おじさんとケータイ電話

第三話





今日は土曜日だ。

仕事が休みだ。

我が家のリビングにはテーブルの上に、
ピンク色のチラシ、紫色のチラシ、ケータイ。

今か今かとその出番を待っている。

……さてと


厳かにも私はケータイを手に番号をピポパ。

なな、なな、なな……と


寂しい独身の休日を
天使ちゃんとのラブトークに彩るのだよ。

頼む、どうか繋がってくれ。

祈るように通話ボタンを押して
スピーカーを耳元に当てる。

反応は早々だった。

っ!


来た。

呼び出し入った。

一昨日は何度掛けても駄目だった愛のホットライン。

数回ばかりをコールしたところで回線が繋がった。

覚えのある声だ。

はーい! こちら天使のお悩み相談室ですっ

む、この声は一昨日にも話をした子かね?


少し白々しいかも知れないが、
ここは存分にアピールするべき所だろう。

偶然を装い、
今後の会話に勢いを持たせるべく向かう。

女という生き物は運命とか偶然とか、
その手の単語に弱いと聞く。

俺はもっと弱いのだがな。

え? ……あ、そう言う貴方は一昨日の晩にご相談を下さった方ですね

ああ、覚えていてくれてありがとう。とても嬉しいよ

いえいえ、急に切れてしまったので、ちょっと不安だったのですよ

それは申し訳ないことをした。すまない。謝らせて貰いたい

そんなそんな、お気になさらず


よしよし、かなり良い感じの滑り出しだぞ。

ちょっと和み過ぎて
シモい方向へ持っていき難いかも知れんが。

急にケータイの電源が切れてしまってな。困ったものだ

あ、そうですよね。油断してると、意外と減ってたりしますよねー

うむ


さて、どうやって一昨日のトークをコンテニューしようか。

今の流れでは、いきなりオパンツのシワの具合など聞いたら、今度は向こうからぶつ切りされてしまいそうだ。

それだけは避けなければならない。

となると、ここはそう、あれだな。

褒めて褒めて褒めまくり
無理矢理に雰囲気を作るゴリ押しプラン。

しかし、改めて聞いてみてみれば、これまた良いものだ

はい? 何がですか?

君の声さ

え?

こうして聞く君の声がとても若々しく、更に可愛らしいものでな

そ、そうですか? 別に普通だと思いますけど……

うむ。どうしても聞きたくて、こうして電話をしてしまったのだよ

あの、そんなこと言われたの、あふっ、は、始めてなので、嬉しいですよ~

そうかね? ずっと聞いていても飽きない声だ。とても心地良い

そんなそんな、お世辞がお上手ですねぇー

お世辞などではないのだよ。君の声こそ、まさに天使に相応しい

あ、あふっ、それは、あの、とても嬉しいかも知れません……


おいおい
やたらと食いつきが良い子じゃないか。

こうまで素直に照れてくれると、
こっちまで嬉しくなってしまう。

お世辞のつもりが、
本格的に可愛く思えてきてしまったぞ。

もう少し、その可愛らしい声を聞かせて貰えないかね?

は、はい。わたしなんかの声で良ければ、幾らでもお伝えしますっ


呼ぼうか。

呼ぶべきだろうか。

呼ぶべきだろう。

仮にセールストークであったとしても、
これならイケる。

呼ぶ価値があるだろう。

よ、よし、はじめてのデリバリーは君に決めた。

お風呂の詰まりとカビは
相手の移動時間でなんとかする覚悟。

もしよければ、もう少し近くで君の声を聞きたいのだが……

え? 近くですか?

うむ。折角の土曜であるし、今からというのは難しいだろうか?


コールに出たくらいだから、大丈夫だと思いたい。

ここで二時間後なら、とか言われたら、
きっと、少なからず萎える。

そうですねぇ……

む、むずかしいかねっ!?

えっと、ちょっと待ってて下さい

うむっ


いかん。いかんぞ。

年甲斐もなく胸がドキドキしてきたぞ。

…………


しばらくを待つ。

この手の店舗には保留という文化がないのか、回線の向こう側からは昨日と同様、なにやら天使ちゃんと他に誰かのあれこれと言葉を交わす気配が伝わってくる。恐らくは上司とシフトの相談でもしているのだろう。

あぁ
そういう生々しいところはあまり聞きたくない。

自分が舐める前に誰か舐めていたとか、
そういうの知りたくない。

保留にしてくれたまへ。保留に。

ややあって、声が戻って来た。

あの、問題なさそうです

本当かね!? あぁ、君と会えるのなら、妻と別れても惜しくはない


実際は妻とか居ないけどな。

バツさえ付いてないけどな。

えっ!? あのっ、そ、そういうことは、あまり口にされないほうがっ

いいや、本心からの思いさ。それほどまでに君の声が愛らしくてね

あ、あふっ……


さぁ、早く来てくれたまへ。

天使ちゃん。天使ちゃん。

もう辛抱堪らぬよ。

あの、そ、それじゃあ、支度が済み次第に向かわせて貰います

うむ、頼むよキミィ

はい! それじゃあ失礼しますねっ

……え?


言うが早いか、ブツリ、回線が切断された。

…………


天使ちゃん
こちらはまだ住所を伝えていないのだが。

……これは、結構、胸に来るかも知れない


遠回りなお断りってやつだろう。

ここまで盛り上げてから落とすとか酷すぎるだろ。

出禁ってヤツだな。

ちっくしょう。


気を取り直してテイクツー。

今日は土曜日だから電話も沢山できるのだよ。

やはり休日は最高だな。

会社の向かいの席、新人の佳恵ちゃんにセクハラできないのが少し寂しいけれど、今の自分にはそれを補って余るだけの楽しみが手元にある。

商売女のボイス、存分に味わおうではないか。

天使ちゃんが駄目でも、私には悪魔ちゃんがいる


ピンク色のチラシはゴミ箱へポイ。

代わりに紫色のチラシを手に取り、
ケータイをピポパのパ。

ろく、ろく、ろく……と


例の番号をコール。

数度ばかりを呼び出したところで回線は繋がった。

悪魔の悩み相談所だ。なんかあるならさっさと言え

む、君は昨日の悪魔ではないかね?


天使ちゃんのところに同じく
こちらもまた耳に届いた声には覚えがあった。

もしかしたら、電話番は新人の役割、
みたいに決まっているのかも知れない。

うむ、そう考えると悪くない。

やはり喰うならば新人だろう。

同じ中古でも走行距離は短い方が良いからな。

おっ! もしかして昨日のニンゲンかっ!?

うむ。いかにも

天使に繋がったのかっ!? それなら早く代われっ!

それが色々とあってな。こちらへ足を運んで貰う運びとなった

な、なんだとっ!?


私には夢がある。

それは偉大な夢だ。

とても、とても、偉大な夢だ。

それを今まさに、叶える瞬間が、
近づいてきている。

どうしてもというのであれば、こちらとしては吝かでは無いのだが、どうかね? 昨晩の約束を果たして貰うというのも、なかなか悪くない提案だとは思うのだが


無料で致したいのだ。
無料で。無料である点がなにより大事。

そして今なら、この食いつきなら、イケる。

天使ちゃんには振られてしまったが、
この子なら。おそらく。きっと。十中八九。

騙すようで申し訳ないが
天使ちゃんは来ると言っていた。

そう、ちゃぁんと言っていたのだからな。

実際に来るかどうかは知らない。

しかし、当人は言っていたのだから、
私は嘘を付いていない。

であれば、これを引き合いとして、
無料チケットを発動させたところで問題はあるまい。

今この瞬間に限り
私はこれを使うことができるのだ。

逃してなるものか。

分かった。ちょっと待ってろっ!? すぐに行ってやらぁっ!

本当かね? であれば、こちらの住所は……

私が行くまで、ちゃんとそこに捉えておけよなっ!?

え? あ、あぁ、うむ……

待ってろ、天使の野郎っ!

ちょっと、キミィ、それより私の家の住所なのだがねっ

我が家の住所を伝えようとしたところ。

ガチャリ。

番地は愚か町名を語る間もなく切られてしまった。

…………


ツーツーツー。

虚しい音がスピーカーから漏れる。

……なんということだ


これはダメージが大きい。

天使ちゃんのみならず
悪魔ちゃんにまで振られてしまった。

うむ。

これはあれか。

言葉の端々から迸る加齢臭が
彼女たちを遠ざけたのだろうか。

そんな気がする。あぁ、気がするぞ。

…………


ケータイをテーブルの上に置く。

両手に紫色のチラシを、
ビリビリビリ、細かく破いて床に散らす。

……けしからん


心が痛んでしまった。

まったく、これだから近頃の若者は
堪え性が無くていかん。

もう少し年上を敬う心というやつをだな……。

けしからんっ。まったく……まったく、本当にけしからんっ……


いかん。少し泣きそうだ。

流石に立て続けでガチャ切りされると切なさ迸る。

ちょっと眦のあたりが熱くなってきたではないか。

こういうの、当面はお腹一杯である。

……ラーメンでも食べに行くか


頑張れなかった自分への慰め
チャーシュー増し増し、餃子付き。

うむ。良いだろう。
むしろ他に選択肢など有り得ぬ。


ラーメンを食した。

チャーシュー増し増し。

餃子付き。

ビールも付けた。

帰り道はホームセンターに寄り
カビキラーを購入した。

何故かと言えば、風呂場を綺麗にする為だ。

何故に風呂場を綺麗にするのかと言えば、
そりゃもう女を呼ぶ為だ。

女で傷ついた肉体は女で癒やさねばならぬ。

私は決めたのだよ。

……呼ぶ。呼ぶぞ、私は


偉そうにあれこれ語ってはいたものの、
実は生まれて初めてだからな。

胸がドキドキとしてくれるわ。

っ……。っ……。っ……


帰路を急ぐ。早歩きでスタスタと。

おかげで自宅には直ぐに着いた。

郊外の住宅地に所在する一軒家。
広々6LDK。

数年前に買ったものだ。
ローンも幾らばかりか残ってる。

そんな愛しの我が家が、
どうしたことか様子がおかしい。

な、なんだ……これは


玄関脇から覗く多少ばかりの庭。

その先に眺めるリビングの窓ガラスが、割れていた。

……泥棒かっ


間違いない。

なんてことだ、留守を狙われた。

土曜日に白昼堂々と大胆な盗人もいたのもだ。

むっ、まだ気配があるぞっ


窓ガラス越し、リビングに人の気配を感じる。

カーテンの向こう側に声が、声が聞こえる。

声は複数。

どうやら犯人は一人でないよう。

この私の家へ空巣に入るとは良い度胸だ


自然と手は購入したばかりのカビキラーに伸びる。

電動スプレータイプの強力仕様だ。

しかも二本買った。二本。

不届き者めがっ、全身全霊を持って殺菌してやろうっ!


覚悟を決める。

門を越えて、慎重な面持ちに玄関を過ぎる。

入って直ぐ右に続くのがリビングのドア。

ちなみに正面はバスルームとトイレが左から順に。

リビングの反対側には和室、
正面脇より階段が伸びる。

二階には洋室が三つとトイレが一つ。

更に続く三階には洋室と和室が一つづつ。

テラスと屋上付き。

一人暮らしには広すぎる一軒家だ。

毎日が寂しい。

調子に乗って広い家を買いすぎた。

いやいや
今は一人暮らしの辛みを語っている場合じゃない。

窃盗団を退治せねば。

いくぞっ!


小さく呟いて、私はカビキラーをトゥーハンドだ。

最高にカッコ良いだろう。

惚れ惚れする。

ここから先は遠慮など不要。

眼球目掛けて吹き付ける所存。

人の留守に狼藉を働く不埒者共めっ! 喰らえぇいっ!


吠えると共に身を躍らせた。

横っ飛び。

同時
人差し指を全力でシュコシュコ。

液を噴出させる。

あぁ? こんどはなんどぅおっぉあああ゛あ゛っ!?

ど、どなたですぉうあぉああああああ゛あ゛っ!?


命中だ。

二人おった。

盗人は二人おった。

しかも子供。

小さい子供。

女の子。

どちらも小学生くらい。

…………


白い恰好をした小さい女の子と、
黒い恰好をした女の子が、
リビングの上に転がり悶えている。

共に目元を手で押さえて、悲鳴を上げている。

白い方は背中にふさふさの鳥っぽい羽が生えている。

黒い方は背中にコウモリっぽい羽が生えている。

しかも凄くナチュラルに動いてる。

めががあああっ、いいいい、いたいでずぅぅぅう゛う゛う゛っ!

めがっ! めがぁああぁつ! あぁあああああ゛あ゛あ゛っ!


更に白い方は頭には
円形の蛍光灯みたいなのが輝いておる。

また黒い方はお尻には
悪魔の尻尾みたいなのが生えて、
激しくビクンビクン。

君らは、もしかして、あれかね……


そんなまたまたご冗談を。

しかし、これを否定するだけの材料が私にはない。

……電話で話した相談所の方かね?


問い掛けた私に、
両名は必死の形相に首を縦と振って応じた。

文字通り、涙目だった。

カビキラー強し。

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