DT 5


ところで牢屋の主になって一週間以上が経過した。

気のカベに、抜け落ちていたクギで傷をつけて正の字を毎日書いていたので、よほど僕が寝ぼけて日にちの感覚が失われていない限り、時間の経過は間違いないはずだ。

とにかく暇だった。

やる事と言えば無意味な妄想を繰り返す事ばかり。
そんな事をやっていると、何かの仕事に出かけて帰ってきたシェリーに見つかって怒られるのである。

シェリー

あんたも暇だからって、そうやって魔力を練るのやめてくれないかな。あたしゃ魔法抗体なんてありゃしない普通の剣士なんだから、どうしても怖いんだよ。オーラを受けているだけで

オーラだけで僕の妄想はまがまがしい何かを発散しているらしい。立派な魔法使いになれるかもしれない。
ただ、これってこの世界に来てひとつ重大な事に気が付いたのも確かだ。
僕は確かに魔法が使えるようになっていたらしい。
あまりにも暇なのと、いくら毛布があるからと言え夜になると寒くなるので、何とか暖をとれないものかと、ちょっと手をこすったりして無駄な抵抗をしていたのだ。
そしてふとした瞬間に指先から炎が飛び出したのを僕は目撃した。

修太

おおおお、僕、魔法つかえるじゃん!?

驚きである。本気で僕は驚いた。

シェリー

何を夜中に騒いでいるのだ、魔法使いなのだから当然だろう……

安楽椅子で転寝をしていたシェリーが目をこすりながら立ち上がって僕を睨み付けていた。

そろそろ体力が回復して魔法も使える様になってきたからといって、脱走なんて考えるなよ。この前も言ったけど、ほんの十日も我慢すれば、町から騎士修道会の知らせが来るのだ。

田舎の感覚というべきか、町まで死ぬほど距離があるので連絡はそれぐらいかかるらしい。
ただまあ今はそんな事を考えている場合ではなく、僕が魔法で火を起こした事のほうがよほど重大な関心事だった。

シェリーはひとつも驚いていないが、こんな事が出来るとは思ってはいなかった僕としては、他に何か魔法が使えるのかとにかく気になった。

それでシェリーが改めて寝室に移動してから、いろいろと試してみた。
あまり盛大にやると脱走を企てたと言ってシェリーに折檻されるかもしれない。
まあ、そんな大それた事はするつもりもないし、僕の性格上、出来るはずもない。
ただし魔法の実験だけはとにかくやりたいので、指先からもっと大きな規模の炎を噴出やれるかどうか、何度も試した。

結果、出来なかった。

さっきよりちょっと力を入れて炎を出そうとしても、それより強力にふんばっても、
指先から飛び出したのただのライターの炎ぐらいのものだったのである。

修太

僕は三十路になって魔法使いになりました。けど、使える様になったのはライターの着火ぐらいの炎を出すだけでした……

大変がっかりだった。

翌日になって別の角度から僕は魔法について考察を始めた。
日にちはとにかくある。
騎士修道会からの知らせというのが返ってくるまでに、自分がどの程度の魔法が使えるのか知っておきたかった。
もしかしたら僕はチャッカマン程度の魔法使いでしかないのかもしれない。
他の魔法だったらもっとすごいのが使えるかもしれない。
今のところ、それはわからない。
なので、以前、ハゲワシに石を投げた時の事を思い出した。

野球もまともにやった事が無い、命中率なんてはなから期待できそうもない僕が、ハゲワシに石ころで一撃をくわえてやったのだ。
あれはもしかしたら魔法の力だったかもしれない。
ファンタジーのゲームにありがちな命中率補正かなにか、あるいはクリティカル補正かなにかが働いたのだろうか。
ためしに折から、シェリーの執務机の上にだらしなく置きっぱなしにされていた木のマグカップに向けて、クギを投げた。
クギはいつも日にちを記すために使っていた、牢屋に転がっていた抜け落ちていたアレだ。
なくなると困るものだったけれど、投げるものが他になかったのでしょうがない。
僕はそれをマグカップにむけて投げつけたわけである。
軽くひょいと放ったのだけど、力が入らなさ過ぎて絶対に届かない距離に堕ちそうな気がした。
あわてて方向修正をするべきだ! と僕は念じた。

特に細かい事を考えたわけじゃないけれど、クギは見事にマグカップにぶつかって、けたたましい音を立てたかと思うとクギは床に転げ落ちた。
うむ。どうやらあんなへなちょこ弾で投げても命中したらしい。

修太

僕は魔法使いだ!

嬉しくて、ここ最近の癖になっている独り言を思わず口にしてしまった。

シェリー

そんな事、改めて言われなくてもわかっているからさ。たのむから大人しくしていてよシューター

自己満足に浸っていると、シェリーが牢屋の前の執務机にやってきた。
そんな風に言われたら、僕は問題児の非模範囚みたいじゃないか……。

シェリー

……音がするから来てみたら。あんた、何やってたんだい

修太

て、適当に投げたクギがちゃんと命中するか。確認していました……

ついおっかなびっくりして、本音を申告してしまう。

シェリー

そりゃあ魔法使いなんだから、それぐらい出来るだろう。シューターって通り名だから風の魔法が使えるんだろう?

なるほど、僕は風の魔法使いらしい。いや、事実かはわからないけれど。
というかシューターじゃなくて修太が正しいわけで、それっぽくシュートする感じに聞き間違えただけに過ぎない。

僕は断じて風の魔法使いなんかじゃないわけで。いや風の魔法使えるかもしれないけど。

修太

いやちょっとわかんないですね


そんな出来事があったさらに翌日、僕は牢屋のいつもの安楽椅子にシェリーがいない時間を見つけて、さらなる実験を繰り返した。

牢屋に転がっていた抜け落ちたクギはもうない。

そう都合よく何本もクギが抜けるようであれば、この牢屋は牢屋として役に立たないボロいだけの部屋という事になってしまうからだ。
しょうがないので僕は鼻くそをほじった。
こんな事をするのは、前の世界の自分の部屋にいるときだけの密かな楽しみだった。

別段、楽しみを思い出してしたわけじゃなく、投げるものがないので鼻くそを投擲しようと思っただけである。
ほじった鼻くそを丸めて、ピっと指先で飛ばす。
ただ飛ばすのではなくて、シェリーの執務机の脇にある暖炉に向かって飛ばすのだ。
シェリーは不用心なところがあって、部屋を留守にしているときもいつも暖炉に火を入れたままで出かける事があった。
たいがいはすぐに戻ってくるか、前の世界で言う小一時間もすれば戻ってくるので、火事になるような事は無い。
けれどこの牢屋から出所出来たら、その時はひとつ注意した方がいいかもしれないなんて思った。
そんな事をおもいながら、僕の指先から発射された鼻くそは、放物線上を描いて落下する事もなく、僕の魔力によって射程距離を飛躍的に伸ばしながら、パチパチと燃える薪の中に飛び込んだ。
うん。これが魔法による力であることは間違いないが、風邪をコントロール出来てこうなったかはわからない。
数発の鼻くそ爆弾がなくなったので、これ以上の実験は無理というぐらいまで射出して、満足した僕は毛布で指先をぬぐって寝転がった。

こんな下品で、人にちょっと見られるわけない事をしはじめる程度に、僕はこの牢屋生活に馴染んできたのかもしれない。
実験はこれでは終わらない。
この牢屋にはトイレがある。トイレといってもオケがひとつ置いてあるだけで、ここで用を足せという残念な仕様だった。
トイレをするとシェリーに処分してもらう訳だけど、さすがに用を足しているところを見られるのは恥ずかしいので、その際は退出してもらう。
今日はもう大きい方もすませたあとだけど、こんな恥ずかしいこともなれというものは恐ろしいもので、最初はあれだけ恥ずかしかったものも、そうしなければ処理できないとなると、お願いする事に慣れないといけなくなる。
そして僕はおならをした。
放屁というやつである。シェリーはいないのでおかまいなしだ。

下品ついでにいうと、こっちに来てから食事量が極端に減ったので、便の出が悪くなっていて、ガスもよくたまっていた。
食事が違うので、そのせいで胃腸がまだ慣れていないのかもしれない。
放屁をしたのにはわけがあった。
臭かったんだけれど、これを風の力で換気出来ないかなんて考えたわけである。
寝転がったまま尻だけ上げて射出したおならは、空気中をよく漂って、僕の鼻をありえないぐらいに刺激した。
あわててイメージを固める。

イメージはこうだ。かき混ぜる様に風をスクロールさせて、そしてあっちへポイという感じで、牢屋のあるシェリーの執務室の扉の隙間に向かって誘導した。
そこでドアが開いて、シェリーが入ってきた。

シェリー

くさっ! こらシューター、おならをしただろう。こっちに匂いを流してくるんじゃない! くさいぞ!!

修太

ごっ、ごめんなさい

シェリー

あまり暇だからっておかしな魔法を使うんじゃない! あんまり酷いと、牢屋を出た後もあたしの奴隷として一生こきつかってやるぞ!

たいそう臭かったのか、シェリーは激怒していた。
ごめんなさい。

こうして僕が風の魔法をかなり使えるらしいという確信を得た頃に、町にあるという騎士修道会からの知らせがやって着た。

シェリー

魔法使シューター、釈放だ

壮年の村長さんを伴ったシェリーが、いつもよりは真面目な仕事顔をとりつくろって、僕にそう告げて釈放となった。

修太

長らくお世話になりました

シェリー

もうあまり人に迷惑をかけるんじゃないぞ

修太

はい……すみません

迷惑をかけたくてこうなったわけじゃないけれど、牢屋暮らしとはいっても食い繋げたことは感謝しなくちゃいけない。

修太

シェリーさんありがとうございます

村長

まあお前さんは罪人として捕まっていたわけじゃないんだから、そうかしこまらんでもいい。騎士修道会によると、ワスプの関所を通った記録の中に、魔法使いヨシュア、通り名シューターという記録が残っていたらしいからよかったな、無事に身元が確認できて

修太

え?

村長のそんな言葉に、僕はびっくりした。
何で騎士修道会の記録に僕の名前が書いてあったの? 僕、異世界から来た人間なのに何で?

シェリー

早く働いてもらって、無駄飯分は返してもらうからな!

という訳で、訳も分からないうちに釈放されたのだけれど、行き場のない僕は結局、守衛官のシェリーさんの家でご厄介になる事になった。
部屋はしかも、これまでお世話になった牢屋のままである。
ただ以前と違うのは手錠が外されていて、牢屋の檻も四六時中扉が開かれている事。
こうしてひとまず僕の異世界における新生活がスタートした。

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