格子状の窓から外が見える。
空は青々としており、白い入道雲が山の向こうにそびえ立っている。
今外に出たら、さぞかし気持ちがいいことだろう。

大部屋の入り口から見える廊下を、看護師たちが早足で行き来している。
時折大きな奇声が聞こえ、遠くからは扉をばんばんと叩く音が微かに聞こえる。
いつものことだが、うるさくてたまらない。


「なあ、腹が減って仕方がないんだよ。少し分けてくれよ」


相変わらず、隣の男がしつこくてたまらない。
毎日毎日、執拗に食べ物をせがんでくる。


「ほらよ」

「お、わりぃな」


あまりにもしつこいので、ビスケットの小袋を1つ渡してやった。
物の貸し借りや受け渡しは禁止されているが、これで静かになるならくれてやったほうがいい。


「なあ、それ俺にくれよ。腹が減って仕方がないんだよ」


そいつはむさぼるようにビスケットを食い終わると、別の奴にも声をかけに行った。
その光景を見ていると、そいつがちらりと俺に目を向けた。
何を考えているのか分からない、無機質な視線が気持ち悪い。

日野崎わたる

……


俺はベッドの中で目を醒まし、呆然と天井を見上げていた。
どうやら、夢を見ていたようだ。
その中で俺は、どこかの病院に入院しているらしい。
恐らく、精神科病棟だろう。
俺の母親は精神科の看護師で、時折、愚痴のように病棟での話を聞かされていた。
その話の内容と、一致する部分が多々あったのだ。

日野崎わたる

マジかよ。勘弁してくれよ……


まるで現実のことのように、最後に見た男の顔をはっきりと覚えている。
ベッドから起き上がり、俺は両手で顔を覆った。

夢の内容と、坪倉の家で見た日記の内容が被っている。
正直、かなり怖い。


「これ読むと、日記の内容と同じ夢を見ることがあるみたいなの」


そんなことを言っていた坪倉を思い出す。
正直、ひっぱたいてやりたい気分だ。

日野崎わたる

あー、もう、分かったよ! 俺の負けだよ!


俺はタンスから着替えを取り出し、身支度を整え始めた。

日野崎わたる

おっす

坪倉みさき

おっすおっす


玄関から出てきた坪倉に挨拶すると、坪倉も俺の真似をして返事を返す。

恐ろしくフランクな対応だ。
この2日で、あいつの心境にどんな変化があったというのだろうか。

坪倉みさき

ごはん、できてるよ。あがって

日野崎わたる

おう

日野崎わたる

おお


居間に入ると、ちゃぶ台の上に朝食が用意されていた。

ししゃも、厚焼きたまご、かぼちゃの煮物、ほうれん草の胡麻和え、たくあん、ごはん、味噌汁。

相変わらず年寄りが食べるようなメニューだが、昨日に比べてかなり豪華だ。
隣に立っている坪倉を見ると、目が合った。

坪倉みさき

朝から頑張って作りました

頑張ってくれたらしい。

お互い定位置に座ると、坪倉がお茶を淹れてくれた。
不自然なまで至れり尽くせりのはずなのだが、何故か違和感が感じられない。
当然のように動いている、坪倉の雰囲気のせいだろうか。

日野崎わたる

マヨネーズある?

坪倉みさき

あるけど、何にかけるの?

日野崎わたる

ししゃもに決まってるだろ

坪倉みさき

えー……

日野崎わたる

ばか、めちゃくちゃ美味いんだぞ。坪倉もやってみろよ

坪倉みさき

私はそのままがいいな……


坪倉が持ってきてくれたマヨネーズをししゃもにかけ、俺は手を合わせた。

日野崎わたる

いただきます

坪倉みさき

いただきます


さっそくししゃもを取り、口に運ぶ。

美味い。
ほどよく焼けてサクサクした頭。
しっかりと火が通り、絶妙な歯ごたえのぷりっぷりの卵。
それらの美味さを極限まで引き立てるマヨネーズ。
今この瞬間、俺の口の中に桃源郷が出現した。

日野崎わたる

美味い

坪倉みさき

そう。よかった


嬉しそうにしている坪倉に見つめられながら、もりもりと朝食を頬張る。
食事を続けながら、俺は坪倉に昨晩の出来事を伝えることにした。

日野崎わたる

昨日さ、夢を見たんだ

坪倉みさき

日記と同じ内容の夢?

日野崎わたる

そうそう。バッチリ見た。正直、かなりびびってる

坪倉みさき

だから、『泊まっていく?』って聞いたのに

日野崎わたる

だってお前、あの流れで『泊めて下さい』とか言えるわけないだろ。あそこで折れたら、いくらなんでもヘタレすぎるわ


俺がそう言うと、坪倉は不思議そうに小首を傾げた。

坪倉みさき

でも、今は折れてるよね?

日野崎わたる

おう、折れてるぞ。もう意地とか見栄とか張ってどうこうなるレベルじゃない

日野崎わたる

次に日記と同じ内容の夢を見たら、恐怖で漏らす自信がある


俺は海で亡霊(?)に遭遇してからというもの、こういった危険に対してかなり慎重になっていた。

他のやつが聞いたらヘタレと罵るかもしれない。
だが、実際に恐怖のどん底を体験した身からすれば、ヘタレのレッテルなどささいなものだ。

あまりにも日記を気にしすぎて似たような夢を見ただけという可能性もあるが、それにしてはリアリティがありすぎた。

日野崎わたる

だってさ、もし日記どおりの夢を今日も見るとしたら、次は夢の中で殴られるんだぞ?

日野崎わたる

後のほうには『縛られた』とか『注射打たれた』とか、挙句の果てには『夜の内にぶっ殺してやった』とか書いてあったし、絶対にそんな夢見たくないわ

坪倉みさき

あー……


何故か坪倉は気まずそうな顔をすると、俺から目をそらした。

日野崎わたる

そんなわけで、早いとこ何とかしてくれ。日記読んだら本当に同じ夢を見るって分かったんだから、もういいだろ

日野崎わたる

ばっちり本物の『いわく付き品』だよ。これは

坪倉みさき

うん、そのことなんだけど……


ちらちらと俺を見ながら、歯切れ悪く言う坪倉。

とてつもなく嫌な予感がしてきた。

坪倉みさき

どうやったらその夢を中断できるのか、全然分からないんだよね

日野崎わたる

ぶち殺すぞ

坪倉みさき

ごめんなさい!?


怒りのあまりに笑顔になっている俺を見て、坪倉は震え上がっている。
どうやら、今日の朝食が豪華な理由はコレのようだ。

日野崎わたる

こう、除霊っていうのか? そういうのすればなんとかなるんじゃないのか?

坪倉みさき

私、除霊なんてできないよ

日野崎わたる

……は?


坪倉の衝撃的な発言に、俺は唖然としてしまった。

日野崎わたる

え、だって、『いわく付き品』ばかり鑑定してるんだろ? そんなんじゃ危なくて仕方がないじゃないか

坪倉みさき

私には何か強力な加護がついてるらしくて、ちょっとやそっとのことなら跳ね除けるらしいの。だから大丈夫

日野崎わたる

らしいのって、自分で何がついてるのか知らないのか?

坪倉みさき

ぼんやりとしか覚えてないんだけど、私、昔神様に触ってもらったことがあるみたいなの

坪倉みさき

そのおかげで、『神様のお手つき』みたいな感じになってるんだって。小さい頃におばあちゃんがそう言ってた

日野崎わたる

お手つきねぇ……そんなことあるのか

坪倉みさき

その時のこともなんとなく覚えてるし、あると思うよ

日野崎わたる

でも、除霊もなにもできないんじゃ、どうしようもないじゃないか。この状況どうするんだよ……


俺がそう言うと、坪倉はおずおずと口を開いた。

坪倉みさき

除霊とかできなくてもやれることはあるから、今夜は私が傍にいるよ


坪倉は俺をじっと見つめた。

坪倉みさき

……だから、泊まっていきなよ

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