第一章 引きこもりアイドル

結局、安達先生は亡くなったらしい。
脇坂は助かりはしたが、そのまま警察官の付き添いがついた救急車で運ばれ、たちまち俺達の前から姿を消した。

しかも、このインパクトが大きすぎる自殺&吸血騒動のお陰で、俺達まで午後の授業を途中で打ち切り、そのまま帰宅と相成った。あれから救急車が来るわ警察が来るわテレビ局の車が来るわで、授業どころじゃなかったのもある。

学校側としては邪魔な生徒はとっとと帰宅させたかったんだろう……実際、生徒が校内に残ってたら、テレビの連中に質問攻めにされるだろうしな。

現に早速、どこかのテレビ局のリポーターが来てて、

犯人の生徒は、秋葉原中央病院へ搬送されたようですっ

と学校をバックにがなり立てていたほどだし。

……鍵を開けて家に入ると、相変わらず母は留守のようだった。
ただ、誰もいないというわけではない。
そもそもうちは、誰もいない完璧な留守状態になることが、まずない。

なぜなら、俺の妹が常に家にいるからだ。
十四歳にして中学校不登校、屋内に籠もりきりという、堂々たるヒッキーである。しかも、本人自ら

ルイはおにいちゃんに生涯食べさせてもらう

などと公言する重症さだ。どっちかというと、稼ぎの額からして反対になりそうな気がするんだが。
ともあれ、どうせここだろうと地下(うちには地下階がある)に下りると、案の定、階段を下りている間にもう歌声が聞こえた。

『貴方の優しさがわたしを生かす……ただそれだけが嬉しくて……』

氷の彫像を思わせるクールビューティーな外見からは、想像できないような優しい歌詞だった。耳にしっとりと絡む低音も素晴らしく、なるほど、こいつがアイドルとして大人気なのも頷ける話だ。

とはいえ、誰も顔を知らない仮面アイドルだけどな。
……ゆっくりと階段を下りる間に、優しく哀しい歌声が続く。

『わたしと貴方は永遠の中を生きている……なのに、どうして貴方の微笑みを遠く感じるのだろう――おにいちゃん!』

こらこら、途中で歌をぶつ切りにしないように

地下階に作られたスタジオに出た俺は、苦笑してルイに話しかけた。

お帰りなさい、おにいちゃん

うん、ただいま

知人に見せたことはないが、実はうちは一階より地下階の方が遥かに広い特殊な構造で、しかもその地下にはプロが来ても恥ずかしくないような、ミキサー完備のスタジオがある。

さらに正面には、テレビでアイドルが歌うような一段高い壇上が設けられ、妹はそこでマイク片手に歌っていた。

擁するに、レコーディングとかに使うスタジオが、そのまま家の地下にあると思えばいい。いくら母親が芸能プロダクションの社長とはいえ、行きすぎた設備ではあるが……事実、真性のヒッキーアイドルにはこういう場所が必要なのだな。

なにせ妹は、某ユニットと同じく、顔出しノーグットの仮面アイドルなので。

それも比喩ではなく、言葉通りの意味での

仮面アイドル

だ。

テレビなどには一切出ないとはいえ、売り出すCDのジャケットにはちゃんとルイの写真が載るんだが、こいつの顔写真はいつもお手製のマスクを着けているのだな。

これは別にジャケットに限らず、母が妹の写真を宣伝に使う時は、全て顔にマスクを着けてからだ。
従って、妹のファンは例外なく、マスカレードで使うようなマスクでしか、ルイの顔を知らない。

スレンダーなアイドル衣装を着た長い髪の女の子だとわかっても、表情などはわからないわけだ。これは、ルイがアイドルとして活動する絶対の条件であり、唯一俺の説得でも受け入れてもらえなかったことである。

……それは置いて、スーパーアイドルをこうして素で見られる俺は、かなり恵まれているのか?

俺は壇上でマイク片手にぼさっと立つ妹のルイを見上げた。

レース飾りの多い清楚可憐なアイドル衣装に、ミニスカートが眩しい。
黒いストッキングを穿いた長い足といい、腰まで伸びるストレートロングの髪といい、涼しげな目元といい、どこへ出しても恥ずかしくないアイドルぶりだった。

ついでに、また気まぐれでイビルアイモードを使うと、昼間の脇坂の比ではない黄金の輝きがルイの全身を覆っていた。
こいつが、半端なく俺の人生に影響を及ぼす証拠だ。
まあ、家族なんだからある程度はそれで当たり前なんだが。

数秒ほど壇上と下で見つめ合ううちに、ルイは空を舞う妖精みたいにふんわりと俺の前に降り立ち、なんのためらいもなく首筋に両手を回して抱きついてきた。

キスしないのがまだしもだが、頬と頬をくっつけてすりすりする程度には、熱烈な抱擁である。俺の方ももう慣れているのだが、未だに少しどぎまぎする……妹とはいえ、血は繋がっていないしな。

今日は早かったのね……驚いちゃった

まぁな、ちょっとあって

学校で何かあった?

ぴくんと肩を震わせ、ルイが急いで少し身を離す。
俺の腕の中で、じっとこっちの目を覗き込んできた。

インフェクション使わなくても、ちゃんと教えてやるよ……別に隠すことでもないし

ルイのインフェクションは、おにいちゃんには効かないわ……知ってるくせに

不満そうなセリフなのに、なぜか口元を綻ばせると、ルイは俺の手を引いて近くのパイプ椅子に座らせた。自分も隣に座り、即促す。

話して……何があったのか

ああ。おまえの力を借りることになるかもだしな

俺は肩をすくめ、なるべく柔らかい表現を使って、今日あったことを教えた。もちろん、後の吸血騒動と先生の死を含めて、全部。
俺のイビルアイの能力を知っているルイは、もちろん即座に尋ねた。

脇坂っていう人、おにいちゃんのイビルアイで見ると、人生に大きな影響を与えることになる人――なのね

ああ

……ルイよりも?

固唾を呑んだような顔で訊く。

まさかだな。それは考えすぎ

笑って首を振ると、ルイはあからさまにほっとした顔をして、肩にもたれてきた。

ルイよりもおにいちゃんの人生に大きな影響持つ人だったら、嫌だもの。ルイにもイビルアイの力があるといいのに

おまえはおまえで、インフェクションやらサイレントボイスのギフトがあるだろうに

そう、俺達兄妹には、それぞれギフトと呼ぶある種の特殊な力がある。

ギフト……それはある種の才能を意味する言葉であり、元々はクロオという男が呼称していた名称だが、結構合っている気がするので、俺達もそう呼んでいる。

クロオの言う通り、この力が本当に俺達兄妹が秘めていた才能(ギフト)が具現化したものなのなら、これ以上相応しい呼び方はあるまい。
昔――具体的に言うと今遡ること六年前、前述のクロオという男と会ったせいで、こんな妙な力が目覚めてしまったわけだ。

『僕に出会わなければ、生涯ギフトが発現せずに済んだだろうけどね……だがそれも君の、いや君達の運命だ』

俺のギフトを開花させたクロオは、そんなことを吐かした。
俺は、今でもあの時の深沈とした表情を覚えている。

もう一度クロオに会って、ルイのギフトを増やしたいな。イビルアイでおにいちゃんを見つめたい

やめてくれ……あいつは苦手なんだよ

どうして? ルイは自分のギフトはともかく、おにいちゃんのギフトは好きよ……それに、もしイビルアイを授かったら、きっとルイはおにいちゃんに対する愛が、より一層深まると思うわ

いつも冷静なルイが、うっとりとした声音でそんなことを言う。

イビルアイでおにいちゃんを見たら、きっと物凄い光を放っているんだろうなぁ……ルイにとって、おにいちゃんほど影響の大きい人いないもの

他人が聞いたが誤解するから、やめてくれ

血は繋がっていないとはいえ、一応は兄妹なのに危ないことこの上ないが、ルイがこんなになっているのは、割とまともな理由がある。
ただ、俺は首を振ってルイを遮った。

その話はまた今度な。それより、おまえのサイレントボイスが都合よく発動してくれないか? 今こそ、アドバイスが欲しいんだが

……脇坂って人を見に行くの?

とうとう俺の膝の上に乗ってきたルイが、うっとりした笑みを消して言う。
あっさり当てられて、俺は少なからずびびった。

相変わらず鋭いな、おまえっ

危険じゃない? だって、警察同伴で病院にいるんでしょ?

ステルスを使うから大丈夫だ

俺はイビルアイ以外の、よく多用するギフトを挙げた。
実際、今までにも随分とこのギフトに助けられている……自分自身を透明化するという力は、使い勝手が大きい。
それに、気が進もうと進まなかろうと、俺のイビルアイで

人生に多大な影響を及ぼす

とわかったからには、その原因を探る必要がある。
これは諸刃の剣で、時には

原因を探ったが故に、かえってやっかいごとに巻き込まれてしまった

というケースも多いんだけどな。
しかし……無視するとたいがいはさらにひどいことになる。
これは、過去の経験からも確かなことだ。

ステルスはすごいギフトだけど、カメラには普通に映っちゃうから心配……ルイも行く

えっ

俺は少なからず驚いて、膝の上に横座りしやがった妹を見やる。
ヒッキーまっしぐらなこいつが、俺のためとはいえ外出を望むとは珍しい。

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