図書室は、いつもと違った雰囲気だった。
 大洞淡香(だいどうあわか)は、一学期最後の図書委員会の集まりに参加するため、図書室を訪れたところだった。

 学校は、ちょうど期末テストが終わったところだった。授業は短縮授業になり、学校内でもなんとなく浮き足だった雰囲気が流れている。
 淡香も毎日勉強の日々から解放されて、いつもよりも気持ちが明るかった。

 図書委員会の集まりの時、全員がそろうことはあまりない。何かしらの用事や部活の大会などで、七割くらいの出席率だ。

 けれども、今日はほぼ全員がいるようだった。いつもよりも密度のあがった図書室内に、なんとなく違和感を感じながら、隅のテーブルに向かう。

よっ

 テーブルには、隣のクラスの藤永空(ふじながそら)が座っていた。軽く手を上げた彼に、淡香も手を振り返して、席に着く。

 席に着いてすぐに、いつもと違うものがあることに気が付いた。

 テーブルの真ん中には、二台のパソコンが置かれていたのだ。そして、二つのバーコードリーダーも出されている。
 
 バーコードリーダーはカウンターでの仕事の際、使うことがあるが、こうして委員会の時に出てくるのははじめてだ。

今日って何かあるの?

 淡香がたずねると、空は少し驚いたような表情を浮かべた。

聞いてないの?

聞いてないって、何が?

 空は何が起こるかを聞いているらしい。何も聞いていない淡香は首を傾げるしかなかった。
 空はパソコンを指さす。

今日からしばらく、蔵書点検だよ

蔵書点検?

 はじめて聞いた。そういえば、前の委員会の時は出席できなかったのだ。その時に、何かしら話があったのかもしれない。
 空も、前に淡香がいないことに気が付いたのだろう、そうか、と声を上げた。

いなかったんだっけ

うん

ごめん、伝えればよかったね。今日から三日間、委員会総出で蔵書点検をする予定なんだって

そっか。だから図書委員だけ、委員会の日が多かったのね

 淡香は、委員会の日程だけ聞いていた。他の委員会は一日だけなのに、淡香達図書委員会だけ、今日から三日間の日程だったのだ。

 淡香達の高校は、全国でも有数の蔵書数を誇る図書室がある。開架書庫は校舎の二階と三階の二部屋にまたがっており、地下には閉架書庫もあるのだ。蔵書点検、図書室すべての本を確認するにも時間がかかるだろう。

 空とテストの話や夏休みの話をしているうちに、図書室の隣、図書館司書室から、二人の大人が出てきた。

 二人の男女のうち、女性はこの図書室の主、司書の白楽菖蒲(しらくあやめ)だ。男性は図書委員会の顧問で国語教師の、白楽千草(しらくちぐさ)である。二人は姉弟でもあるのだ。

全員揃ったみたいね。そろそろ始めましょう

 菖蒲はカウンターの前に立つと、手をひとつ叩いた。

今日は図書委員会の大事な仕事のひとつ、蔵書点検を一緒にやってもらいます。蔵書点検は言葉の通り、図書室にある本をすべて点検するお仕事です

一年生は分からないことも多いから、委員長、三年と一年を一緒にして、班分けをお願いね

「はい」
 委員長はもう準備しているらしく、手際よく淡香達に指示を出していった。淡香も指示されたとおりに、六人がけのテーブルに移動して座る。

 淡香の前には、三年生の反田青藍(はんだせいらん)が先に座っていた。一年生で蔵書点検の経験もない淡香は、三年生の青藍と組むことになったのだ。

あの……、よろしくお願いします

 淡香はおずおずと青藍に話しかけた。彼とは、図書委員会の仕事でも組んだことがない。話すのもはじめてだ。

 声をかけられて、青藍は顔を上げた。銀縁の眼鏡に隠された薄い茶色の瞳が、じいと淡香を見つめてくる。柔らかそうな髪の毛が揺れて、どこか人間離れした様相だ。

……よろしく

 青藍はにこりともせずにそれだけ言うと、手元にあったパソコンを開き始めた。電源を入れた後は、淡香を見ようともしていない。

 見た目がどこか冷たそうな印象も受けるが、中身もそうなのだろうか。淡香は先行きを不安に感じてしまう。

「それじゃ、今日の場所を割り振ります」

 委員長は全員が決められた場所に座ったのを見ると、点検する場所をどこからか持ってきたホワイトボードに書き始めた。
 それによると、反田組は小美野組と組んで三階奥の場所を担当するらしい。科学についての本が並んでいるところだ。

反田、準備できた?

 ホワイトボードを確かめている時、三年生の小美野紅子(おみのべにこ)が近寄ってきた。隣には空も立っている。
 どうやら空は紅子と組んでいるようである。
 青藍は紅子を振り返ると、そっけなく言った。

できたよ

はいはい。淡香ちゃんもよろしくね

はい

 紅子は何度かカウンターの当番で組んだことがある。はきはきとした先輩で、淡香も彼女と接していて、楽しかった覚えがあるのだ。
 一緒に点検をする先輩が見知った先輩で、ようやく安心できた。


 四人はそのまま、パソコンとバーコードリーダーを持って本棚へと向かった。割り振られた本棚の場所は、窓からも遠く、どこか暗い印象を受けた。なんとなく隠れ家的なところだ。椅子も一脚だけあって、落ち着いて本を読むことができそうである。

 図書館は歴史が古いだけあって、本棚も豪華な美しいつくりのものである。側板の部分には美しい飾りが掘り込まれていて、蔦や鳥の模様が浮かび上がっているのだ。

さて、やりますか

 紅子は手早く青藍と場所を決めると、空をつれて本棚の端へと向かっていった。青藍は淡香にパソコンを押し付けると、ふらりとどこかへ消えてしまう。

え、え?

 突然のことに淡香は戸惑っていたが、青藍はすぐにもどってきた。その手には椅子が二脚ある。
 青藍は一脚を本棚の横に置くと、淡香の抱えていたパソコンを手に持った。そして椅子の上にパソコンを置く。

あ、あの……

 淡香は戸惑ったまま声を上げると、青藍はようやく顔を上げた。そして大きくため息をつく。
 何も知らない淡香を面倒がっているのだろう。さすがに淡香もむっとなる。

蔵書点検だけど

……はい

 青藍は平坦な口調でそう言うと、本棚へと向き直った。本を指差す。

まずは番号順に並べていくんだ。並べ方は分かるよね?

はい、分かります……

 むっとしていた気持ちも、彼の冷たい口調を前にすると、途端にしぼんでしまう。

 心の中には、初めてなんだからもう少し優しく教えてくれたって良いじゃないかとか、なんでそんなに機嫌が悪そうなのかとか、色々と思うところがあったけれど、淡香は全て飲み込んで、本を整理することから始めた。

 図書室の本には、背の部分に分類番号が貼ってある。カウンターに返却された本を戻すときなどは、この分類番号を頼りに本棚に戻すのだ。

 本を手にとって図書室内で使い、自分で適当な本棚に戻す学生もいる。そのため、整理したつもりでも、本棚の本が番号通りになっていなかったりするのだ。

 淡香達が担当する本棚も、思った以上に本が雑然としていた。棚の分類番号ではない本を、元通りに直していく。
 淡香達が担当している本棚は、思ったよりも重いものが多い。淡香の両手には、ずっしりと重い本が抱えられる。

これは……と

 番号を見てみると、本棚でも上のところのものだった。淡香は身長がそこまで高いわけではない。つま先立ちになって届くかどうかだ。
 淡香から少し離れた場所で本を整理している青藍は、淡香に背を向けていた。

 青藍は背が高く、すらりとしていた。だから淡香だと届かないものも、青藍なら届くだろう。だが、とてもではないが、青藍には話しかけられなかった。

 仕方なく、頑張って本を入れるために背伸びをする。つま先立ちになったので、ふくらはぎがぷるぷると震えた。

 ふくらはぎを震わせながらも頑張ってつま先立ちをしたので、何とか本をおさめることができそうだ。

 そう思った時、本からするりと指がすべって離れてしまう。まだ本も完全に収まってなかったので、ぐらりと本が揺れた。

わっ?

 慌てて本に手をやるが、本は指先からこぼれてしまた。本が淡香のところに落ちてきそうになった時。

 隣からすっと青藍の手が伸びてきた。背の高い彼は本をさっと押さえてくれた。そのまま本をぐっと掴んで、本を押し込んでくれる。

あ、……ありがとうございます

 青藍が助けてくれるとは思わなかったので、淡香はおそるおそるお礼を言ったが、返ってきたのは、やはり冷たい目線だった。

あぶないな。大変な時はひとりでやろうとするなよ

 それだけを冷たく言われ、気持ちがしぼんでしまう。
 青藍は舌打ちをしそうな表情で見てくると、元の本棚に戻っていった。

 淡香はまた消化しきれないもやもやを抱えながら、本棚の整理に戻っていった。

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