風呂場で引き上げられた日からそうなのだが、坪倉はやたらと俺を家に泊めたがる。
これはそういうことなのだろうかと、坪倉の顔をまじまじと見つめた。


いつもどおりの坪倉だ。
特に変わった様子は見られないが、これはひょっとするとひょっとするかもしれない。

坪倉みさき

晩ごはん、がんばるよ


頑張ってくれるらしい。

日野崎わたる

……じゃあ、今夜は泊めてもらおうかな

坪倉みさき

やった


俺が答えると、坪倉はそんな言葉を漏らした。
もはや、俺のテンションはうなぎのぼりだ。
日記の何かにとり憑かれているとか、坪倉にハメられたとか、そんなことは思考の彼方へ消し飛んだ。

父さん、母さん、今夜俺、大人になります。

日野崎わたる

ごはん食べたら、何かすることあるのか?


ピンクな考えを爽やかな笑顔の下に隠し、俺は坪倉に聞いた。

坪倉だって年頃の女の子だ。
鼻の下が伸びきった顔を見せては、今夜のイベントに差し支えるかもしれない。

坪倉みさき

家の裏に蔵があるんだけど、その中も預かり物でいっぱいだから整理をしたいの。危ないものは私が運ぶから、手伝ってくれないかな

日野崎わたる

よしきた。俺に任せとけ


俺が頼もしい返事をすると、坪倉は嬉しそうに微笑んだ。


朝食を済まし、坪倉に連れられて家の裏手に周る。
壁を漆喰で固められた大きな蔵が、でんとそびえ立っていた。

坪倉みさき

この中なんだけど、薄暗いから気をつけてね


坪倉は昔ながらの錠前を、これまた古びた鍵で開ける。
軋んだ音を立てて蔵の扉が開き、埃っぽい香りが中から漂ってきた。

日野崎わたる

うお、すげえ


暗い室内には、天井に届く高さにまで棚が設置されていた。
天井を走るように設置された棚には、大量の箱が置かれている。

坪倉みさき

明かりつけるね


坪倉が入り口のスイッチを押し込むと、オレンジ色の光が1つ灯った。
床や棚には埃が薄っすらと積もっている。

日野崎わたる

だいぶ埃っぽいな……どれを運び出すんだ?

坪倉みさき

預かりっぱなしで日数が経っちゃってるものがたくさんあるから、古いものから順番にかな


言いながら、坪倉は奥へ移動していく。
俺もあたりをきょろきょろしながら、後を追った。

坪倉みさき

この棚の中のものはたぶん大丈夫だから、全部家に運んじゃって。割れ物もあったりするから、気をつけてね

日野崎わたる

おう!


俺は張り切って返事をすると、大きな戸棚を開けて慎重に中のものを取り出した。

手紙、本、巻物、小箱。
色々なものが押し込められているが、そのすべてに預かった日付が書かれた紙が添えられている。

何かの印なのか、赤い紙が貼られているものもたくさんあった。

日野崎わたる

これ、40年前の日付だぞ。こんなに放置してて大丈夫なのか?

坪倉みさき

すごく古い日付のは、相手と連絡が取れなくて放置してるものが多いかな。おばあちゃんが昔処理したものも混ざってると思うけど、メモも何もないからもう一度見ないといけないの


どうやら、坪倉の祖母も鑑定の仕事をやっていたようだ。
坪倉はその後釜ということなのだろう。

そうして、俺は坪倉の指示に従って荷物運びに精を出した。
昼食は坪倉がおにぎりを握ってくれた。

日野崎わたる

ずいぶん運んだけど、これどうするんだ?


その後、荷物運にある程度見切りをつけてから掃除も行った。
とても全て掃除しきれなかったが、ほどほどに片付けると俺たちは家に引き上げた。

床には、運び込まれたたくさんの品物が置かれている。
そのほとんどに、『赤い紙』が張られていた。
『危ない』ということで坪倉が運んだものは、部屋に隅に置かれている。

坪倉みさき

赤い紙のものは先に鑑定しちゃうから、1つずつ私のところに持ってきて

日野崎わたる

それは構わないけど、先に部屋に置いてあった物は鑑定しなくていいのか?

坪倉みさき

そっちは急ぎじゃないから、また後でいいよ

日野崎わたる

そっか。運んできたやつに付いてる、この赤い紙ってどういう意味なんだ?

坪倉みさき

こっちがお願いして買い取ったり、相手から処理をお願いされてお金を受け取っちゃってるものの目印なの。経過は相手に連絡することになってる

日野崎わたる

なるほど、そういうことか


とりあえず手近にあった手紙を手に取り、それを坪倉に渡す。
5年前の日付のものだ。

坪倉はそれを受け取ると、封を解いた。
座っている坪倉の膝に、ぱさりと何かが落ちる。

髪の毛の束のようだ。

坪倉はそれをつまみ、手紙と一緒にまじまじとみつめた。

坪倉みさき

ただの髪の毛です

日野崎わたる

ただのって、なにも憑いてないわけ?

坪倉みさき

うん。ただの髪の毛。呪いがどうのって手紙に書いてあるけど、ただの思い込みだね

日野崎わたる

それどうするんだ?

坪倉みさき

ゴミ箱に捨てちゃっていいよ。きちんと処理しましたって後で連絡しておくから

日野崎わたる

えらく簡単なんだな……

坪倉みさき

たいていこんなものだよ


その後も、坪倉に品物を渡しては、そのほとんどがゴミ箱行きになった。

数個だけ、『何か憑いてるけど放置しても問題ないレベル』のものがあった。
それらは坪倉の叔父に渡すらしい。

日野崎わたる

叔父さんはそれを受け取ってどうするんだ?

坪倉みさき

いわくつき専門の市場を開いて、そこで売るの

日野崎わたる

ええ……


そんなものを売って大丈夫なんだろうか。
いくらなんでも趣味が悪すぎるように思える。

坪倉みさき

たまに違った意味のいわくつきを持ち込まれることもあるみたいだけど、そっちはお断りしてるみたい

日野崎わたる

違った意味?

坪倉みさき

いわゆる盗品ってやつ。一般的に古物商の言う『いわくつき』って、そういうものを指すから

日野崎わたる

そうだったのか


そうこうしているうちに、夕方になった。
今日の鑑定作業はこれで切り上げることにして、坪倉は夕食の支度をするとのことだ。

日野崎わたる

ちょっと家に電話するわ

坪倉みさき

うちの電話使っていいよ。廊下の奥にあるから

日野崎わたる

ん……そっか、じゃあ使わせてもらおうかな


ポケットのスマホを取り出そうとした手を止め、廊下へと足を向ける。
特に意味はなかったが、家の電話と聞いて興味が湧いた。


廊下を進むと、昔ながらの黒電話が置いてあった。
今では骨董品のような扱いだが、古い造りのこの家には合っている気がする。
想像していたとおりの物を見つけて、少し嬉しくなった。

日野崎わたる

こんなの初めて触るな……


少しどきどきしながら、ダイヤルに指をかける。

指の動きに合わせてダイヤルがジー、ジー、という音を立て、チキチキと鳴りながら元の位置に戻る。
0が一番戻り時間が長く、1が一番短い。

ふと、警察に通報する番号が110番なのは、最後の番号を戻り時間が一番長い0として選んで決められたという噂話を思い出した。

0の長い戻り時間を待つ間に、通報者の精神を落ち着かせることが目的という話だったが、それが本当なのか嘘なのかは知らない。


「もしもし、日野崎です」


家の番号を回してしばらく待つと、がちゃりと音がして母親が出た。

日野崎わたる

もしもし、俺だけど


「わたる? どうしたの?」

日野崎わたる

うん、今日友達の家に泊まるから、夕飯いらない。明日には帰るから


「そう。佐々岡君のとこ?」

日野崎わたる

うん、明日の夜には帰るよ


「そっか。お母さん、明日は夜勤だから、夕飯は適当に済ませてくれる? お金は置いておくから、加奈子と相談して」

日野崎わたる

あいよ


電話を切り、俺は「よし」と拳を握り締めた。






日野崎わたる

なあ

坪倉みさき

何?

日野崎わたる

坪倉って、魚と野菜が好きなのか?


目の前に用意された夕食を見て俺が言うと、坪倉はこくこくと頷いた。

スズキの塩焼き、大根といんげん豆の煮物、おから、ナス田楽、漬物、ごはん、ワカメの味噌汁、カットグレープフルーツ。

とても身体に良さそうなメニューだ。
だが、育ち盛りの男としては、肉料理が恋しい。

坪倉みさき

煮物とおからは、おかわりあるよ

日野崎わたる

そ、そうか


ご馳走になっている身分で肉が食いたいなどと言うわけにもいかず、俺は手を合わせて「いただきます」と言うと箸を付けた。

坪倉みさき

ごはん食べたら、すぐにお風呂入ってお布団にいこう

日野崎わたる

そうだな!

坪倉みさき

……?


勇んで返事をする俺に、坪倉は首をかしげている。
俺は先ほどまでの肉食願望など忘れたかのように、坪倉の手料理を頬張った。







日野崎わたる

……


1時間後。
風呂でシャワーを浴びた俺は、しょぼくれた顔で布団に横になっていた。

枕元には坪倉が正座しており、しょんぼりしている俺を不思議そうに見下ろしている。

坪倉みさき

どうしたの?

日野崎わたる

どうして俺だけ寝てるんだ?

坪倉みさき

どうしてって……私まで寝ちゃったら、誰が日野崎君を助けるの?


もっともな意見に、俺は押し黙った。
現実など、しょせんはこんなものだ。

俺は道端に取り残されたチワワのような視線を坪倉に向けた。

坪倉みさき

大丈夫だよ、何かあっても絶対になんとかするから

日野崎わたる

おう


俺が小声で返事を返すと、坪倉は俺の額に手を置いた。

日野崎わたる

ん?

坪倉みさき

……おやすみなさい


その言葉と同時に、俺の視界が暗転した。

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