――シーエッグ 教室――

椿は、お菓子作りと化学が得意だった。

椿

今日のクッキーは、型を変えてみたんです。面白い形でしょ?

幸也

うん、そうだね。味も変えたんだ?
今日は苺の味がする

椿

そうなんです!
美味しいドライフルーツが手に入ったから、入れてみたんです。
幸也さんはちゃんと気がついてくれるから嬉しいな

幸也

すぐに分かるよ、美味しいからね


不得意なのは料理と早起き、数学と化学以外の勉強全般。けれどそれは別に構わない。
大抵のことは僕が得意としているから。

椿

幸也さん、料理得意なんですね!
このオムレツふわっふわで美味しい~

幸也

どんどん食べて。
君に食べて欲しくてたくさん作ったから


僕と椿が教室の机をくっつけてお弁当とお菓子を食べていると、背後から瑞留の舌打ちが聞こえてくる。

瑞留

チッ……教室でイチャつくんじゃねーよ

幸也

羨ましい? ははは


僕がクッキーを持ちながら振り返ると、瑞留は心底嫌そうに口を曲げた。

瑞留

……相変わらず嫌な性格だな、お前


そこで相変わらず? と椿が首を傾げる。

幸也

ああ、僕と瑞留は以前同じ学校に通っていたんだよ。中学の時の話だけれどね

椿

へえ、そうなんですね。
でも幸也さんが嫌な性格だなんて……
こんなに優しいのに


その会話に瑞留はそっぽを向いてサンドイッチに食らいつく。彼の弁当は手製ではなく、売店で売られているものだ。
その横で玉慧が食べているのは、いわゆる日の丸弁当。水筒のお茶を相棒に、ぐいぐいと胃に流し込んでいる。

幸也

玉慧さん、おかず少し食べる?


話しかけると彼女は意外そうに目を見開いた。

玉慧

……いい。
二人で食べるために作ってきたんでしょ?
さすがに申し訳ないよ


皮肉でも何でもなく、本当に遠慮しているようだった。瑞留と喧嘩している時は随分乱暴な印象だったが、こうして話してみると普通の女の子のようだ。

椿

そんなことないですよ。
幸也さんの美味しい料理、みんなにも食べて欲しいです

玉慧

あ、ああ、そう……
じゃあ、貰おうかな……


椿の惚気のようにも聞こえる物言いに気圧されつつも、玉慧は僕の差し出した弁当箱に手を伸ばす。
そして唐揚げを一切れ口に放り込み、何度も瞬きをした。

玉慧

これ、あんたが作ったの?

幸也

口に合わなかった?

玉慧

いや、そうじゃなくて……
すごく美味しいから

椿

ね、美味しいでしょう!
幸せの味がします~


僕より先に椿が喜んでくれる。彼女のこういうところも、僕はなかなかに気に入っていた。

玉慧

幸せの味、ねぇ……うっぷ


なぜだかそこで玉慧は気持ち悪そうに口元を押さえる。少々驚いて様子を見ていると、申し訳なさそうに彼女は頭を下げた。

玉慧

ごめん……
わたし、綺麗すぎるもの見ると吐きそうになるんだよね……

幸也

綺麗すぎる……?

玉慧

絵に描いたような幸せっていうの……
なんか、そういうの


苦笑いしてしまった。そんな性質もあるものなのか。
ともあれ彼女は我慢したようで、落ち着いた表情を取り戻し目を細めた。

玉慧

まぁ、とにかく……あんた達、お似合いだね

幸也

そうだと嬉しいな

椿

うふふ、嬉しいです


そう言って僕らは二人目を合わせる。

幸也

(まるで恋愛ドラマの二人だな。勉強したかいがあった)


後ろで苦笑する玉慧の声を聞きながら、僕は自分自身に満足した。
勉強も運動も芸術も人付き合いも、全て完璧にこなしてきた僕。欠けていたのは、笑顔以外の表情と恋愛だけだ。

幸也

(この学校に来て良かった)


僕は椿というパートナーを手に入れて、ようやく僕という完成形になるのだ。

――シーエッグ 水槽前――

僕と椿は、巨大な水槽の間を歩きながら言葉を重ねる。
昨日出会ったばかりの僕達は、いくらでも話を続けることが出来た。
家族のこと。この学校に来るまでのこと。お互いのこと。好きな物のこと。

幸也

だから僕は、誰かの幸せそうな顔を見られるなら少しくらい犠牲になってもいいと思ってるんだ

椿

だからご実家を出てきたんですか?

幸也

そういうこと。僕の家族は、成績優秀で何でも出来る僕を愛していたようだった。
進学する大学も決まっていたけれど、この病気が発覚した時点で受かる見込みはないと分かっていたからね。
ならば家族の足を引っ張るよりも、この学校に入った方がいい。補助金も入るしね


足を止め、困ったように顔を歪ませた椿の目に涙が浮かぶ。

椿

……でも、今は幸せですよね? そのための決断だったんですよね?

幸也

(うん。その言葉の選び方も、僕は嫌いじゃない)


立ち止まった彼女の肩に手を置いて、僕は強く頷いた。
きっとこの動きで、問題ないはずだ。

幸也

もちろん。
僕は幸せになるためにこの学校に来たんだ。最善の選択で、最高のパートナーを得る。
それが僕の目標だよ


それでもなお、彼女の目は潤んだまま僕を見つめている。
何度かためらいつつも、椿は僕の服を掴んだ。

椿

最高のパートナーに……私はなれますか?


これが恋愛ドラマの話であれば、僕は良く出来た演技だと褒めただろう。
彼女の告白は完璧だった。恥ずかしそうにためらいながらも、真っ直ぐな視線はそらさない。

幸也

それも、もちろん。
そのつもりで言ったんだよ


僕が言うなり、彼女はぽろぽろと涙を零した。けれどその顔は笑っていて、とても幸せそうだった。

椿

良かったです……私、幸也さんには、一番幸せになって欲しいから……!
私の、パートナーとして

幸也

ありがとう。
僕は今まで他人の幸福ばかり見てきたけれど、初めて自分の幸福にちゃんと向き合えている気がするよ

椿

それって……今、幸せって、ことですか?

幸也

うん


頷きながらも制服の袖で彼女の涙を拭う。少し雑なやり方だけれど、そこでようやく椿の笑顔が輝いた。

椿

ふふっ。
ハンカチ持ってますから、大丈夫です

幸也

そう? 僕は持ってなかったからさ

椿

じゃあ私、今度から二枚持ちますね。
私の分と、幸也さんの分


僕はまたありがとうと言いながら、彼女の手を握った。
こうして手を繋いで歩けば、普通の恋人同士のように見えるだろう。ドラマの中でもそうだった。

椿

それじゃあ、行きましょうか。
外出許可なんて滅多に下りないんですから!


手を握り返して、椿は僕を先導する。
悠々と泳ぐ魚の間を駆けるようにして、僕達は海の中にあるこの施設――サナトリウムから抜け出した。

――シーエッグ 地上公園――

特殊学校のある施設はさながら海中に産み落とされた卵のような形をしていた。
それゆえシーエッグだなんて短絡的な名前で呼ばれているが、ここでたくさんの雛達が孵る時を待っているのだと思えば悪くない。
そのシーエッグからエレベーターで10分も上れば、地上に出る。
地上と言っても、こちらも半円形の卵のようなものだった。変わりゆく地球環境に適応出来ない人間達の、生きる場所。

椿

自然光なんて久しぶりです!
気持ちいいですね

幸也

そうなんだ。
僕はついこの間までここにいたからなぁ

椿

そう言えばそうでしたね。
私と幸也さんが出会ったのもついこの間――なんて、信じられません

幸也

うん。随分長い間一緒にいたような気分になる


すると彼女はまるで照れたような顔で首を傾けて見せる。本当に彼女は上手だ。

幸也

そう言えば君、いつまでその言葉遣いでいるの?
歳は僕が上かもしれないけれど、パートナーならもっとくだけた喋り方でいいんじゃないかな

椿

そっ、そうですか?
じゃあ……もっとくだけて……普通に……


まごまごしながらも、彼女は持っていたバッグから包みを取り出す。

椿

えっと、幸也さん。
今日はケーキを作って来たんです……
じゃなくて、作って……来たの!

幸也

ケーキ? わざわざありがとう。
大変だったでしょ

椿

いいえ、全然!
幸也さんが幸せそうに食べてくれる姿を思い描いてたら、すぐに出来ちゃいました――
じゃなくて、出来たの!


僕は声に出して笑いながら、近くのベンチに腰を下ろす。
二人並んで座ったまま、その包みを開けた。ピンク色の生地が鮮やかなパウンドケーキだった。あちこちに苺の果肉が紛れ込み、赤いマーブルを作り出している。

幸也

美味しそうだけど……
そう言えば、シーエッグから飲食物の持ち出しは禁止じゃなかった?

椿

そうなんだけど、幸也さんに地上で食べて欲しくて……ダメだった?


椿はしょんぼりと肩を落とした。健気な仕草だと思いながら、僕は辺りを見回した。
周囲には誰も居ない。

幸也

(この間作ってくれたクッキーも苺だったな)

幸也

……ダメじゃないよ。
でもごめんね。僕、こういうルールは守るべきだと思ってるんだ。
いくら『心酔』してたとしてもね

椿

ごめん……なさい……


可哀想なくらいに気を落とし、泣きそうな顔で俯いてしまう。

幸也

僕の方こそごめん。
このケーキは教室に戻って食べようか。
そこでならルール違反じゃないから


そう言うと彼女の顔がパッと明るくなった。また泣かせてしまうことがなくて良かった。

椿

うん、そうだね!
私、誰かの幸せそうな顔が見たいって思ったらつい暴走しちゃうみたいで……
幸也さんを困らせてごめんなさい。
これは、しまっておくね


元通りバッグにしまい込もうとしたその時、バッグからゴロンとペットボトルが落ちた。お茶の入ったペットボトルだった。

幸也

お茶まで用意してくれてたんだ。ありがとう

椿

ううん。喉が詰まっちゃいけないと思って。でも……無駄になっちゃったね


気遣いの出来るパートナーに感心しながら、僕はペットボトルを拾い上げた。
そしてキャップを確認する。ブリッジが切れていない。新品だ。

幸也

でも新品なら別だよ。地上で買ったことにすればいい。
これはここで一緒に飲もうか

椿

……そっか、そうだね!


期待に満ちた目で椿は僕を見つめてくる。そんな中、僕は音をたててキャップを開け――ペットボトルのお茶に口を付けた。

幸也

(……?)


その時視界に映った椿の目が、異様に見開かれていた。見たことのない表情だ。
一瞬にして異臭を感じる。
だが、もう遅い。
僕の喉がゴクリと鳴る。

幸也

――っ!?


僕はペットボトルを投げ捨てた。
そして服の袖口で口を拭う。袖を汚したお茶からは、苦いような酸っぱいような、妙な香りがした。

椿

……幸也さん……飲んだ?
ちゃんと飲んでくれた?


その声の低さにゾクッとした。
聞いたことのない声色に、見たことのない表情。
しかし僕は例によって微笑したまま、彼女に問う。

幸也

……何? 何か、入れた?


僕は何度も口を拭いながら、ベンチに手をついた。
椿は転がったペットボトルを拾い上げ、上から見下ろすように僕を見た。

椿

うん。このお茶も私の手作りだから。
だから一杯飲んで欲しかったのに……
零れちゃったよ?


量の減ったペットボトルを僕に優しく差し出しながら、彼女は懇願した。

椿

ね、最後までちゃんと飲んで。
絶対幸せになれるから!


僕は目を細め、ベンチにもたれ掛かる。口の中が経験したことのない熱に冒される。
熱い。痛い。焼けそうだ。

幸也

……どういう、こと……?


僕の途切れ途切れの質問に、彼女は爽やかな笑顔で答えてくれる。

椿

言ったでしょ?
私、ハッピーエンドが好きなの。
にっこり笑ってハッピーエンド。
それって一番の幸せだよね?


僕は答える事が出来ない。
強烈な熱さに耐えながら、目を開くのがやっとだった。

椿

だから、死んで貰うの!
一番幸せな時に死んじゃえば、それってハッピーエンドでしょ


ただ、首を横に振った。けれど彼女はなおも続ける。

椿

だって幸せだって言ってくれたじゃない。
こんな可愛い理想の女の子とパートナーになれて、良かったって思ったでしょ?
絶対今が一番幸せだよ、大丈夫!
死んじゃおう!

幸也

(なるほど……そういう――)

椿

でも全部飲んでないからまだだ苦しいだけでしょ?
念のためたくさん入れたけど、人間にどのくらい効くか私にも分かんないから。
ね、もう一回飲もっか


彼女はそう言って僕の後頭部に手を回す。
恋愛ドラマの中でなら、この後キスをするような体勢だ。

椿

口移ししてあげられなくてごめんね。
でも死んじゃったら頬にキスくらいはしてあげる


いつもの美少女らしい愛嬌のまま、椿は強引にペットボトルを唇に押し当てた。

椿

これが幸也の、ハッピーエンド


僕は死の恐怖を目の前にして、笑っていた。
いつも通りの顔の形を、震えるように歪ませながら。

ハッピーエンドフリーク 第一話 『幸也』 後編

facebook twitter
pagetop