤くなる。

テオ

こういう顔も、初めてだな

ふっと笑うテオは妙に色気があって、頬に走る熱はまだしばらく冷めそうも無い。

テオ

サキって、結構隙だらけだな

サキ

隙……?

テオ

色々したくなる

サキ

……っ!


唇をなぞる指の動きで『色々』の意味はわかったし、それを望む気持ちに気づいてしまったが、もちろん言葉に出来はしない。

テオ

だけど今回は我慢する。外野も見てるし

サキ

外野……?

テオの言葉にはっと顔を上げて、私はようやく向けられた複数の視線に私は気づいた。

ジイジ

わしのかち

ナミナ

くやしいぃ、絶対キスまではすると思ったのに!

サキ

えっ、何……!?

レン

この二人、下世話な賭をしてたみたいで

ジイジ

支払いは、いちパフパフね

ナミナ

わかったわよ、あとでいっぱいパフパフしてあげる

ジイジ

ぱふぱふ

サキ

パフパフって……

テオ

ジイジ、ああ見えて結構スケベだぞ

ジイジ

ぱふぱふ

ナミナ

それを言うならあなたもでしょ、
早速サキのこと独り占めにしてるし

レン

ルースさんが起きてきたら、絶対怒りますね

テオ

あいつ、昼過ぎまで起きてこないから大丈夫だろ

テオ

それに言っただろう、何もしないって

しても良いのに、と思った言葉は無理矢理飲み込む。


けれど私のとまどいを、テオは見抜いている気がした。

テオ

未練がある方が、次に繋がる気がするしな

耳元で囁かれた声に顔を上げた瞬間、額に小さな温もりが降りてくる。

サキ

……!?

ナミナ

やった、賭はやっぱり私の勝ち!

ジイジ

ぱふぱふ……

テオ

今回会えたのは女神の気まぐれだろうけど、俺はこの1回で終わらせる気はないから

テオ

次は自分の力で会えるように、今はここまでにしとく

そんな言葉を私の耳元に置いて、テオは微笑む。

いつも見ている笑顔と同じはずなのに、これが現実だと自覚してしまったせいか、いつも以上に体が熱い。

テオ

とりあえず飯にするか。
サキはいつまでいられるかわからないし、
せめて朝食くらい一緒に食べよう


テオの言葉に、他のみんなも側へとやってくる。


それから私達は、すぐに食べられるそうめんを作り、食卓に着いた。

朝からそうめんなんてちょっとおかしいけど、そこが私達らしい気もした。

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