試合終了を知らせる電子音が体育館中に鳴り響く。

同時に思い切り足を踏み込んでバスケットボールを打ち込んだ。

ゴール目掛けて飛んでいくボールは勢いを落とすことなく、ただ一直線だった。

入れーっ!

ありったけの力を込めて強く叫んだ言葉は、応援しているチームメイトと比べても誰よりも大きい。

自暴自棄になって3ポイントラインから放たれたシュートだったけれど、不思議と確信していた。

(絶対に入る。あの人が外すわけない)

相手チームでありながらも声援をしてしまったオレは、ブロックに入る必要があったことも分かっていたし、その選手にボールが回らないようカットしなくちゃいけないことも頭では理解していた。

――けど、出来なかったんだ。

(やっぱセンパイはカッコいいなぁ。
  ずっと見てたいや……)

相手選手に見惚れて、オレが体を動かすことを忘れてしまっていたから。

瞬間、応援席から一際大きな歓声が聞こえて来ても、ただただ見つめていた。

ブザービーターを決めて、嬉しそうに笑顔の花を咲かせる荒井大貴センパイの横顔を。

お前さ、どうしてカットに入らなかったワケ?

えっ、あっ、それはっすねぇ、目にゴミが入っちまったみたいで、つい

ついじゃねーよ。そういうのは気付いたらベンチに下がっとけよ。圭佑

はーい。次からは気を付けまーす

引退試合を終えて更衣室に入るとブザービーターの話で持ち切りだったけれど、当の本人は気にしてもいないらしい。

着換え中にもかかわらず、カットに入らなかったオレ、日比谷圭佑へのダメ出しが始まった。

(センパイに見惚れてたなんて、言えねぇもんなぁ)

フルで試合に出続けて汗臭くなったシャツを脱ぎ捨てながら、隣で着替えるセンパイの引き締まった体をまじまじと見てしまう。

大柄とは言えず、小柄でもない平均的な体躯を持つセンパイだけど、毎日自主トレを欠かさずにい続けた体は同じ男のオレからしてもカッコよかった。

細身でも一応筋肉はついているけれど、身長が低い自分なんかと比べてしまうと、余計に男らしさが際立つ。

ったく、お前はさー、来年からエースっつうチームの大きな役割を背負るんだぞ? 
そんなんで大丈夫か

心配しないで下さいっすよー。
なんとかしてみせますって

ほんとかよ。……って、圭佑! 
人の体をじろじろ見てんじゃねーよ

言いながらも、センパイは特に隠すような素振りを見せない。

ただただゆっくりと制汗スプレーを付けている。

はぁー、今日もカッコよかったっすね、
大貴センパイ

そうだろ? 俺、基本カッコいいから

ブザービーターを決めちゃうところなんて、まさにそうっすね

いやー、俺も入るとは思ってなかったんだけどさ、やっぱバスケの神様に愛されてんのかね?

自慢げに話すも、何の嫌味も感じない。

練習の分だけ入るってわけではないけれど、きちっと入れてしまうのがセンパイらしいところだ。

逃げ切れるかと思ったところで決められて、後輩チームは泣き泣きセンパイらに超お高いアイスを奢る羽目になったんだけど。

さーて、アイスが楽しみだなぁ

絶対に1個だけっすからね

わーってるよ。当たり前だろ?

ウキウキしながら着換えを続けるセンパイとは正反対で、オレの心は重たい。

超お高いアイスって理由もあるけれど、第1にはセンパイたちとはもうバスケができないこと。

明日に卒業式を控えて引退試合を終えてみると、寂しさが余計に募ってしまう。

センパイ、明日で卒業しちゃうんすよね。
悲しいなぁ

それ、本当に思ってんのか? 悲しがってるようには見えないけどな

軽々しく口にしたつもりはなかった卒業の言葉。

今までは正直センパイらが居なくなって、スタメンの枠が空いた……! ぐらいの気持ちだったけど、今回ばかりは違う。

いーや。本当に悲しいっすよ。オレ、もっともっと先輩とバスケしたいっすもん。
それに――

ただバスケをする相手がいない以上に、一生叶うはずのない片思い相手がいなくなってしまうんだ。胸に開いてしまう穴はデカい。

いつの間にか着換えを終わってしまっていたセンパイは制服に着替えてしまっていて、もう帰る準備を整えていた。

とうとう2人でいられる時間の終わりを示されたような気さえもする。

なんか俺に言いたいことでもあるのかよ、
圭佑

言いたいことっすかぁ……あるんすけど、言えないっすねぇ

完全に着替える手が止まってしまいながらも、センパイを見て虚しく微笑んでしまう。

告げる予定のない気持ちを堪えて、オレはただ笑うしかない。

シャツを着ようにも指先が震えてボタンが止めらんないし、膨れ上がる苦しい想いに胸が押し潰されそうになってしまう。

言わなきゃ伝わんないこともあるんだぞ?

促すように、オレの顔を覗き込むセンパイは何もかもを分かったような表情で穏やかに笑んでいた。

人の恋路ばかりを気にして、自分自身の恋心には見向きもしないで。

センパイのほうこそ、言ったんすか? 好きって

あっ、それは……

戸惑いの表情を見せるセンパイは困った顔を見せながらも照れ笑いを見せる。

(この人は気付いてないとでも思ったんすか
 ね)

幼馴染の桜田ひかりセンパイとは普段からいっつも一緒に居て、お互いに好きなくせに何も言わない。

毎度夫婦と周りからからかわれて、ただの痴話喧嘩にも見える言い争いをしているのも、気恥ずかしさを隠すためにしていることだろうに――。

うっせーな。お前には関係ないことだろ

顔を背けながらも、頬を赤く染めていることに気付いてしまう。

(もちろん、本人は気付いてないみたいだけ
 ど)

じゃあオレにもまだチャンスはあるって、祈ってもいいんすかね

祈っても無駄だってことは分かっているつもりだ。

センパイたちが付き合ってないとはいえ、安心できることでもない。

どちらからでも告白をすれば思いは成就するだろうし、男のオレなんかじゃ見向きもされないってのも知ってる。

男が男を好きになるなんて行為自体が理解されるはずもないし、理解してくれても本人が受け入れてくれることはない。

俯きながら考えるのは後ろ向きなことばかりで、中途半端な優しさを抱いたセンパイの心は余計にオレの心を苦しませる。

さぁ、どうだろうな。あるかもしれないし、ないかもしれない

期待させるようなことは言わないでほしいっすよ、大貴センパイ。オレなんか眼中にないくせに

(その気がないなら、気持ち悪いとでも言っ 
 て突き放してくれればいいのに)

歯切れ悪く口にして、今にも泣いてしまいそうになる。

諦めきれないセンパイへの気持ちが溢れだして、無理矢理にでも手に入れたくなってしまうほどの欲望に駆られたけれど、彼の恋路を邪魔してまで手に入れたいとは思えない。

なぁ、圭佑……顔、上げろよ

肩を組もうとしてくれたセンパイの気持ちを無下にしながら手を振り払った。

(優しくする相手を間違えてるんだよ……センパイは)

寂しげに俯いたオレを元気づける役目はセンパイにはないはずなんだ。

彼が元気づけて、勇気を出して告白するべきは他に居る。

涙を流しながら行き着いた結論は、覆すことの出来ない現実。

センパイは優しすぎるんすよ。その気がないなら、オレから離れて行ってくれればよかったのに

圭佑――

ゆっくりと顔を上げながら言った言葉は想いを諦める希望でありながらも、受け入れ難い行為そのものだった。

それだけ、彼の行動に一喜一憂を重ねて想いが募り続けた。

離れて行かずに、どんどん優しくして――、一緒にバスケをしてカッコいいところを見て、好きになっていた。オレもう……センパイのことを

ばーか。俺よりもイイ奴なんてすぐに現れるって。忘れちまえよ、俺のことなんて

それをやれたらイイんですけどね。まだまだ出来そうにないんす

止まることを知らない涙を拭いながらも、オレはただ自嘲気味に笑うことしか出来なかった。

今まで無理難題を押し付けてきたセンパイの言葉の中でも、絶対にやれっこない問題。

なんで、俺のことなんか

ちょっ、えっ……大貴、センパイ?

力なく呟かれた途端、オレの心拍数が爆発的に上昇した。

ギュッと強く抱き締められた体が熱を帯びてしまうほど、センパイからの抱擁は嬉しい。

それでも、センパイのなかに好きな相手がいると知っている以上、素直に抱かれているワケにもいかないのに――ただ戸惑いの声をあげ、その大きな心と体に縋りつくことしか出来なかった。

ほーんと、優しいっすね。センパイは

何秒、いや何分抱き締めてもらっていたことだろう。

涙が止まる頃には優しく背中を撫でられて、上擦っていた声すら元通りになっていた。

その優しさがお前を傷付けてたんだろうがな

そうっすね。でもいいんすよ。オレ後悔はしてないっすから

そう、最初から分かってたんだ。

センパイがオレに振り向いてくれることはない。

心に想いつづけたひかりセンパイにしか、目に入っていないことぐらい。

だから最後に言わせて下さいっす

聞いてやる。言えよ、圭佑

抱かれた腕を解いて、一歩だけ距離を置いた。

(もう決めたんだ。オレは諦めるって――これはその決意だ)

恋愛感情としての好きじゃなく、センパイに対する尊敬の念と友情を育むための目には見えない一線を引いたんだって言い聞かせる。

もしもまた会った時に想いが残っていても、自分の中で思い留めておきたいから。

オレ、センパイのことが好きでした。センパイだとか、男だとか関係なく

あぁ、知ってた。ありがとうな、圭佑

ただまだ優しいセンパイに縋りたい自分と、諦め切れないオレがいて、女々しいんじゃないかって思いつつも、口に出してしまっていた。

ありえもしない、願いを。

付き合って欲しいなんて今は言わないっす。でももしもセンパイがひかりセンパイに振られたってんなら、もっかい告白するっすよ

バーカ、させねぇよ。俺は――あいつのことが好きだからな

そんなん知ってるっす。だから、オレ……いつかセンパイよりもカッコいい人を見付けて、好きになるっすから

着るはずだったシャツを握り締めながら、また溢れだしそうになる涙を堪えた。

やっぱり、初恋って叶わないんすね

慰められる資格なんて無いオレが涙を見せるわけにはいかない。

必死にシャツで涙を拭いながら俯けば、髪に触れる優しい感触に心が揺れてしまう。

ごめんな、圭佑

短く呟かれた言葉を聞き漏らすことなく聞き入れながら、オレは恋路に道標を作った。

止まれマークの真っ赤な標識を何重にも突き刺したんだ。

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