僕らは恋愛が出来ない。
『他者愛欠如症候群』――罹患した患者は俗に『アンチラブ・フリークス』と呼ばれる。
その症状は、人類にもたらされた第三の悲劇だ。
気候変動という名の環境の変化。それに伴う人類の生殖機能の退化。
青く広い地球を見渡せば、いまや荒野と野生動物の群ればかりが眼に入る。
人間はと言えば、地中や水中に潜り込み、身を寄せ合って縮こまり生活する。
僕らは恋愛が出来ない。
『他者愛欠如症候群』――罹患した患者は俗に『アンチラブ・フリークス』と呼ばれる。
その症状は、人類にもたらされた第三の悲劇だ。
気候変動という名の環境の変化。それに伴う人類の生殖機能の退化。
青く広い地球を見渡せば、いまや荒野と野生動物の群ればかりが眼に入る。
人間はと言えば、地中や水中に潜り込み、身を寄せ合って縮こまり生活する。
ちょっとした人類の危機だな
楽しそうに僕らの教師はそう言う。
結局のところ、その程度の話だった。どんな危機が訪れようと生き物はしぶとく産み、増え続ける。
テレビや新聞が危機だ危機だと騒ぎ立てればそのたびに、危機感は薄れていく。
そして僕らは緊張感もなく、授業の一環として恋愛物のテレビドラマを見るのだった。
――――――――――
どうして分かってくれないの!?
私はあなたが好きなだけなのにっ!
いいんだ! もういいんだよ……
もう苦しまないで……君の全てを俺は愛しているんだから
ドラマの中のカップルは壮絶な喧嘩の後に熱く抱擁し、カメラの引きでその話は終わった。
―――――
――シーエッグ 教室――
(授業で見る話にしては、すごいチョイスだなぁ……)
スクリーンのスイッチを切り、先生はまた楽しそうな声色で説明を加える。
どうだったかな?
まぁ君達にしてみれば理解不可能な物語だったとは思うけれど、一般社会ではこのような恋愛話がいくらでも転がっていると思ってくれていい。
うざったいほどの嫉妬も、寛容すぎる愛情も、彼らからしてみればキラキラ輝いて見えるんだよ
先生がそう呼びかけた教室には、三人しか生徒がいない。
その上生徒は授業に無関心で、一人は居眠り、一人はつまらなそうにノートの端を細かく千切っていた。
だもので僕は、先生の言葉に一人うんうんと頷いて言葉を返した。
僕らからは狂言に見えたとしても、ですね
言うねえ。でも、その通り。
恋愛とは一種の麻薬。恋の最中にあっては、平常心じゃいられない。
君達も対人では理解出来ないだろうけど、他の例では理解出来るだろう?
『幸福』を愛する、幸也くん
先生はそう言って、眉毛のない顔でにっこりと眼を細めた。
先天性無毛症で、毛のない生物を愛する先生。
居眠りをしている、美しい人形を愛する瑞留。
ため息をついてノートをしまった、汚れや欠損を愛する玉慧。
そして幸福を愛する僕。
僕らは全員、他人を愛する事が出来ない。
しかし代わりの何かに愛情を注ぐ、
『他者愛欠如症候群』、アンチラブ・フリークスだ。
僕らが『フリークス』(心酔者達)と呼ばれるのは、まさにその人間以外に対する偏愛ぶりが理由だ。
一方で、その言葉にはもう一つの意味がある。
……と言う訳で、今日の授業は終わり――
なんだから最後くらいは起きて話を聞け、瑞留
枕代わりにしていた教科書をスパッと抜き取られ、瑞留は顎を机に打ち付けた。
…………いてぇ
彼は顎をさすりながら、義手である右腕で教科書を取り返す。
瑞留は産まれた時から右腕がない。
それとは関係ないだろうが、前髪が異様に長く陰鬱な物言いをする。
一日授業も聞かず寝っぱなしで、それくらいで済むのが奇跡と思え
チッ
舌打ちすんな!
ちなみに癖は舌打ちだ。
彼が鋭い目つきを伏せた頃、隣の席の玉慧が先生に声を掛ける。
もう帰っていいですか
ちょっと待ってくれ。配布物があるから
分かりました
左眼を眼帯で覆い、ボサボサの髪を適当に束ねているのが玉慧。
僕も詳しくは知らないが、左の眼は見えないらしい。
汚れ物や欠けている物が好きなのだそうで、先ほども端が千切れたノートにご満悦だった。
――とまあこんな調子で、フリークスの原義が『奇形』である通り、僕らは普通の人間とは違う。
身体のどこかが『欠如』しているのだった。
欠けているから他者愛を理解出来ないだとか、元々感情が欠けているから身体まで欠けてしまったのだとか、通説は尽きない。
だから僕は、こんな風に理解している。
(僕らは犠牲者だ。嵐に呑まれた地球の中で、一番最初に傷ついて欠けてしまったサクリファイスってところかな)
本で覚えた言葉を使い、僕は自らを例えてみせる。
僕にとってそれは美しい歯車の一つであり、そう思えばどんなことでも容易く乗り越えてしまえる。
プリントの中身はよく読んでおいてくれ。来週に行うイベントの説明だ
真面目な顔で先生が配ったプリントに書いてあったのは、こんな内容だ。
『ハッピーバレンタイン♪ チョコでみんなと仲良くなろう』
紙のあちこちにハートが飛んでいて少々頭が痛くなる。
しかし理解出来ないからこそ学んでいるのだから仕方がない。
『恋愛のハート』という物を。
……このプリント、どなたが作ったんですか?
そりゃあもちろん、私に決まってるじゃないか!
うぜぇ
端的にディスるのはやめろ! これも仕事なんだよ!?
先生、カツラが曲がってます
えっ、嘘! 鏡ある!?
嘘です
…………
先生のウザさに辟易した生徒達の逆襲か、瑞留と玉慧にからかわれて今日の授業は終わり。
(『他者愛欠如症候群』向けの授業……どんなものかと思ったけれど、これはこれで面白いな)
時計を見ると午後の2時。
僕の転校初日が、終わろうとしていた。
ところが授業が終わってさあ解散という段になって、廊下から派手な足音が聞こえてくる。
その音の主は転がるように教室に入ってきた。
ごめんなさいっ!! 寝坊しました!
息を切らせながら頭を下げたのは、ハニーブロンドの髪を腰の辺りまで伸ばした、いかにもな美少女だった。
(……寝坊?)
椿、お前な……そこの転校生の顔見てみろ。『寝坊って時間じゃないぞ』って書いてあるだろ
えっ、転校生!?
転校生が来たんですか、嬉しい!
こんにちは、はじめまして。私、椿です。お名前伺ってもいいですか?
彼女は人好きのする笑顔で、数歩僕に近寄って挨拶する。
怒濤の展開に面食らうどころの話じゃないが、見目麗しい女の子に名前を尋ねられて悪い気はしない。
幸也です。よろしく
幸也さん! 素敵なお名前ですね。よろしくお願いします
至って好ましい明るさで顔合わせを済ませてくれたので、僕は心からホッとした。
あれ? でも転校生ってことはもしかして……
その通り。お前のパートナー候補だよ
(……この調子なら、パートナーも成立するかもしれない)
僕と椿は、もう一度顔を見合わせて会釈した。
――シーエッグ 水槽前――
お魚って可愛いですよねぇ。ぱくぱく口を開けて必死にエサを食べて、幸せそう~
水槽の水面にパラパラとエサをばらまきながら、彼女は幸せそうに言った。
食べ物のことだけ考えるのって、いかにも幸福でいいよね
分かります!
やっぱり気が合いますね。さすがパートナー候補の方です
そう、僕達二人はパートナー候補だ。
『他者愛欠如症候群』という異常に見舞われた僕達は、特殊学校と言う名のサナトリウムに押し込まれ特殊な教育を受ける。
それが恋愛ドラマを見る授業だったり、バレンタインにかこつけたコミュニケーショントレーニングだったり、性格や偏愛する対象を考慮した上で選ばれた『パートナー候補』と親密になることだったりする。
(そしてそのパートナー候補が、やがて人生のパートナーになる……かもしれない)
要は、この学校は一種のお見合いの場ということだ。
恋愛の出来ない僕達に政府が設けたお見合いの場。そう思うと少し可笑しいが、実際に卒業生の成婚率は高いし、そのほとんどがパートナー同士だ。
君はイヤじゃないの?
誰かが勝手に自分のパートナー候補を決めてしまうのは
イヤじゃありませんよ?
イヤならお断りすればいいだけです。そのための候補ですし
僕はその返答に満足した。
出会った時の印象通り、彼女は前向きで明るい子のようだったから。
良かった。パートナー候補の子に嫌われたらどうしようかと思ってたんだ
実際、あの教室にいた瑞留と玉慧はパートナー候補同士だが、お互いに嫌い合っているようだった。
瑞留は誰にでも冷淡な口を利くし、玉慧は人と話すのが苦手なようだし、無理もない、とは思う。
そんな僕の考えを見抜いたのか、椿はふっと可笑しそうに息を吐く。
瑞留さんと玉慧さんを見てそう思いましたか?
あの二人、もう少し仲良く出来るといいのですけどね
よく二人のこと考えてるって分かったね
だってあの二人、いつも喧嘩してるでしょう? きっと今日もそうだったろうなって
うん。朝教室に入って最初に目にしたのが、二人が喧嘩しているところだった
これは冗談でも誇張でも何でもなく、本当のことだ。
転校初日でクラスメイトが喧嘩してるところを見るなんて、不幸だとさえ思った。
ふふ。でも、気にしないで下さい。
喧嘩するほど仲がいいっていうこともあるかもしれないから
だといいけど
そう話を結ぶと、椿は花が咲くような華やかさで僕に笑いかけてくれる。
(見れば見るほど、美少女だなぁ。
顔も、性格も)
しかし何かが引っかかり、僕は再び魚に餌をあげる彼女を見回した。
(顔も、身体も欠けたところがない……だとすると、内蔵か『機能』か)
不思議だった。奇形と呼ばれる僕達は、どこかが欠けているものだ。
瑞留は右腕を、玉慧は左眼を、先生は体毛を、そして――。
こんなことを聞いたら失礼かもしれないんですけど、幸也さんはどこが『欠けている』んですか?
ドキリとした。
僕が彼女に訊こうとしたことを、反対に訊かれてしまった。
僕は、表情を。さっきからずっと僕は笑ってるだろ? 笑顔以外の表情を作れないんだよ
僕は顔にぺたりと貼り付けた表情のまま、そう答えた。
心中が如何にせよ、僕の顔はいつもこのように変わらない。
そんな……
そんな方も、いらっしゃるんですね
心底驚いたように口に手を当てる。自分の言葉にも驚いたようで、困ったように眉を下げた。
僕には到底出来ない表情だ。
ごめんなさい、失礼な言い方でした。ちょっとびっくりしちゃって
いや、気にしなくていいよ。
それより僕も同じことを訊きたいんだけれど、失礼になるかな、やっぱり
同じこと――
遠くの方を見たかと思うと、あっと気がついたように口を開く。ころころと変わる表情が面白い。
私のことですか!?
全然失礼じゃないです!
私はですね、欠けたところがないのだそうです。ちょっと特別なんだそうで
え、と声がうわずってしまった。
きっと今彼女から見た僕は、微笑みながら驚いた声を漏らす奇妙な人に違いない。
――それでもフリークスなの?
ええ、ちゃんと検査して貰いましたから!
でもそう分かるまで大変でしたよ~。
てっきり自分では普通だと思ってたので
そこまで話して、また彼女は自分の失言に気がついたようだった。
……ごめんなさい。
私、よく失礼だって言われます。
フリークスだって普通の人ですよね……
はは。大丈夫、僕もついこの間この病気だと判明したんだ。
そしてその時同じことを思ったよ。
僕は『普通じゃなかったんだ』ってね
そう聞いて彼女は緊張した顔を綻ばせた。
優しいですね、幸也さん。
幸也さんが私のパートナー候補になってくれて良かったです
僕もそう思ってるよ、椿さん
それに……『好きな物』も同じだし
……えっ?
思わず聞き返してしまった。
そう言えば、彼女の『好きな物』は何だろう。僕は笑顔以外の表情を失った代わりに、幸福を愛した。
(それでは、何も失わなかった彼女は――?)
私も、幸せなのが好きなんです。
みんなの笑顔、みんなの幸せそうな顔!
ハッピーなのが一番ですよね。
小説や映画も、ハッピーエンドが一番好き。
だから……いつも笑顔でいてくれる幸也さんは、私の理想の人です
…………
僕は相も変わらず笑顔のまま、ゆっくりと微笑んだ。
そうだったんだ。
それなら僕にとっての理想も、君で間違いないね
誰もが思い描くような、幸せな二人。
そんな二人になれるような気がした。
例えそこに、嘘があったとしても。