高校に入学したばかりでなんだが、この俺――冴島ヒロは、既に不定期登校になっていた。
ただし、運が悪いことにその日はたまたま、登校すべき日になっていた。
俺は自分で計算して、留年しないように出席日を調整しているのだが、まさかその反動であんな事件に巻き込まれるとは思わなかったな。
昼休み直後の五時限目、生徒の一人がいきなり奇声を上げて立ち上がった。
確か、
高校に入学したばかりでなんだが、この俺――冴島ヒロは、既に不定期登校になっていた。
ただし、運が悪いことにその日はたまたま、登校すべき日になっていた。
俺は自分で計算して、留年しないように出席日を調整しているのだが、まさかその反動であんな事件に巻き込まれるとは思わなかったな。
昼休み直後の五時限目、生徒の一人がいきなり奇声を上げて立ち上がった。
確か、
ひっ
とか
ひぐっ
とか、そんな喉に絡まる声を上げたと思う。窓際最後列に座る俺の斜め前に座っているヤツで、そう言えば昼休みからこっち、挙動がおかしいなとは思っていたし――それに、後述するがそれなりに予兆もあった。
以前、気まぐれでそいつにイビルアイ(邪眼)を使ってみたのだが、なんと結果はクロと出たのだ。
イビルアイ……俺の持つ能力の一つだが、とにかくそのイビルアイで見ると、こいつが「俺の人生に多大な影響を及ぼす」とわかったのだ。
まあ、別に脳内で声がしたわけじゃなくて、本人の身体が光ってるんで、嫌でもわかるんだが。
ただ、どういう影響があるかまではわからなかったし、いきなり声を上げて立ち上がったことで、そいつは当然ながら、クラス中の注目の的になった。
脇坂、どうした?
歴史担当の安達先生が片手でチョークを持ったまま、迷惑そうに彼――脇坂を見る。
しかし、本人は先生の顔など見もしなかった。
両手で頭を抱えて前後に振り、しきりに
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だっ
と、壊れたコンポみたいに何度も繰り返していた。
そのうち、ぱっと俺の方を見たので少し警戒したが、脇坂が見たのは俺ではなく、窓だった。脂汗に塗れていて、既に顔が蒼白だった。
なにかヤバい薬でもやってんじゃないかと思うほど、全身ガタガタ震えている。
さすがにこれはただ事ではないと思ったのか、安達先生は慌てて脇坂に駆け寄ろうとした。
おい、どうした脇坂っ。具合が悪いなら先生が
他に方法はない、他にこれを逃れる方法はぁあああああ、方法はああああないぃいい
脇坂は唾を飛ばして喚き、先生の声を遮った。
……それまで、半ば野次馬気分でざわついていたクラスのみんなも、これで完全に静まり返った。
冗談ごとじゃないのが、ようやくみんなの脳裏の染み込んだようだ。
脇坂がふらつきながらこっちへ来たので、俺は立ち上がって声を掛けようとした。
歩く度に左右の机に身体をぶつけて、危なっかしいことこの上ない。
なあおい、無理すんなよ
俺はなるべく相手を刺激しないように笑顔を広げ、近付いた。
その際、ヤツの手首に何か銀色のものが見えたが……この時は特に意識しなかった。何しろ、状況が状況だからな。
気分良くないんだろ? なんなら、一緒に保健室へ――
申し出の途中で、俺はぶっつり言葉を切ってしまった。
というのも、こっちを見る脇坂の目が全然明後日の方を向いていたからだし、しかも右目と左目がいきなり不自然に動いて別々の方向を向いたからだ。
さすがにこれは驚くし、びびる。
おまえ、大丈夫なのか
思わずそう呟いてしまったが……もちろん、全然大丈夫じゃなかった。
おいっ
本当にいきなりだった。
脇坂は俺の言葉はもちろん、遅ればせながら近付こうとした先生も無視して、近くの窓に猛然と突進していった。
全力疾走のような勢いで、俺も慌てて飛び退く始末である。
方法はないぃいいいっ
きゃっ
進路上には女子生徒が座る机もあったのに、体当たりして机ごと跳ね飛ばす勢いだった。その先には、もうグラウンドに面した窓ガラスしかない。
微かな疑問は完全に確信に代わり、俺は今度こそ怒鳴った。
よせっ
同時に、自分が持つギフト――つまり、俺固有の特殊能力を発動しようとしたのだが、あいにく一足遅かった。
脇坂はもう窓ガラスに体当たりして粉々に砕き、悲鳴を上げつつ外に向かってダイブした後である。これでは、たとえ俺のギフトをもってしても、もうどうにもならない。
顔をしかめた直後、水風船を壁に叩き付けたような嫌な音がして、脇坂の悲鳴がぶっつり止んだ。
代わりに、教室中に女子生徒の黄色い悲鳴が一斉に湧き起こった。
おいおい、勘弁してくれよ……
窓に駆け寄り、下を覗いた俺はため息をついた。
四肢をでたらめに絡ませた脇坂が、顔を血に染めて俯せに倒れている。振り返れば、真っ青になった先生はもちろん、ぎゃあぎゃあ喚く生徒の誰も、救急車を呼ぼうとはしていなかった。
やむなく俺は自分のiPhoneを出し、119に電話した。
ここは三階だし、まさかまだ死んでいないだろう。
実際、俺のイビルアイで見ると、未だにグラウンドに倒れた脇坂の身体が異様なまでに光っている。
今もなお、あいつが俺の人生に多大な影響を及ぼすという証拠だ。
ぜ、全員自習だっ
ようやく硬直から解けた歴史の先生が、誰かに尻を蹴飛ばされたような勢いでクラスを走り出ていった。
反応が遅いが、脇坂の様子を見に行くのだろう。
その間に俺は通報を終え、すとんと自分の席に座った。男女を問わず、クラス中の全員が窓際にすっ飛んできて、野次馬根性全開で下を覗いているけど、俺は元々窓際の席なので、むしろクラスメイトが周囲にみっしり集まってきてうっとうしい。
一度腰を下ろしたものの、すぐに窓から離れた。
さ、冴島君、落ち着いてるのね
皆から距離を置くと、途端に羽坂祥子に話しかけられた。
長めに揃えたボブカットの髪が似合う美人さんで、席が俺と隣同士だった。この子も殺到してきたクラスメイトが煩わしくなり、自分の席を離れたクチらしい。
今の光景がショックだったのか、微かに震えていた。
今時、珍しい。
いやまあ……やっぱり、いの一番に救急車かなって
もちろん、すぐに電話で救急車を呼んだのは感心したけど、その前もだよ
祥子は両腕で自分の身体を抱くようなポーズで、じっと俺を見た。
様子がおかしかった脇坂君を見ていた時から、まるで彼の行動を予測していたような目つきだった気がする
気のせいだろ? 冴島は災厄を予言するらしいとか言われたら目も当てられないんで、そういうのは広めないでくれよな
おどけた口調で俺が言うと、祥子は慌てたようにぶんぶん首を振った。
あ、ごめんなさいっ。そんなつもりじゃ――
……祥子がどんなつもりだったのか、俺は結局聞きそびれた。
というのも、まさにこの瞬間、
ぎゃああああっ
という派手な絶叫が聞こえたからだ。
しかもこの声は、おそらくさっきクラスを飛び出していった安達先生の声だっ。
俺は祥子を放置したまま、急いで窓際に戻り、口々に喚くクラスメイトの背中越しに下を見た。
……半身を起こした脇坂が、安達先生の首筋に噛みついていた。
先生は首から鮮血を撒き散らしながら、サイレンみたいな悲鳴を上げている。ちょうど、校舎から他の先生達も駆け付けてきたところで、全員で寄ってたかって脇坂を先生から無理に引き剥がした。
それは成功したものの、安達先生は仰向けに倒れたまま、びくびく痙攣して動かない。
どうも、今のが致命傷になったらしい。
ど、どういうことなの!?
俺の横で、蒼白な顔で目を逸らした祥子がそう呟いたが……俺としては
さあ
と答える他はなかった。