現場のドアを開けると、出迎えてくれたのは笑顔のショーコだった。

またきてくれたんだね、おじさん!

ああ。ところで、おじさんは止めてくれないか?

あ、ごめんね、おじさん……

うん、もう諦めよう……。
気を取り直して今一度室内を見渡す。さっきまでいた時と特に変わった様子はない。そう、変わった様子はないのだ。綺麗に片付きすぎているという点では――。
自殺をする場合、それが突発的なのか、計画的なのかで死者が取る行動は変わってくる。
電車への飛び込みに代表される突発的な自殺ならば、もはや原因は何であるかよく分からないことも多いが、計画的であると死者が事前にする行動は大体共通している。
身の回りの整理。それをしてから自殺するのだ。
金銭の貸し借り、仕事の引継ぎ、用事の消化など多岐に渡るが、部屋の掃除。これをしているパターンが多い。
今回の心中も綺麗に部屋が片付いていることから、母親が部屋を片付けて、それから娘と心中したのだと思ったが、まさかもう1人登場人物がいたとは……。
まあ母子家庭とはいえ、聖書でもあるまいし遺伝的な意味で父親がいない訳はないのだ。おそらく社長が思い描いたことと、俺が今思っていることはおそらく同じだろう。
ただ、そうなるとやはり不可解なのはあのクマのぬいぐるみということになるが――。
そう思っていると、懐に入れていた携帯電話が震えた。ポケットから取り出して通話ボタンを押す。

はい。何か分かりましたか?

ん、もう現場か。色々分かったぞ。いやあ、ロクでもないな、その子の父親

まずそもそも母親と籍は入れてないし、認知もしてやがらないし、養育費も払ってない。そのくせ他の女の間に子ども作りやがってな。そっちはそれなりの家らしくて、籍を入れやがってる

分かりやすいクズですね

そうだな。それで昔からその幽霊の母親が、その父親に対して認知を要求し続けていたらしい。そして1か月ほど前か。2人がファミレスで言い争っているという証言があった。その時に母親から出た言葉が『そっちの家族にばらすからね!』だ、そうだ

調べてみると、とっても分かりやすい話だったな。なーにが心中だ。こいつはただの――

おじさん! 後ろ!

ショーコの大きな声に驚いて、俺はとっさに前へと跳んだ。
すると俺がさっきまでいた場所にゴルフのドライバーヘッドが叩きつけられていた。
甲高い音が響く中、彼女の体をすり抜けて居室の方へと転がりながら、ゴルフクラブを持つ人間の顔を見る。
そいつは見たことのない男だった。だが、その顔は焦燥に駆られているのか、だらだらと汗が流れて目も血走っている。どう見てもまともな状態じゃない。

おーい、何かすごい音がしたが大丈夫かー?

落とした携帯電話からは社長ののんきな声が響き、男は容赦なく靴を履いた足で踏みつけた。二つ折りの携帯が真ん中でバキッと割れて、それ以上音を発しなくなる。

……おいおい、人の携帯壊してくれるんじゃねえよ

抗議の声を投げかけると、男はガタガタと震えながら口を開く。

ううううるさいっ! お前は一体なんだ! こそこそ嗅ぎまわりやがって! 俺の平和な生活を潰すつもりか!

その言葉を聞いて、この男が一体何者なのか一瞬で理解した。

言っとくが、俺はただの清掃業者だ。警察でもないし、探偵とかでもねえぞ

な、何っ!?

ぱ、パパ……?

男が驚いているが、俺の隣ではショーコも驚きの声を上げている。そりゃまあ、そうだろう。父親が見ず知らずの他人に向かってゴルフクラブを振り回してる姿なんて、ショックでしかない。
だが、そんなショーコの姿は男には見えていないようだ。

ふ、ふふふ、ただの清掃業者か。それなら、急にいなくなっても俺が関わったとは誰も思わないよな――

いやいや、どうしてそんな判断になるのか。お前が今壊した携帯から、俺を呼びかける声が聞こえてただろ。まったくこれだから逆上した奴ってのは……。
呆れかえっていると、男はゴルフクラブを上段へと構えた。そしてギラギラした目を俺へと向けてくる。

死ねええええええええええええっっ!!!!

叫び声を上げながら、ゴルフクラブを俺に向かって振り下ろしてくる。
とりあえず後ろにでも飛ぼうかと体重をずらしていると、横から割り込む姿があった。
それは白い影――何とショーコだった。
……いや、ちょい待ち。ショーコは幽霊だからかばっても意味がないんだけどなあ、と一瞬思ってしまったのがいけなかった。それで反応が少し遅れてしまい、ドライバーヘッドが間近へと迫ってきている。
あ、これは死んだかな。さすがにスイカ割りみたいな死に方は勘弁だったなーとか思っていると、またも違う割り込む姿があった。
それは茶色の毛むくじゃらの物体で――、

って、クマ!?

ベネット!?

クマのぬいぐるみのベネットがドライバーヘッドの前に踊り出ると、鮮やかなアッパーカットでそれを弾いたのだ。
これでもないぐらい驚愕の表情を浮かべる男はバランスを崩して後ろへと倒れる。

だらっしゃー!

チャンスと見て、俺は飛び上がると男を組み伏した。とりあえずゴルフクラブは部屋の端に投げ飛ばし、柔道の固め技を極める

いい痛い! 痛いっ!

うっせえ! 人殺しにやさしくできるほど、俺も強くねえんだよ!

さっきまでのぶっ飛んだ感じはどこへ行ったのか。情けない声を上げる男を気を抜かずに極めたままにする。
そうしていると、ドアが勢いよく開いた。

ど、どうしたんですか!? いきなり死ねとか何とか聞こえたから――って、ええっ!?

やって来たのは大家だった。目の前で繰り広げられている光景に口が開いたままになっているが、まあ、人が来てくれたなら良かった。
安堵の息をつきつつ、俺は居室の方に目をやる。
するとそこには呆然とするショーコの横で、仁王立ちをしているクマのぬいぐるみというシュールな光景があった――。

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