最後のチャイムが学校全体に鳴り響いた。

卒業式を終えてあとは下校するのみになったけれど、
帰ろうとは思えなかった。

思い出に浸りながら、私、千歳結衣は片思いの恋心に
終止符を打つつもりでいたんだ。

彼女、桜田ひかりちゃんに対する勝手な気持ちを
持っていても、もう伝えられる機会はないだろうから。

ひかりちゃん、もう帰っちゃったよね……

1人残る教室で呟きながら、約束を思い出す。

(クラス全員でカラオケかぁ……
 行きたいけど、やっぱり)

校門前に集まるクラスメイトたちを眺めながら、
一向に動かせない足をただバタつかせてしまう。

(どうしようかな、そろそろ行かないと
 迷惑をかけちゃうよね……)

卒業証書が入った筒をゆっくりと掴みながら、
椅子から立ち上がろうとする。

どうせなら当たって砕けて、想いを粉砕した
かったけど、――そのチャンスすらないみたい。

なんて、思ってた瞬間だった。

勢いよく開かれた扉から現れたのは、
待ちにまっていたひかりちゃんだった。

結衣ってば帰らないの? 
これから卒業記念にみんなで行く
カラオケでしょ?

うん、そうなんだけどさ……

前々から予定されていても気乗りせず足を運べない。
また椅子に座り込んでしまう。

同性に対する恋心に気付いたその時から、
伝えられないとは分かっていた。

ひかりちゃんといると、1人ドキドキしてしまう心が
気付かれてしまうんじゃないかって怖くて、
顔を見ることも出来なかったし。

仮に気持ちを伝えられたとしても、嫌悪感たっぷりの
意地悪な言葉を言われてしまったら、もう二度と
恋なんてすることは出来ないと思ってしまった。

(やっぱり諦めるしかないよね。
 無理なんだよ、告白なんて)

俯きながら考え込んでしまって、
ひかりちゃんの顔を見ることは出来ない。

せっかく最後なのに、ろくに会話をすることも
出来ずに離れ離れになっちゃうのかな――。

どうしたの、結衣。気分でも悪いの?

へっ? あっ、いや……そういうわけじゃ
ないよ。気にしないで

うーん、気にしないでって言われてもなぁ

声をかけられて、
私はやっと彼女を見ることができる。

目を合わせることは出来ないけど、
それでも言葉は交わせた。

控えめに微笑んで、
心からの笑顔は浮かべられないけど。

ねぇ、結衣。卒業式くらい、ずっと笑っ
てようよ。次にいつ会えるかも分かんない
んだからさ、楽しく過ごしていたいじゃん

笑顔で言葉をかけてくれるひかりちゃんは
私の顔を覗き込んでくる。

ただのクラスメイト、
友人として気兼ねなく普通に――。

まるで落ち込んでいる私を元気づけてくれるみたいに。

(そうだよ。そんなひかりちゃんだから、
 好きになったんだ)

何事も前向きに取り組んで、時には男子にも負けない
くらいの意志の強さでクラス全体を引っ張って、
頑張っているひかりちゃんに心を惹かれたんだ。

ずっとそんな彼女を見続けて、
元気をもらい続けたんだ。――私も変われるかな。

(ねぇ、私……本当に伝えないままで
 いいの? 言わなきゃ、
 きっと後悔するよね?)

結衣、どうかしたの? 
何か、悩みごとがあるなら聞くよ?

優しいひかりちゃんは、
覗き込みながら尋ねてくれる。

ただ相談するわけにはいかないんだ。

これは私自身で勇気を振り絞らなくちゃ
いけないことだから。

ひかりちゃんは好きな男の子とかいないの?

えっ!? 好きな人、かぁ……どうだろ

小首を傾げて言葉を返してくれるひかりちゃん
だったけど、私にはわかるんだ。

彼女は気付いていないだけで、
荒井君のことが好きなんだって。

それに荒井君もひかりちゃんのことが好きで、
両想いだってことも。

(私が入る余地なんてないのにね――)

自嘲気味に笑ってしまいそうになるけれど、
決めたんだ。変わるって。

今日、ひかりちゃんに告白をして、フラれたり、
嫌われて後悔するより、きちんと自分の想いを伝えて
後悔するんだって。

ふふ、きっと私の出る幕はないんだろう
けど、聞いて欲しいことがあるんだ

私に聞いて欲しいこと?

そう、ひかりちゃんにだからこそ、
聞いて欲しいの

自分でも思ってもないくらい、
真面目な表情をしているんだと思う。

ひかりちゃんも真剣な眼差しで、
私を見つめてくれているから。

(言うよ。私……)

ゆっくりと深呼吸をしながら、
言うタイミングを見計らう。

緊張でドキドキと高鳴る心臓の音をおさえながら、
しっかりと思いを伝えるために。

(――よし、言おう)

私は1年生の頃からひかりちゃんことが
好きだったんだ。自分もあなたも女の子だけど、友情じゃなくて――

男の子に抱く好きと同じだった

――えっ……

言い出した途端、驚きの表情を隠せていない
ひかりちゃんだったけど、何も言わずに聞いてくれる。

本当は気持ち悪いとか、止めて、
言わないでとか言いたいはずなのに何も言わない。

ただ途中から、私の声がどんどん小さくなっていって、
聞こえなくなってしまったのかもしれない。

ねぇ、結衣。聞こえないよ。
もう一度言ってみて

いつの間にか俯いてしまっていた私は、
もう彼女の顔を見ることは出来なかった。

ただ言葉を聞いているしか出来なかった。

恥かしくて、怒っているかもしれない
ひかりちゃんを見たくなくて。

ごめん……怒らないで

ただ私が小さく呟いた言葉を、
ひかりちゃんが聞き漏らすことはなかった。

謝らなくていいよ。
結衣は本当にあたしのことが好きだったんだね。ありがとう

わっ、……ひ、かりちゃん……
どうし、て、そんな――

だって、結衣ってば
泣きそうな顔してるからさ

暖かい手のひらで、
彼女は何度も私の背中を撫でてくれる。

優しく、優しく、
まるで子供をあやすみたいに。

ひかり、ちゃん……私

いいよ。今だけ好きなだけ
泣いていいからね?

諭すような言い方で耳元で囁いてくれる声に、
私は我慢が出来なくなった。

涙腺が途端に揺るんで、目元が熱くなる。
目元から頬を濡らし、涙は止まることなく
溢れだしてしまう。

緊張で熱くなった体を冷ましてくれるみたいに、
ひんやりと冷えた雫が伝い落ちる。

でも、私は結衣の想いに答えることは
出来ないよ。だって――大貴のことが

ひかりちゃんが言いかけた時、
廊下から騒々しい足音が聞こえてくる。

勢いよく開かれた扉からは、
ある男の子の顔が覗き込んでいた。

おーい、カラオケ行くんだろー!
みんな待ってるぞ

必死に涙を拭ってみるも
上擦る息遣いだけは止まってくれない。

うっわ、ひかり、
なに千歳を泣かせてんだよ

うっさいわね、泣かしてなんかないっての! 
みんなには今行くから待っててって
言って置いて

はいはい。……千歳も直ぐに来いよな

明るく、また廊下を走っていった荒井君は
それ以上追及することがなかった。

彼の優しさが、今はとても優しかった。

(ひかりちゃんが好きになる人だもんね)

結衣、あたしね

唐突に耳に届いた言葉の先を、
私は知っているような気がした。

本人の口から聞いたことはないけど、
言いたいことだけは分かる。

――だから、聞きたくはなかった。

私に出来ることは、あとは応援だけだ。

早く行こっか。これ以上みんなを
待たせちゃっても悪いしさ

それはそうだけど、私は結衣に言わなくちゃいけないことが――

私、知ってたよ。
荒井君がひかりちゃんのことが好きで、
ひかりちゃんも彼のことが好きな子とはさ

でも、それじゃあ……

(やっぱり、ひかりちゃんは優しいな)

自分の想いがあるのに、人の気持ちを
心配してくれるなんて。

うふふ、早く付き合っちゃいなよ。
それに結婚式も呼んでね。絶対だからね

必死になって明るく話そうとするけれど、
また泣いてしまいそうだった。

私のことを心配して、何度も謝ってくれる
ひかりちゃんの心がとても優しいのが分かって。

結衣、本当にごめんね

だから謝らないでよ。私はひかりちゃんが
幸せならそれだけでいいんだから

そんなこと言われても――

ほら、行こうよ。最後くらいずっと笑って、楽しく過ごさなきゃ

彼女の受け売りだけど、私にとってはとても大切な言葉。

最後の最後で、私を変えてくれた魔法の言葉なんだ。

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