なんで、お前が生きて、俺が死ななきゃならない……?


彼は言った。
恨みのこもった声で、ゴボリゴボリと喉の奥から血の泡を吐きながら。

捩じれてグシャグシャになった腕が、ゆっくりと僕に伸びてくる。


やめてくれ。
僕は背負わない……背負えない。
人の死など、背負えないから。

だから僕になんて、手を伸ばさないで。

どう、して、おれが……


彼はそんな問いかけを最期に、泡すら消えた。



どうして、だって?
そんなこと……

僕が知りたいよ

話は前日にさかのぼる。

仮面の男が笑っていた。
残酷に嗤っていた。

血湧け、肉踊れ野郎ども!


彼の声に、盛大な歓声と拍手が度々起こる。
笑みを深めて、彼は続けた。

時は来た、そして満ちた! さぁ——

さぁ、楽しい戦争をしよう!


僕はそう叫んで立ち上がり、そして椅子の倒れる音でハッとした。
頭が急速に回り出す。

ここはどこだ? 今はどういう状況だ?

……答えはすぐに出た。ここは何の変哲もない教室で、今は授業中だった。

しばらく静まっていたその空間は、僕の口から思わず漏れた、あっ、という声を皮切りに一気に笑い声に包まれる。

……やってしまった、恥ずかしい


そんな思いに顔を伏せる。おそらく、ひどく赤くなっていることだろう。

先生が笑い混じりに声をかける。

おいおい寝ぼけていたのか、ルシュト・エルンセン

……すみません

まぁ、帝学——皇帝陛下に関することを学ぶ時間だからな、間違っちゃいないが。とりあえず、座ったらどうだ?

はい……


ゆっくりと椅子を戻して座れば、再びくすくすと忍び笑いが広がった。
確実に変な人だと思われただろう……いや、それは元々かもしれないが。


先生はその笑いが収まるのを少し待って、黒板に何か書き付け口を開いた。

今エルンセンが言ったのは、先の大戦、第四次世界大戦の際に皇帝陛下がおっしゃった言葉だな。
兵士たちに向けた、激励のお言葉だ。

さて、この時、陛下や色卓の方々のなさったことだが……


それから5分後のチャイムまで、先生は話し続けたようだが、僕はその内容は殆ど頭に入っていなかった。

何故なら、僕には最悪の未来が見えていたからだ。

ひ、ひっ、あはは、ははっ、それ本当? あははは、もう、おっかしいっ!

だろ? 俺も寝ぼけて立ち上がって、しかも叫ぶ奴なんて初めて見たよ! くくくっ!

ふ、二人とも、笑いすぎじゃないですか?


昼休み。
食堂に少し遅れてやってきた僕は、そんな風に三者三様に騒ぐ連中に気がついた。

というか、僕の知り合いだった。
さらに言うなら彼ら――ササム、ミヌセ、レクアは、僕と同じ第六訓練隊の第四班。
つまるところ、“チームメイト”というやつだった。


あの教室にはササムがいた。
だから、こうなることは予想の範囲内だった。

だが、公共の場所でこうも大騒ぎできる連中と食事を共にできるほど、僕の神経は太くない。

……よし、気づかなかったことにしよう


そんなことを考えて、こっそり、けれど素早く通り過ぎようとした、のに。

お、噂をすればご本人登場♪

なんて、ササムがニヤッと笑ってこちらに手を振ってきた。

チッ、抜けられなかったか……!

しかし、ばれてしまっては仕方がない。

しぶしぶ同じ机に座って、ジロリと、特に笑っている二人を睨んだ。

仮にも女子が大声で腹抱えて笑うのはどうかと思うぞ、ミヌセ

あらー女性差別?

違う!

はははっ、ヒデェなぁルシュト

違うって言ってるだろうが。全く、ササムもわざわざ広めなくたって……

えーこんな面白いネタ、ほっとく訳ないにきまってんじゃん

……そうかよ


ブスッと膨れた俺を見て、ササムとミヌセが一層大きな声で笑った。
気分は良くない、というより、悪い。

お、お二人とも、これくらいに……

レクアも、庇ってくれるのは嬉しいが、口が笑ってる

えっ、あっ、ごめんなさい


レクアは慌てたように口を塞いだ。

謝られた方が複雑なんだけど……

す、すみませ、あっ!

…………

あぅ……ひゃっ!?

ちょっと、ルシュトー


思わず黙り込んでしまったレクアに、ミヌセがもたれるように後ろから抱きついた。

もう、レクアをいじめないでよ。そもそもレクアが謝るような話じゃないでしょ。
自業自得って言葉、知ってる?

ああ。だけど寝不足だったんだよ……
昨日は10時間しか寝てなくて

えっ、しか!?

普段どのくらい寝てんだよ!?

12時間は最低

一日の半分じゃねぇかよ!


そう言って、ササムはまた笑った。
笑い上戸なのだ。

だけれど食堂の真ん中でそんなに大きな声で笑うのはやめて欲しい。
目立っているし、何より人の視線が痛い。

それにしても、あんたよく覚えていたわよね


しばらく笑ってから、ふと真顔に戻ってミヌセがそんなことを言う。

覚えてたって、何を?

ほら、皇帝陛下のお言葉よ。意外だわ

……それは遠回しに馬鹿のくせにって言われてる?

違うわよ。
だってあんたいっつも寝てるじゃない、帝学なんて特に

まぁそうだけど……

それに、馬鹿じゃないのは知ってるしね。あんたの生体検診、知能指数にSがついてたんでしょ

えっ、なんで知ってるんだよ

先生が話してた

個人情報の保護って概念はないのか……!?


思わず頭を抱えた。情報流出この上ない。

それで、結局——

おいお前、調子乗ってんなよ


ミヌセが何か言いかけたところで、後ろからどつかれた。
顔を見なくたって、誰か分かる。

ザクラス……

うるせぇんだよ、騒ぎやがって。”白”のくせによ

“白”って、仮面は関係ないだろうが

ああ?


僕に代わって立ち上がったのはササムだった。
ギロリと睨み合う。

なんだよササム。同じ“模様”だからって、俺に意見する気か?

だから、そんなん関係ないだろって言ってんだよ

はぁ? 関係あるだろ。
仮面っていうのはなぁ、色が全てなんだぜ?


ザクラスは嫌味に笑う。
その言葉と表情が、彼の気質や性格を表わしているともいえた。




――色。
それが指す意味は、簡単だ。
仮面には、文字通り“色がつく”。

赤、青、黄、緑、紫、橙、茶、桃、銀、そして黒。
十色のうちから一色が、それぞれの仮面に宿る。

銃器での攻撃を得意とするアカや、治癒および整備などを主とするキ、火薬や爆発を取り扱うモモなど、特徴すら色によって決まられる。


さらに、その色がどれほど仮面を覆っているかで分類がある。

弱い順に、点面、線面、模様面……そして色卓のみが持っている一色面。
全く同じ仮面はこの世に一つとして存在しない。


そしてササムとザクラスは、“模様面”――普通の人が持てる中で最も強いとされる仮面の所有者なのだ。

対して僕は、数えられすらしない最弱の“白面”、何の色もない仮面しか持っていない。


仮面が表すのは全て実力。
ならば、彼のような実力主義者が、僕を疎むのも仕方のないことだ。

いいよ、ササム。うるさくしていたこっちが悪い

でもよぉ!

悪かった、ザクラス。静かにするように気をつけるよ

……チッ


ザクラスは大きく最後に舌打ちして、僕たちの元から離れていった。

ミヌセが口の動きだけで、嫌な奴、と言ったのが見えて苦笑する。
ササムも仕方ない、とばかりにドスンと椅子に座りなおした。

なんなんだよ、あいつは……

ほんと。嫌味を言いに来たのかしら

僕が気に入らないんだろうな

だからって、わざわざ絡んでこなくたっていいだろうが。それにルシュト、お前だってなぁ!


スプーンをビシリと突きつけられて、思わず少し体を引いた。
ちょ、スプーンだって使いようによっちゃ武器だぞ?

な、何

お前の、事なかれ主義っていうの? それ、どうにかしろよ

事なかれ主義って?

馬鹿にされても怒らないだろ、だからあっちが付け上がるんだ

僕は……争いたくないんだよ。
別に良いじゃないか、付け上がらせておけば

良くない!

良くないわよ!

良くないです!


予想外に、三人ともから同時に返事が返ってきて、思わずびくつく。

みんな、どうしたんだよ

ルシュト、お前のそれはもはやビョーキだぞ

病気?

ああ。事なかれ病だよ。それも重症、不治の病ってヤツだ。早急に治せよ

治らないから不治の病って言うんだろ……?

じゃあ、あれだ。重症の“可治”の病

なんだそりゃ


くくくっと僕が笑えば、雰囲気が和らいだ。
良かった、となんだか安心する。

ともかく、わかったよ。
次に会うときは、そうだな、僕が嫌味の一つでも返すことにしようか

お、絶対だぞ?

びしっと言ってやりなさいよ? 『実技で僕たちに勝ったこと一度もないくせに』とかどうかしら

えっ

そ、それは少し言い過ぎでは……?

でも事実だしなー。レクアちゃんは反対?

僕も反対だよ。そこまで言ったら僕が嫌な奴になるだろ

秘技・嫌な奴返し!

黙れ


スコーンとその頭に手刀を入れる。何が秘技だ。

いったぁ~!

自業自得


大げさに痛がるササムを心配するやつはいない。

でもほんと、どうしてあんな嫌な奴なわけ? 
最初はそうでもなかったわよね

うーんどうだろ、結構“鼻にかけてます感”は昔からあった気がするけど

あ、あいつの父親って……

そう。中央政府のお偉いさん


中央政府といえば、色卓直属の行政組織だ。
しかも彼の父親は、魔都難民を集めて作られたがゆえに人材の不足するこの国において、数少ない政治の専門家。
お偉いさんなんて一口に言うが、まさに政治の中枢を担う者の一人である。

権力は確かにあるし、それを笠に着ることもあろうが……

父親のほうはもっと謙虚で“できた人間”って聞いたんだけどな

あれ。ルシュトって、ザクラスのお父さん知ってるの?

ああいや、えっと知ってるっていうか、僕の知り合いに中央政府で働いている人がいて……

へえ!

うっそ、そんなん初耳だぜルシュトさんよ! え、なに、偉い人? もしかして、色卓の方に会ったことあったりする!?

ちょっ、近い! ササム、近いってば!


ふぅとため息をつきながら、興奮したように顔を寄せてきたササムを押しのける。

そんな上層の人じゃないよ。下級役人っていうの? そんな程度

えー、なんだぁつまんねぇの

残念ね

ミヌセまで……何がそんなにいいんだよ?


この国で色卓といえば、英雄にしてトップスター、国有局の芸能人なんかより、よっぽど人気があることは知っている。

……だが、僕は好きになれない。

え、だってカッコいいじゃない?

仮面つけてるのに?

仮面つけてても、よ


分からん、とばかりに僕が首を傾げれば、珍しくレクアが大きな声を上げた。

ひ、人は、顔ではないと思います!

それ、レクアが言うと嫌味になるわよ?
レクア美人だから

そ、そんな! わ、私なんて

もー、レクアはもっと自信持てばいいのに。ね、ルシュト?

そこで何で僕に振るんだよ……

あ、じゃ、代わりに俺が答えるー!
レクアちゃんは、マジで美人だと思います!

ササムには聞いてないわ

ひでぇ!


ひどくねぇ? とか、ミヌセに続き僕に振ってくるササムを軽く無視する。
あれ。さすがに可哀想か?

ま、いいか。だってササムだし


なんて、そんなことを考える。
平和に。あるいは、呑気に。

僕はその時、忘れてしまっていたのだ。

ん……? なんか電光掲示板のところ、騒がしくないか?


ササムのそんな言葉とほぼ同時に、その騒ぎのほうからかけてきた生徒の一人が、食堂中に響く声で叫ぶように言った。

今、第六訓練隊の任務が出た……!
魔都奪還の、サポートって!


世界は一瞬音を失くし……そして、叫び声と鳴き声が爆発した。

それでも。
僕はまだ思い出せていなかった。

後方支援の申請をしているミヌセとクレアは大丈夫だろう、僕とササムだって弱くはないしと、それだけだった。

ザクラスのことをちらりと考えて、例の件はこの任務が終わってからか、とふと思った。
彼も、僕の中の明日以降に当然のように存在していた。


なんて愚かだ、と今なら万の言葉で攻め立てるだろう。


だって世界はいつだって、唐突に僕たちに牙をむくのだから。

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