Ⅶ 見知らぬ天井

見慣れない部屋で、フェリシアは目を覚ます。
自分が寝かされた重厚な四柱式寝台からは、繊細なレースのカーテンが下がっている。
クリーム色の壁紙とモスグリーンの絨毯に、深い赤色をしたマホガニーの家具。
白い木枠の大きな窓にはダマスク織りのカーテンがかかっている。
上品で洗練された、裕福な家庭の内装だ。

ここ、どこなの……?

あっけにとられて思わず呟く。
そうだ、私は図書館にいて、それから――。
フェリシアが起きたことに気づいたのだろうか。
ガチャリ。
金属質な音を立ててドアが開き、ウィルフレッドが中へ入って来た。

気づいたみたいだね。よく眠れた?

あなたが変な薬を飲ませて連れてきたのでしょう?犯罪だわ

まるで自分がフェリシアを介抱したかのような恩着せがましさである。
フェリシアは不機嫌な声で答えた。

だって、僕の助言を聞かないから……強硬手段に出ざるを得なかったんだ。それで『死霊秘法(ネクロノミコン)』からは手を引いてくれるかな?

この状況で、はいと言えるわけがないでしょう。あなたの言いなりになるなんて、まっぴらだわ

そうか、残念だ…だが、諦めるというまで、君は帰さない。これは決定事項だ

顎に手を当てながら、余裕綽々といった表情でウィルフレッドは言った。

何を言っているの。あなたはおかしいわ。それに、一体ここはどこなの?

ここは僕が学園入学の時に買った屋敷だ。アーカムの拠点にしている

あら、学生の分際で、ずいぶん贅沢なことね

なるべく嫌味に聞こえるように、大げさな手振りを交えてフェリシアは言った。

”噂の王子様”にそんな態度をとるなんて……君はなかなか面白いな

抱き寄せると、額に軽くキスを浴びせられる。彼の行動が全く読めず、フェリシアは戸惑うばかりだった。

ちょっと……誰にでもこういう真似をするのが、アーカムでの慣習なのかしら。

驚いたかい?

ええ!とっても驚いたの。私の故郷ではありえないことだわ

僕は君のことが好きなんだ。君も僕を愛してくれるというなら、僕はなんでもするよ

あやすように、ウィルフレッドはフェリシアの髪を手で梳く。
柔らかい毛先を指先にクルクルと絡ませる仕草は、まるで大切な宝物を扱っているようだ。

やめて……ウィルフレッド。これではまるで、私たちが恋人同士みたい

そう思ってくれて良いよ、フェリシア。君を守りたいんだ。『死霊秘法(ネクロノミコン)』のことは忘れてくれ

また『死霊秘法(ネクロノミコン)』の話?一体あの書物に、どんな秘密があるというの?

死霊秘法(ネクロノミコン)の名を出されて、フェリシアの心に暗雲が立ち込める。
考えてみれば、出会った当初からウィルフレッドはその書物の話題ばかりしている。
あの書物が一体どれだけ重要なものなのか、そこにどんな秘密が隠されているのか、フェリシアは知らないままだ。

『死霊秘法(ネクロノミコン)』は、私がこの学園を選んだ理由のひとつでもあるの。誰であろうと、譲るわけにはいかないわ。それに、あなたはどうしてそんなにこだわるの?

詳しいことは言えない。君を不幸にしてしまうから

訳がわからないわ。あなたはお金持ちだから、きっと今まで、そうやって何でも自分の思い通りにしてきたのね。でも一つだけ忠告よ。人の心は、お金なんかで思い通りにならない

フェリシアが啖呵をきると、ウィルフレッドは悲しげな表情になった。

悪かった、フェリシア。そんな言い方はしないでくれ

……触らないで

強くウィルフレッドを睨みつけて、フェリシアは言った。

え?

触らないで!!

涙は頬を伝って流れ始める。一旦あふれ出すと、止まらなかった。
 ウィルフレッドは黙ってフェリシアを抱きしめた。
その腕の中で、フェリシアは小さく震えたまま、ずっと黙り込んでいた。

結局、フェリシアが女子寮に戻ったのは、翌朝になってからのことだった。

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