たっだいまー、って、あれ?
こんな時間にどこいくの、おにい

あぁ、おかえり。
ちょっと用事があって。
母さんが帰ってきたら、すぐ帰るって言っておいてくれ

…………

おにいがついにグレた!?

……じゃあな、行ってくるぞ

ツッコミが甘いよ、おにい!!
そこはもうちょっと否定したりとか――!!

――おみやげ、コンビニでアイスでも買ってくるから

わーい、いってらっしゃーい♪




我が妹こと、朱音――〈あかね〉。
部活少女の中学3年生。

こう見えて中学のバスケットボール部の主将。
友人も多く、根っからの明るい性格は俺とは対照的だ。

少し素直過ぎる面があったりもするが
変に反抗的な態度を取ってみせたりはしない。
思春期特有の反抗期もなく
俺と母さん、二人の家族に対してもこの調子だ。
“ぼっち”な俺に対しても特に偏見を抱いたりもせず
この独特の天然ぶりを発揮する。



――ただ一つ、心配な点とでも言うべきか。



……おにい、気をつけるんだよ。
宵闇が空を覆ったこの時間は、“あいつら”が動き始めるから……

……今度は何の影響を受けたんだ?

今期のアニメ!
高校生が異能バトルに巻き込まれるもの!
いやぁ、面白すぎてすっかり寝不足になっちゃうよね!
あ、おにいも観る?

観ないよ。
じゃあ、行ってくるからな

ちぇー、可愛い妹が誘ってるんだから、ツンデレってくれてもいいんだよ?

――はっ!
まさか、おにいはクーデレタイプ……!?


キャーキャー言いながら何かを騒ぎ立てる朱音を背に
俺はさっさと家を出た。

扉を後ろ手に閉める中、一人で舞い上がる妹の声に
ちょっとだけ頭痛がした。

……何やら騒がしいのう、お主の妹は。
“あいつら”とは〈妖〉のことかの?

いや、あいつはちょっとした病に冒されているだけだ。
思春期特有の

……病、か。
それでも明るく振る舞っておるとは、健気な娘じゃな……

……分かってて言ってるだろ、あんた

ふふん、中二病というヤツじゃな?
それぐらい知っておるぞ



――頭痛のする相手はここにもいた。

土地神 ―弐―


巫女さんこと土地神に連れられてやって来たのは
家から徒歩で10分ほど歩いた先にある
整備された公園だった。

さすがに陽も暮れて、人の影はない。
この片田舎の町では有数のデートスポットらしいが
今日はどういうわけか、人影すら見当たらない。

まぁ、“ぼっち”な俺には縁のない場所だが。

夜の公園って、なんだか不気味なんだよなぁ……

お主以外の者でも直感的にそれを感じ取る者もいるだろうが、あながち気のせいというわけではない

……やっぱりいるのか

穏やかな空気が流れ、人の想いが交わる場所というのは、〈妖〉よりも思念を持った存在――つまりは一般的な幽霊と呼ばれるような者が惹かれ、集まるのじゃ

ってことは、〈妖〉もこういうトコに姿を現すのか……?

姿を現す、というのは些か語弊があるのう。

人の温かさに再び触れて、残骸とも言えるような想いが反応し、焦がれるのじゃ。
生前の温かくも幸せだった時を、その温もりに惹かれる。

――じゃが、それを羨み、妬ましく思う者もいる

……それが、〈妖〉になる、のか?

長い時を彷徨い、何を求めていたのかも分からなくなってしまった者の残骸が、人の想いに反応する。
〈妖〉は殊更、その悪意や憎悪を受け取り、変質していった存在、とでも言うべきやもしれぬ

ちょっと待ってくれよ。
〈妖〉は恨みとかそういうものを持った幽霊が行き着くような存在――つまりは悪霊みたいなもんだろ?

圧倒的にその方が多いのは事実じゃ。
負の感情を残した者の方が、〈妖〉となる確率は高い

――しかし、じゃ。
自分が何かも忘れ、ただただ惹かれる想いが妬みに変わることなど、珍しくもない。
そうして〈妖〉となってしまう者も決して少なくはない

……



――それは、可哀想な存在、なのかもしれない。
彼女の言葉を聞いて
やはり直感的にそんなことを感じてしまう。



死は必ずしも、予期したものばかりじゃないはずだ。


事故、あるいは事件。
病気によって、生きたくても生きられない。

長い時間を孤独に彷徨って
自分が何かも忘れ、何をしたいかも分からず
やがて生者への羨望が嫉妬に変わってしまう。

ただただ、〈妖〉となって堕ちていく。

誰かが気になって
死んでしまったのに、それが納得できなくて。


やはり、お主は私の後継に相応しい

――え?

我ら土地神は、導かなくてはならぬ。
〈妖〉だからといって、問答無用に全てを消し去ってやれば良いというものではない。

無論、危険過ぎる〈妖〉はそれで良いが、全てがそうするべき、というわけではない。

〈妖〉と成り果て、それでも十人十色。
見定め、時には協力して導くのもまた、土地神の仕事。
ただ一様に〈妖〉を憎むようでは、この役目は果たせぬ

――故に、蓮。
お主は私の後継に相応しいと、私は確信しておる



――お主ならば、立派に導くこともできるであろうな。

真っ直ぐ俺の目を見ながら告げる彼女の言葉は
なんだかとても、くすぐったくて。
思わず、頬を掻きながら視線を外した。



――俺に逃げるように薦めてくれたあの人は
はたして成仏できたのだろうか。

きっとあの人は〈妖〉じゃなくて
想いを残したまま彷徨っている側だったのだろう。
だから俺に助言をしてくれた。

まぁ、内容は内容で
なかなかゾッとする発言だったけども。

でも、慌てて逃げてしまった当時の俺は
やっぱり失礼だったのかもしれない。

今更そんなことを考えても
きっとの詮無きこと、というやつだろうが。


人、土地神、幽霊と〈妖〉。


今まで、その関係について詳しく考えたことなんて
なかったのかもしれない。


ただ自分に襲いかかってくる〈妖〉から逃げてきた。


――何をすればいい。


そう言ってみたものの、俺は結局のところ
何ができるのかも、何をすればいいのかも
分からないままだ。

俺に、何ができるんだろうか。
何かできる事があるのだろうか。



そんな事を考えていた――その時だった。

何かを引きずるような音が聴こえて
ハッと音の方向へと視線を向けてみる。

薄暗い闇が侵食した木陰から


確かに何か、黒い人型のものが
ゆっくりと、鈍重な身体を引きずって出てきた。


……な、んだよ、あれ……!



視線の先には、人型の黒い影。

人型――とは言ってみるものの
身体はまるで泥塊のような形をしているだけで
二足立ちで歩いてくるわけではない。

見たこともない、黒いシルエット。
景色をくり抜いたように影が迫ってくる光景。

その不気味さは
もうすっかり暖かくなってきたこの時期だというのに
寒気を感じさせるには十分だった。

ゆっくりと、緩慢な足取りで
そいつはこっちに近づいていた。


ふむ、さしずめ怨霊の集合体とでも言うべきじゃの

怨霊……?

先程言った通り、この場所は人の想いが集う場所じゃ。
周囲の怨念を無尽蔵に吸収し、肥大化したのじゃな。
見よ。身体すらまともに作れず、自分が何で在るかもわからず、吸収して大きくなってしまっておる

此奴は〈妖〉と成ろうとしておる。
今はまだ名はもちろん、自我さえも無いただの塊のようなものじゃ。
もはや、消す以外に取れる方法はあるまい

消す、のか?

周囲の怨念を喰らっていくだけなら問題はなかろう。じゃが、結界を食い破って明確にこちらに向かって歩いておる。
蓮、お主の魂がよほど此奴にとっては馳走であるように見えるようじゃ

勘弁してくれ、喰われたくないぞ、俺は

当たり前じゃな。
私もせっかくの後継を、このような何も考えられぬ愚かなものに取られるわけにはいかぬ



それだけ言って、彼女は俺の前に躍り出た。
途端にぴたりと足を止めた、黒い塊。

それどころか、次の瞬間。

そいつは、後退るように後方に動き出した。


蓮の魂の眩さに目が眩み、私にようやく気付いたのかの?
――残念じゃが、もう遅い。
お主が〈妖〉と成りきる前に、消し去ってやろう。
それが――せめてもの救いじゃ

――ッ!!



怨霊と俺の間に立った彼女が
そいつに向かって手を差し出した。

巫女服の袖から覗いた、白い陶器のような手。


――――途端、世界が白く染まる。

目が眩むほどの白く激しい光の中で
青い炎にも似た何かが揺らめいて、怨霊を焼き払った。

いや、恐らくは焼き払ったわけじゃないのだろう。

焼き払ったというよりも、そいつが消え去った残滓が
まるで青い炎のように見えたのだ。



静寂が舞い降りる。

薄気味悪い空気は先程の眩い光の中に消え
どこか静謐さを感じさせるような静けさが
辺りを満たした。

目の当たりにした、〈妖〉の消失。
自称土地神たる彼女の力。

まるでマンガやアニメから飛び出したような
そんな光景を目の当たりにして
俺はただただ、呆然と立ち尽くしていた。

……終わった、のか?

……うむ



無事に終わった、と付け加えた彼女の横顔を
ちらりと横目で見る。

その表情は決して晴れやかなものでもなく
いっそ、どこか悲しげな空気を放ってすらいた。

俺にはそんな顔をする理由なんて
理解できるはずもなくて。

だけど
彼女は俺が不思議がっていることに気付いたのか
ゆっくりとその真意を口にした。

……〈妖〉に堕ちる前に消せたのは重畳ではあったろう。
生者へと――ましてやお主ら人間へと害を成すような危険な存在を、未然にその被害を防げたという点では、確かにのう

――じゃが、あれも何かを想い、その未練が〈妖〉へと続いてしまった哀れな存在じゃ。
忌むべき存在であるのは確かじゃが、しかしそうなる前に何かをできたのではないかと思うと……――


――神と呼ばれる存在のなんと無力なことか。
彼女はそう付け加え、そのまま押し黙ってしまった。

彼女は――土地神は
その後の帰路でも口を開こうとはしなかった。

「気にするなよ」
「〈妖〉になる前に消せたし、良かったじゃないか」

そんな軽い言葉が脳裏を過ぎるものの
口にする気にはなれなかった。

俺には――彼女の苦悩は分からない。



――〈妖〉――



害ある存在を消すというのが土地神の役目でもあり
これから、俺も彼女のような立場に立たされる。

その時になれば
俺は少しぐらい、彼女の想いを理解できるのだろうか。

せめてこんな時、かける言葉の一つぐらい
見つけられたりもするのだろうか。

――なぁ、〈妖〉をあんな風に消し去ること以外に、成仏っつーか、未練を取り除いてやれば、消えたりもするんだよな?

……可能ではあるが、それが成功するかどうかは解らぬぞ。
言葉が通じ、意思を疎通できるからとは言え、それに応じるかどうかは解らぬ

……そっか

――でも、不可能じゃないんだよな?

……う、うむ。
それはそうかもしれぬが……

だったら、俺はそういう方向の土地神代理を目指せばいいんだよな

……蓮、お主は……

俺さ、後味の悪い物語って嫌いなんだよ。
どんな物語だって、ハッピーエンド推奨派ってヤツだな。
だから、後味の悪い解決なんて、俺にとっちゃ解決って感じがしないんだよ

…………

どうせなら、その方がいいだろ?
そりゃ、あんな力が使えんならパパッと解決するのも可能なのかもしれないけどさ

……そうか

しかし、相手は〈妖〉じゃ。
危険が伴うやもしれぬのじゃぞ?

ま、そん時はあんたに助けてもらうさ

…………

やれやれ、お主は……

――ふふっ、私はとんでもなく面倒な相手を後継に選んでしまったと、いつか嘆くことになるやもしれぬな

巻き込んだのはあんただろうに。
面倒なのはお互い様だ

……あぁ、そうかもしれぬな

あまりにも唐突に
人様のプライベートを覗いていた土地神が
俺の目の前に、姿を現した。

彼女は俺に、土地神の代理をしろと言う。



――それはあまりに突拍子もなくて
普通に考えれば、そいつは受け入れ難い提案だ。




なのに、俺は引き受けることを選んだ。



劇的な日常の変化を望んだわけじゃない。
彼女が美人だったからって、引き受けるわけじゃない。



ただ、きっと――――


――あの日。

少女の幽霊から逃げていた
何度も何度も夢に見たあの日から。

運命ってものがあるのなら
あの日からこうなる道を定められていたのだろう。


あの山道を登った先で
足を踏み入れた、その瞬間から
俺が今日という日を迎える運命の歯車が
廻りだしていたのかもしれない。


そう思ったのだ。

ただいまー

……お、おかえり

あ、悪い!
アイス買ってくるのすっかり忘れて――

…………

お、おい、どうした?

お、おにいが……!!
女の人連れて帰ってきたーー!!!

……は?

……お、お主、私が見えているのか……?


to be continued...

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