しばらく本の整理を続け、ようやく本棚にある本を分類番号順に並び終えた。あまり動いてはいないが、屈んだり本を抱えたりしたので、軽く汗ばんでいる。
 図書室内は冷房がきいているので、落ち着いたら寒くなるかもしれない。

だいたい終わったな

はい

 屈んでいた青藍は立ち上がって、本棚を見渡した。淡香がうなずくと、彼はパソコンのそばに近寄っていった。屈み込んで、パソコンを操作する。

 淡香が近付いてのぞき込むと、パソコンの画面は、貸し出す時に見るものと同じもののように見えた。

次は、端からぜんぶの本のバーコードを通していくんだ

 青藍はそれだけ言うと、パソコンの画面を指さした。青が基調の画面は、蔵書点検用と書かれている。あとはバーコードと、読みとった本の一覧を表示する画面になっていた。

 青藍はふたつあるうちの椅子をひとつ用意し、本棚の上から五冊ほど本をひっぱりだした。さらにどこかに消えたかと思うと、もうひとつ椅子を持ってくる。

俺が本を下ろすから、それのバーコードを読んでくれる?

は、はい

それで、終わったらこっちに移して

 青藍はもうひとつの椅子を指さした。淡香はうなずいて、一冊の本を手にとる。いつものようにバーコードを通すと、ピ、と小さく音が鳴った。

 何もなかった一覧に、「四四一、理論天文学」と出てきた。うまくいったと安堵しながら、次の本に手を伸ばす。

 本の山が空いている椅子に移ると、青藍が次の山を置いていった。そして、バーコードを通し終わった山を手にとって、本棚に戻していく。

 淡香は、次の山を崩す作業にかかった。一冊ずつバーコードを通していく。

 バーコードを通していく作業は、本が膨大にあるだけで、複雑な作業では無かった。何回か山を移していくうちに作業に慣れた淡香は、今度は会話が全くないことに気まずさを覚えてきた。

 青藍はどう思っているのだろう。本棚を見ている彼の背中からは、何を考えているか、見ることは難しそうだ。
 でも、興味がない訳ではないのだ。図書委員会はほぼ全員が本好きの集まりだ。カウンターでのお話も、本が好きだという共通項があると、話がはずむのである。

 淡香は気まずさに耐えかねて、そっと口を開いた。

あの……

うん?

 そっと青藍の背中に問いかけると、青藍は腕に本を抱えながら振り向いた。
 最初の頃のような機嫌の悪さはなくなっていて、少しだけ息が楽になった気がした。

先輩は、ずっと図書委員やってるんですか?

……、ああ。一年の頃からずっとだね

そっか、だから慣れているんですね

 青藍は蔵書点検が始まってから今までの作業で、困ったそぶりを見せず、慣れた様子だった。
 青藍がどこか不機嫌なのは、淡香がまったく蔵書点検のことを分かっていないからなのだろうか。

 青藍は本の山を置くと、つとまっすぐに淡香を見てきた。
 青藍の表情には、今までのような不機嫌な表情が浮かんでいる訳ではなく、ただどこか、不思議そうにしているようだった。

……大洞さんは、この図書室のことを知らない?

……え?

 不機嫌ではなくなったと思えば、今度は唐突にそんなことを聞いてくる。
 青藍が何を聞きたいのか分からずに、淡香は首を傾げるだけだ。

この図書室は……いや、何でもない

 青藍は何かを説明しようと口を開いたが、結局全てが説明されることは無かった。再び本を抱えて戻ってしまう。
 淡香は、やっと不機嫌な先輩とまともに話せると思ったところだったので、困ってしまう。

 青藍は何を話したかったのだろう。この図書室のこととは、何のことなのだろう。歴史があるということだろうか。
 青藍の態度に悩んでいたとき、離れた本棚から、紅子と空が歩いてくるのが目に入った

あんた達まだぶっ続けでやってるの? 少し休憩しなさいよ

 紅子が本棚に本を並べていた青藍の背中をつついた。青藍は作業を続けていた手を止め、億劫そうに紅子を振り返る。

面倒なのが来た……

何が面倒なのよ。あんたは良いけど、紅子ちゃんがかわいそうでしょ

はいはい

 青藍はぶつくさと言いながらも、青藍は休憩するつもりらしい。淡香は腰が痛くなってきたところだったので、休憩できるのはありがたかった。

 淡香は思わず痛くなってきた腰をぐいと伸ばす。その仕草を見てか、紅子は青藍へ眉を吊り上げてみせた。

ちょっと、紅子ちゃんにきつくあたったりしてないでしょうね?

 紅子に問われて、青藍は一瞬作業の手を止めるが、そのままふいっと顔をそむけてみせた。
 彼の行動は、紅子の不信感をあおるものだったようだ。今度は心配そうな表情で、紅子の肩をがしっとつかむ。

反田とは大丈夫? 何か言われなかった? というか絶対何か言われてるでしょ!

 彼女の声音には、淡香を思っているような、慈しみが混ざっていた。
 紅子はきっと全てを知っているのだ、と思うと、落ち込んでいた気持ちが少しだけすっきりとする

……何か言われた訳では、無いと思うんですけど……

 少し怖い。いや、本当は少しどころではない。かなり怖い。だが青藍本人の前でそれをさらすことは、さすがに躊躇われた。
 紅子はやっぱりといった目で青藍をにらむと、紅子にごめんね、とあやまってくる。

反田はああいう奴だからねぇ。悪気がある訳じゃないんだけどね。初対面の人にはなかなか接しにくいのと、あと多分、色々責任感を感じてるからだと思うよ

責任感……?

おい

 今までそっぽを向いていた青藍がさすがに気色ばんで口を出してきた。紅子は言い過ぎたと思ったのか、小さく笑いながら舌を出す。

 蔵書点検の作業は今のところ流れ作業ばかりだ。責任感も大事だが、そこまで責任が問われる作業とは思えない。これからまだ、色々な作業があるのだろうか。

 そういえば、紅子が休憩しようと言い出す前に、青藍は何か言おうとしていた気がする。
 この図書室には、一体何があるのだろうか。

あの、この図書室には何かあるんですか?

 淡香は思い切って紅子にたずねてみた。その瞬間、青藍と紅子の空気が止まったような気がする。
 二人はちらりと目を向けあい、それから紅子がゆっくりと口を開く。

私が全部言っていいのか分からないから、少しだけ言っておくね

 紅子はそう言うと、ふっと笑みを浮かべた。

この図書室にはね、……本を喰う妖怪がいるのよ

 休憩が終わった後、バーコードを読みとる作業は黙々と続いていった。淡香もすっかり作業に慣れて、作業をする手つきは淀みないものになっている。

 最後の山を片づけながら、淡香はちらりと青藍を盗み見た。青藍はバーコードを読み終えた本が並ぶ本棚を見上げている。
 彼の横顔には表情が浮かんでおらず、何を思っているのかは分からなかった。

 休憩の時、紅子は本を喰う妖怪がいる、とだけ話した後、詳細を語ってくれることはなかった。

 詳しいことは青藍に聞いてね、といたずらめいた表情で笑っただけなのだ。おかげであれからずっと、紅子の言葉について考えるはめになってしまっていた。

 最後の本にバーコードを通した。青藍は気が付いてなさそうなので、自分で持って行こうと本を抱えようとする。すると、横から手が伸びてきたのだ。

終わった?

あ、はい

 いつの間に気が付いたのだろう、青藍が手を伸ばして、本を抱え上げていた。
 思わず彼を見上げたが、彼は不思議そうな表情で青藍を見返してくるだけだ。

 青藍は本を左手で抱えて、右手で一冊ずつ棚に戻していた。淡香がぼんやりと見上げている先で、最後の一冊を戻していく。

 本を戻した青藍は、ぼんやりと見ていたらしい淡香に気が付いて、怪訝そうに眉を寄せる。

……何?

えっ、あ、いや

 何かおかしかっただろうか。淡香は声をかけられたことに驚いていた。
 青藍は腕を組んで淡香を見ていた。何かおかしかっただろうか。
 今までの冷たくされた記憶がよみがえり、びくりと身をすくめてしまう。
 青藍はわずかに首を傾けると、ゆっくり口を開いた。

気になる?

えっ、え、ええと

 やっぱりどう考えても、どこか動きがおかしかったのだろう。でもこれで聞くことができる、と興味もわき起こっていた。

あの、先輩の話は本当なんですか?

 反田はノートパソコンに近寄り、操作をして電源を落とした。そして電源を消したパソコンをたたむ。

……これからそれははっきりと分かるけど。小美野が言っていることは、確かなことだよ

……え?

 そんな淡香に、青藍は本当だとはっきりと言うのだ。
 淡香の中でぼんやりとしていたことが、にわかに現実味を帯びてきていた。

 本を喰う妖怪。
 本当にいるのだろうか。一体どういう姿なのか。妖怪というからには、やはり異形の姿をしているのだろうか。

どういう姿をしているんでしょうか。やっぱり、妖怪みたいな怖い姿なんでしょうか

 ノートパソコンを抱えた青藍に問いかける。青藍はさあな、と首を傾げた。

俺も姿は見たことないからなあ。この前は逃げられちまったし

逃げられた?

そう。頑張って追いつめたんだけどなあ。残ったのは、真っ白な頁だけになった、本だけだったよ

真っ白な、本

 脳内に、一冊の本の姿が浮かんだ。古びた、たくさんの人に読まれた本。
 いざ頁をめくろうとすると、そこにはノートのように、真っ白な頁があるだけなのだ。

本を喰う妖怪ってのはな、文字を喰っていくんだ。本文を

 青藍は淡香を振り返って、ぽつりとそうつぶやいていた。
 

 真っ白な本、と口の中で呟く淡香の視界、青藍の向こうに、何か人影のようなものがゆらりと揺れて消えたような気がした。

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