第二部「真相」
第二部「真相」
恭子のアパートで、澪は忙しなく歩き回っている。恭子は椅子に座って、便箋に目を這わせていた。「D-6の件で、お会いしたく思っています。その際、恭子様もご同席下さると大変ありがたいのですが、そのように伝言お願いできますでしょうか。よろしくお願い致します」と書かれている。
目を落としたまま、煙草に火を点けた。煙を一気に吸い込むと恭子は尋ねる。
「これで二通目?」
「ええ」
澪は短く答えた。恭子は便箋を蛍光灯に透かしながら尋ねる。
「待ち合わせ場所とかは?」
「特には指定されてないけど……」
恭子はしばらく頬杖をつきながら煙草をくゆらせていた。やがて目を上げると、便箋を指で弾く。そして澪へ尋ねた。
「ねえ、公園でこいつに会った時、何かされた?」
「足を触られそうになったけど?」
澪は吐き捨てるように言うと、大袈裟に身震いをしてみせた。そして更に続けて吐き捨てる。
「まぁ、触られるくらいで戻ってくるんならいくらでも……」
「その時、周りに何が会った?」
「え、このカバンだけど?」
澪がカバンを気だるそうに持ち上げると、家の鍵がじゃらりと音を立てた。
「ちょっとそのカバン貸して」
恭子は澪の返事も待たずにカバンを引き寄せた。そして中のものを丁寧に机の上に並べていく。
「発信機なんか入ってるわけないでしょ。D-6を探した時に逆さにしたじゃない」
澪はそう笑ったが、自分に言い聞かせているようだった。恭子は鍵に目を決けると、ゆっくりと触り始める。鍵にかすかな違和を覚えた。
「何なの?」
澪は駆け寄ると口元を歪めながら言った。しかし恭子は答えず澪の唇に手を当てる。ゆっくりと近づく足音を聞いて、恭子は台所からナイフを取り出した。
やがて部屋の前で足音は止まり、チャイムが鳴る。恭子をナイフをドアに向けると、澪はインターホンを取り上げた。泣きそうな声で言う。
「はい」
「宅配便です。印鑑お願いします」
カメラに男が映ったが、確かに宅配便の制服を着ている。澪の瞳に光が宿った。澪はよろけながらもすぐに開けると、男はずいと踏み込んでドアを閉める。
脇に小包を置くと、澪に低い声で囁いた。祐介の声だった。
「久し振りだね。気が付かなくてよかった」
恭子がナイフを手に間合いを詰める。祐介はそれを見て、のんびりとこう言った。
「ねぇ、この箱の中身は何だと思う?」
小包を澪の耳に押し当てると、チクタクという音が聞こえてくる。澪の顔から血の気が引いて、祐介を睨んだ。
「爆弾!?」
「さぁてね」
「狂ってる」
澪はそう言ったが、祐介は薄く笑っただけである。恭子へ向き直ると言い放った。
「そのナイフを置いてくれない? 話し合いの邪魔だから」
恭子は渋顔でナイフを足元に置く。祐介は小包を大事そうに抱えて、悠然と靴を脱いだのだった。
部屋の真ん中で、澪、恭子、祐介の三人はあぐらを掻いて座っていた。澪の耳には壁掛け時計の音がいつもより大きく聞こえている。
恭子は澪のカバンを見て恭子が吐き捨てた。
「鍵とは考えたわね
それを聞いて祐介は言った。
「そう、鍵なら肌身離さず持ち歩いてるからね。GPSを取り付けるには打ってつけだった。後はこの便箋を澪さんのポストに入れて恭子さんの自宅に案内してもらえればいい」
「何が目的なの? まさか友人の無念を晴らすために真犯人を探してるっていうわけでもないんでしょ?」
恭子は祐介を睨みながら言うと、ポケットに手を突っ込んだまま言った。
「もちろん。だが澪さんに少し確認しておきたい」
澪は一瞬肩を震わせて聞いた。
「何?」
「弘を殺した夜だけど、ズボンを下ろして迫ってきた。これでいい?」
澪は戸惑いながらも頷いた。
「え、ええ……」
「もし本当にそうなら、この記事はおかしいことになる」
祐介はそう言うと、タブレットで新聞記事を映し出した。谷口弘殺害を報じたものだった。
恭子は目を通していたが、腕を組んだ。吐き捨てるように言った。
「何の変哲もない記事じゃない」
「そう、まさに何の変哲もない記事です。だからこそ変なんですよ」
恭子は眉をひそめると、煙草に火を点けた。紫煙をゆっくりと吐き出して尋ねた。
「どういうこと?
「もし本当に澪さんの言う通りならこう書かれるはずだ。男性の局部がむき出しになった状態で見つかった、とね」
澪は立ち上がって叫んだ。
「そんなはずはないわ。襲ってきて殴り殺した。この手にまだ感触が……」
「あなたは幻覚を見てたんだ。麻薬のせいでね。うずくまって吐いていたのは間違いない。公園には吐いた痕があったからね。具合悪そうに屈んでいるあなたを見て、弘は声を掛けた」
「幻覚……? あれは幻覚だったの?」
「これでご満足いただけたでしょうか? ご友人の汚名を返上できて
恭子が口を挟むと、澪は不安そうに彼女を見た。祐介は肩を竦めると、無表情で恭子へ言った。
「弘が病人を助けようが、慈善団体に寄付しようが僕には関係ない。弘の勝手な自己満足だ。僕はただUSBメモリを取り戻したいだけさ」
「USBメモリ? そんなもの落ちてなかった」
澪は濁った目でそう言うと、祐介の足元へすがりついた。
「本当になかったのよ。信じて!
祐介は澪を振り払った。ゴミでも振り払うかのような手付きである。そして恭子へ低い声で言った。
「大林梨絵に電話を入れるんだ」
恭子は胡散臭そうな目で祐介を見る。
「誰、それ?」
祐介はポケットからD-6を取り出した。恭子の前に放ると、澪はそれに素早く飛びつく。エサを前にした野良猫のような目をしていた。
頬張る澪を見ながら、祐介は顔を赤くして 言う。
「この薬の元締めさ。ワタナベ・カードローンの社長秘書でね」
「ふうん。どうしてその人と私がつながっていると解るわけ?」
恭子はそう言うと煙草の煙を胸いっぱいに吸い込んだ。
「澪さんにこう言ったよね。渡辺にでも借りれば、と」
「ええ、それがどうかした? 私たちの知り合いに渡辺さんって人がいて気前よくお金を貸してくれるの」
恭子は何食わぬ顔で言ったが、祐介は首を振った。
「いや、ワタナベ・カードローンのことだ。翌日、澪さんはワタナベ・カードローンにきてたからね」
澪の顔に赤みが差す。祐介は続けて言った。
「普通ならどこかでカネを借りてきなさい、と言えばすむ話だろう? でもあえて具体的に社名を指示した」
恭子は肩を竦めると、尋ねる。
「もし私が本当に大林って人とつながってたとして、イヤだと言ったら?」
祐介が笑って箱を指し示した。澪は恭子の足元にすがりつくと、潤んだ目で見上げる。
「お願い! 梨絵さんを呼びましょ? ね?」
祐介も静かに言った。
「そうして下さると僕も大変助かるのですが」
恭子は溜息をつくと、無言でスマホに手を伸ばす。祐介はそれを見て笑ったのだった。
アパートの下で車の停まる音がすると、足音が近づいてくる。澪の顔は土気色だったが、段々と生気を取り戻していった。
やがてチャイムが鳴ると、恭子は祐介の顔を見る。彼の顔は強ばっていた。
「きたようだね。ドアを開けて」
祐介がそう言うと、恭子はかすかに舌打ちする。それが聞こえて澪は彼の顔を盗み見た。しかし祐介の表情に変化はない。
恭子が玄関のドアを開けると、梨絵が入ってきた。祐介は満面の笑顔で彼女を出迎える。
「お待ちしておりました」
しかし誰一人として笑みを返すものはいない。澪は祐介と目が合うとすぐに俯いた。恭子は仏頂面で椅子へと座る。
祐介は梨絵に言った。
「さぁUSBメモリはどこですか? 持ってるんでしょう?」
「USBメモリ?」
梨絵が聞き返すと、澪は彼女にすがるように見た。
「助けて! この人さっきから訳の解らないことばかり言ってるの。きっと麻薬か何かで……」
それを聞いて祐介は笑った。
「なら警察でも呼びます? 別にいいんですよ。ただあなたが少し困ったことになりますけどね」
「私、捕まってもいい! だから警察呼んで。お願い!」
しかし誰一人としてスマホを手にしなかった。澪はスマホを取り出して震える手で電話を掛けようとする。しかし、梨絵が飛び掛かった。二人は床を転がり、澪のスマホが手から離れる。梨絵はスマホを素早くポケットにしまった。
恭子は黙って煙草に火を点けている。肩で息をしている梨絵に、祐介は言った。
「やっぱり呼べませんよね」
「だから何のこと? USBメモリって」
梨絵が尋ねると祐介は言った。
「緑のペンキで汚れたUSBメモリですよ。警察からあなたの写真を見せられたとき、写り込んでいました」
梨絵は眉を上げると、ポケットに手を突っ込んだ。そして祐介に放る。犬にエサでも与えるような仕草だった。
「弘と最後にあった時、指にペンキが付いてたんですよ。そして彼のアパートの手すりにちょうど、はげたところがありました。親指くらいの大きさで」
梨絵は溜息混じりに言う。
「つまりあの男はペンキ塗り立ての手すりを触った。で、その後にこれを触った。そして私がそのUSBメモリを持ってる。だから彼が死んだ後、奪ったんだ、というわけね」
それを聞いて祐介は頷いた。
「ええ」
「何なの? そ、それは」
澪が尋ねると、梨絵は笑んで答える。
「余計な詮索はしないほうが幸せよ」
祐介は梨絵に向き直ると、言った。
「警察に密告状を書いたのもあなたですね」
「どうしてそんなことが言えるのかしら?」
梨絵が挑むように尋ねると、澪と恭子は驚いたように顔を見合わせる。祐介は一瞥したが、二人に構わず答えた。
「簡単な消去法ですよ。まず僕が会社へハッキングしていると知ってる人物、この時点で会社の人間だということになります。次に警察へ正式に言うことができない人物。この時点でかなり絞られてきます。三番目は告発して得をする人物」
梨絵は無言で腕を組んでいる。祐介は詰め寄ると、梨絵の耳元で囁いた。
「そこで相談なんですが、一緒に潰しません? 僕の目的もまさにそこなんですよ。あの人への復讐」
「復讐? なんのこと?」
「この期に及んで白を切るつもりですか。まぁいいでしょう」
彼女は肩を竦めた。
「復讐だか何だか知らないけどどうぞご勝手に。私まで巻き込まないでちょうだい。これはお守りだったの」
それを聞いて、澪は梨絵に目を向けた。目は生気がない。祐介は肩を竦めると、USBメモリをポケットにしまった。
「弘にも同じことを言われました。まぁ、このUSBメモリで精々、頑張りますよ」
祐介はそう言うと、そっと小包を置いた。そして立ち上がると玄関に向かう。三人には一瞥すら投げずに出ていったのである。
扉が閉まると、澪は震えながら小包を見た。恭子が小包を開くと澪は目をつむる。しかし爆発はもちろん、大きな音も聞こえない。ただ一言だけ「ドン!」と書かれた紙と目覚まし時計が入っていだけである。
澪はそれを見ていつまでも甲高く笑い続けている。狂ったような、異常な笑い声だった。