――つまり、だ。
土地神ってのは本来、その地に住まう存在であって、その役割は――まぁ一言で言うなら、便利な信仰に使われている、ってところか

身も蓋もない言い方じゃな……

まぁ、少々信心が足りん気もするが、この時代じゃからな。そういう解釈で良かろう。
我々――つまりは土地神という存在は、その地を見守り、時に豊穣をもたらし、その地を守護するという役割があるのじゃ。

そして、お主にやってもらいたいのが、そのもう一方の仕事――

――〈妖〉と悪霊を導くこと、ね

その通り。
なかなか飲み込みが早いではないか、蓮

……確かに言わんとすることは分かったよ。
でも、俺はやるなんて言ってないからな

なんじゃ、嫌なのか?

嫌に決まってるだろ。
〈妖〉と関わりたいなんて思ったことはないし、今後も関わるつもりなんてない

――ふふふっ

……なんで笑ってるんだよ

いいや、少しばかり男子らしい反応が見れたのが、つい嬉しくての

お主と初めて会った頃は、震えて泣いておったからの。
あの頃に比べれば、ずいぶんと成長したものじゃ

は……?

なに、憶えておらぬのならそれで良い。
“会った”という言い方も少々語弊があるかの。
正確に言えば……


巫女さん(仮)から、巫女さん(神)になった女性。
彼女がその続きを口にしようとした、その時だった。


――何かが弾けるような音が聴こえてきた。

土地神 ―壱―

な、何が――!

……また、か


困惑する俺とは対照的に
想定していた通りだと言わんばかりの態度で
彼女は俺の目をまっすぐ見つめた。

蓮、私の代わりをしろといった理由を教えておこう

なんだよ、急に。
それより、今の音は――

――黙って聞くのじゃ


先程までの、どこか飄々としていた空気から一変。
困惑すらしていた俺さえも、思わず言葉を失うほどに
彼女の声は凛と響いてきた。

その空気にあてられて、俺も小さく頷きを返した。

良かろう。
――今の音は、〈妖〉が私の張ったこの周辺の結界を食い破り、入り込んだ音、と言えば分かりやすいかの

〈妖〉が入り込む……?
でも、あんたが――土地神がこの地を護る結界を張ったんだろ?
なのに〈妖〉が入って来れるってことなのか?

その通りじゃ

じゃあ、あんたよりも強い力を持ってるってこと、なのか?

そうではない。
そもそも結界とは言え、全てを弾き出せるほどの強力なものは存在せぬ。
そんな真似をすれば、〈妖〉ではない霊魂も通れなくなってしまうのでな。

とは言え、本来であれば外からやってくる〈妖〉を弾くことぐらいは可能じゃが……――

――どうやら、私の力にはもはやそこまでの強さも残っておらぬようじゃ

……ッ、何で……

……本来ならば、あと数十年程度は私がこの地を守り続ける予定じゃった。
この数十年での私の力の衰えと、それを直接感じる〈妖〉の活発化さえなければ、その予定は崩れたりはせんかったじゃろう

力の衰えと、〈妖〉の活発化……?


こくりと頷いてから、彼女は静かに語った。


土地神として彼女が生まれたのは
恐らくは数百年以上も昔
まだまだ人々が、刀を腰に差していた時代だという。

俺の住まう――《陽光町》は
現代で言うと片田舎もいいところだ。

町にコンビニはあるけれど
はっきり言って時代遅れの田舎町という表現が
似合っている。

山村、とまではいかないが
緑豊かで穏やかなこの町が生まれた頃
まだ人の手が入っていない野山であった頃に拓かれた
村が出来たばかりの頃だったらしい。

山を、この町を護る神として社を建てられ
神として生まれたのが、彼女であったという。

当時、神への信仰心は強かった。
大地の実りも、恵みの雨すらも神の御業だと信じられ
その感謝と願いを多くの人が祈ったという。


――しかし、時は流れた。


時代は移ろい、信仰心は薄れ
神と呼ばれる存在は、迷信の類とすら言われ


徐々に力を失い始めたのだ。

――人の営み、時代の流れ。
それらは決して間違ったものではないであろう。
先程のお主の信心の足りぬ発言もまた、この時代に於いては一般的とも言えるじゃろう

――しかし、それ故にこの事態が生まれた、とも言える。
人の想いを糧にしているという点では、私のような一介の土地神と〈妖〉は近い存在であると言っても過言ではないのじゃ。

私のような存在の弱体化、社会への怨恨の増加。
この状況こそ〈妖〉にとっては好都合な状況じゃ。

未練に恨み辛み、僻み妬み嫉み。
そうした負の念は膨らみやすく、容易く心を堕とせる。
比べて我々は今や、〈妖〉よりは強力な力を持ってこそいるが、それは全盛期のそれとは比べ物にならぬほどに弱まっておる

それじゃあ、もしあんたが――土地神が消えたりしたら……

……当然、守護する者がいなくなった以上、〈妖〉は暴れ始める。
場合によっては、人の魂が喰われるやもしれぬ

……な、んだよ、それ……

でも上位の神とかって連中なら、なんとかできるんだろ?
だったら――ッ!

ーー助けてくれても良いではないか、という話はなしじゃぞ。

神は神、人は人。
ましてや、〈妖〉が人の思念や怨念によって作られた存在である以上、神は必要以上には関与せぬ。

人が生み、我ら土地神と呼ばれる下位の存在が導く。
それが役割でもあるからのう

……私とて歯痒い。――が、所詮は神と云えど下位の存在。
確かに上位の、名のある神にとっては〈妖〉など羽虫にも及ばぬ存在じゃ。
しかし、先程も言った通り、恐らくは上位の神もこの一件に動くつもりはなかろう



――人の業によって生み出された問題なのだから。



そう言われてしまっては、何も言い返せなかった。



神の上位だとか下位だとか
そんなものまでは俺には分からないけれど
確かに彼女の言う通りなのかもしれない。

人の思念が〈妖〉を生み出す。
土地神は〈妖〉を導き、人を守る。

そこに関与しないのが、神の方針なのだと彼女は語る。


――その土地神の役割を、俺にやれ、と。


何故俺が、という問いに
彼女は淡々と答えてみせた。

お主は私の力を受け入れられるだけの器を持っておる。
その視る力と心の在り方。どちらも必要な才とも言えるじゃろう。

それだけ、という訳ではないぞ――

――活発化した〈妖〉は、純度の高い魂を求めて人を襲おうとしておる。
このままでは、お主がかつてのように視えぬフリをしようと意味など成さぬ

純度の高い、魂……?

左様。
〈妖〉を視る力と、彼奴ら側に堕ちぬ意思を持った――お主のような存在を、のう。
先程の簡易の結界を破った音から察するに、すでに〈妖〉はお主の魂を求めて近づいてきておる。

お主だけが、というわけではないが、お主のような者は特に狙われるであろう

俺が、狙われるのかよ……

案ずるでない、私が力を失わぬ限りはお主を危険に晒したりはせぬ。
しかし、時間に限りがあるのもまた事実じゃ

蓮よ、しかと心に刻んでおくのじゃ。
逃げているばかりでは、危険は去ってくれぬ。

今日まで私を視ることができなかったお主に私が視えるという事は――即ち、私の力が〈妖〉と同等にまで弱まり、落ちているという証左じゃ

……弱まってるって、そこまでギリギリなのか?
今すぐ消えちまうような……?

今すぐ、ということはない。
じゃが、決して余裕があるとは言えぬのが実情じゃ

……逃げ道はないってことかよ……


思わずため息が漏れた。
もはや俺には、選択肢なんてものはないのか、と。
そんな事実が突き付けられたのだ。


〈妖〉という、俺が見てきた存在。
視えてしまうモノ。


彼らと関わらずに生きていくという選択肢は
俺の知らない間に――いや
最初から俺には用意されていなかったのだ。

ため息ぐらい、吐きたくもなる。



〈妖〉に狙われる。
だからこそ、土地神の代理を努めながら
自衛する手段を手に入れろ。

唐突にそんな事を告げられて
与えられた色々な情報がぐるぐると駆け巡って
混乱させられる。


そんな俺を見かねたのか
椅子に座って頭を抱える俺の頭をそっと撫でた。

――蓮。
私はお主を護ると決めたのじゃ。
これは私の我儘と言っても良いのかもしれぬ



――顔をあげた俺へと、彼女は続けた。

先程も言った通り、遅かれ早かれお主は狙われる。
その時、力も対処法もなければ、お主は彼奴らに喰われてしまう。

自衛する力を得るという意味でも、お主にとってはそう悪い話ではなかろう

私は私の見てきたお主ならば、知恵と知識を与え、〈妖〉とも向き合えると信じたからこそ、お主を、のう

……信じたから……?

お主が見てきた〈妖〉も、そこに堕ちる前の霊魂らも、決してお主にとっては良いものではなかったであろう。
視えぬ者には理解してもらえぬ感情。視える者にしか解らぬ苦悩。そうしたものに心を壊してしまう者もいると聞く

――じゃが、お主はそれを理由に歪もうともせず、私から〈妖〉の話を聞いてなお、彼奴らを可哀想だと言ってみせおった。
その心の真っ直ぐさがあれば、〈妖〉を導くこともできるはずじゃと、私はそう信じておるのじゃ。

故に、お主に私の後継となってほしい

…………

何じゃ、目も口も丸くしおって

あー……、いや。
なんでもないよ



小さい頃から、見えない存在を怖がる俺。
そんな俺を周囲は馬鹿にしたり、嘲笑ってきた。

この歳になれば
そういう周囲の反応も理解できる。
視えない存在に怯えても、視えない人には分からない。

例え俺が視えないフリをしていても
目ざとく気付かれるのも珍しくはないのだ。


だから俺は、周囲とは関わらない。


周囲と関わって、突然〈彼ら〉――〈妖〉が
俺を追ってきてしまったら。

その時、俺は逃げなくてはならないから。

友人として親しくなるなんて、無理な話だろう。
だから俺には、友達らしい友達もいない。
学校でも、基本的には“ぼっち”なわけだ。


だからこそ、なのだろうか。


「お主を信じる」
その言葉は、他人と距離を置いている俺には
温かすぎた。


自称土地神の巫女さんの言葉。
確かに彼女の言う通り、〈妖〉が俺を狙うのなら
俺は必然的に選ばなくてはならないのだろう。



彼女の言う通り、〈妖〉と対峙する道。

或いは

かつてのように、恐怖に震えながら逃げる日々。



どちらを選べばいいのか。
その答えはすでに、俺の中でしっかりと決まっていた。

……はぁ、わかったよ。
で、何をすればいいんだ?

心を決めたのか?
私を信じて良いのか、迷っていたではないか

そりゃそうだ。
いきなり自分が神だとか、神の代弁者だとか宣う連中をあっさりと信じるわけないだろ

……怪しげじゃな、確かに

……認めんのかよ

あんたが神なのか、それとも俺を騙そうとしてるのかなんて、俺には分からない。
ただ、俺を騙してどうこうしようっていう風には見えないからな。
そもそも、俺に何をさせたいのかだっていまいち分からない。

だけど、さ――

――俺も俺の直感を信じるよ。
あんたを疑ってるばかりじゃ、何も変わらないだろうし、あんたからは〈妖〉みたいな嫌な空気なんて感じないしな。
これで騙されたってんなら、俺の見る目がなかったって話だろ

……お主は……


目を丸くする、自称神様の顔を見て
やっぱり俺は彼女を信じる方がいいのだろうと
改めて確信した。




確かに、神なんて今まで信じちゃいなかった。
〈妖〉なんてものを視れる俺が信じてないっていうのも
なかなかおかしな話なのかもしれないが

――本当に神様がいるなら、助けてくれよ。

子供の頃に、何度も願って
それでも俺は〈妖〉を視えるままで。

そうしていく内に
俺もまた何かを信じる気持ちというものを
忘れていたのかもしれない。



そんな俺だけども
信じると言ってくれる相手が現れた。


それは温かくて
我ながらちょろいとは思うけども
信じてもいいのかもしれないと思わされてしまう。







――でも、本当はそれだけじゃないんだ。

……ここ、どこだろう


逃げる僕が辿り着いたその場所。
何故か、誰かが「大丈夫」だと言っていた。

その言葉を、一切疑うこともなく

僕は――――そうだ。




あの日、確かにあの橋の向こう側へと
足を踏み入れた。



――その先にあったのは綺麗な水場だった。

湧き水が滝を作り出して
透明な水が茜色の陽に染められて
きらきらと輝いていた。


その横には古びた、小さな社のようなものが
ポツンと、寂しげに佇んでいた。

人の手が入っていないまま放置され
忘れられてしまった社。

風雨にさらされて、すっかり朽ちていた。

……これ、かみさまが住むおうちだよね

おねがいします、かみさま……!
僕をあの怖いやつらから、守ってください!


今にして思えば
あそこには妙に落ち着けるような
穏やかな空気が流れていた。

荘厳な静謐さとは違うけれど
身体が何かに包まれているような
とても温かい何かに守られている気がした。

だから、思わず手を合わせて願った。

僕を守ってくれ、と。



「――――――」

……あれ、今、なにか……


誰かの声が聴こえたような気がした。

その声が何を言っているのかは分からなかったけれど
確かに、「大丈夫だよ」と教えてくれているような
そんな気がしたんだ。

ゆるやかな風が頬を撫でて
目の前の水面に波紋を描いていく。

その先に、ふと誰かの視線を感じて
僕は確かにそちらを見つめようと顔をあげた。


そこに立っていたのは――一人の女性。
誰かは分からないけれど、とても綺麗で
優しく微笑んでいた。

すぐに消えてしまったけれど
確かにそこには、誰かがいたはずだ。

……どうしたのじゃ?
急に穏やかな顔をしおって

……いいや、なんでもないよ


目の前にいる彼女の姿は
確かにあの日見た幻影とそっくりだった。

――のかも、しれない。

正直に言ってしまえば
小さい頃のただの記憶で、はっきりとまでは
憶えていないのだ。

だけど、彼女が――この巫女さん(神)が放つ
独特の空気とでも言うべきか。

そうした雰囲気が、あの場所であの時感じたものと
確かに似ているという事だけは
今の俺にも確かに判る。

なんなのじゃ、急に何かを悟ったような顔をしおって。
あれじゃな、賢者タイムというやつじゃな?

……どっからそんな知識拾ってきやがった

ふふん、私もこの家に居着いて長いからの。
お主が見ておるネットやテレビから、色々と学んでおったのじゃ

神様に法規制ってものがあれば、まず間違いなくあんたを訴えてやる

残念じゃったのう、蓮よ。
あいにくと、神にそんなものはない。
まぁ、破ってはならぬ決まり事こそあるが、のう

そんなこったろうと思ったよ

――って、そうだよ、そうだったよ!
さっきの音、〈妖〉がきたんだろ!?
こんなトコで呑気に話し込んでていいのかよ!

――なに、案ずるでない。
結界を破ったとは言え、私の近くにまでやって来るだけでも〈妖〉にとっては毒の沼を歩むようなものじゃ。
もう間もなく弱まるであろう

そうなのか?

たわけ、何を驚いておるのじゃ。
私の力が弱ったとは言え、私とて一柱の神。
〈妖〉にそう簡単に屈したりはせぬよ。

――じゃが、これは良い機会やもしれぬ

良い機会?

その通りじゃ。
これからお主は〈妖〉と対峙することになるじゃろう。
まずはその一歩――見習い初級講座とでも洒落込もうではないか。

ちょうど良い、ついて来るのじゃ

――見習い初級講座……って、おい!
ちょっと待てっての!

to be continued...

pagetop