第4話 過保護な上司の告白表現

常盤主任

相手はどんな男だ

なつめ

ふ、フツーの人ですよ。うちによく来てくれる常連さんです

常盤主任

歳は?職業は?

なつめ

20代半ばだと思います、仕事は作曲家だって……って、どうしてそんな事聞くんですか?

常盤主任

いいから答えろ。で、お前はその男にどんな感情を持ってるんだ?

なつめ

感情って、別にどうも

常盤主任

じゃあデートの誘いには乗らないんだな?

なつめ

それは、その……


な、なんなのこれ!?過保護全開もいいところ、これじゃあまるで年頃の娘とお父さんの会話じゃない!

厳しい表情で私を見据える主任からは、『俺の許可も無くデートなんか許さんぞ』ってオーラがアリアリと出ている。

いくら常盤主任が過保護だとは言え、部下のプライベートにここまで踏み込むのってどうなの?それって絶対上司の枠を越えてる。

なつめ

べ、別にプライベートな話ですし、主任には関係ないと思いますけど


過保護を超えて過干渉とも言える主任の質問攻めに、私はちょっと反抗心を抱いてしまった。見据えられていた視線を逸らし、そっぽを向いて答える。

その言葉に、主任のオーラが一段と不機嫌になったのが分かった。

常盤主任

関係ないだと?

なつめ

そうです、だって仕事じゃないんですから。主任にそこまで心配して頂かなくても結構です


そうだそうだ。私だって子供じゃないんだから、デートのひとつやふたつで心配される筋合いは無い。

それにこれはいい機会かもしれない。八木さんとデートしてきちんと恋愛が出来れば、今より落ち着いた大人の女になれる気がする。

そうすればきっと、おっちょこちょいだって返上できるし、常盤主任の手を焼かせる事だってなくなる。そしたらもう、こんな子ども扱いだってされなくなる筈だ。

なつめ

私だって一人前の大人の女なんです。見てて下さい、心配されなくたってデートくらいチョチョイのチョイってこなして来ますから!

常盤主任

お前は何を言ってるんだ


自信を持って言ったのにすげなく返されて、私の心がますます反抗心を抱く。

主任は私を過小評価してると思う!絶対、ぜーったいデートは成功させてみせる!そんで、『狭山ももう一人前だな』って、主任に思わせてみせるんだから!

なつめ

とにかく放っておいて下さい。心配はご無用です!


そう言ってクルリと背を向けシューズの整頓作業に戻った。背中に主任の刺すような厳しい視線を感じたけれど、知らんぷりを決め込む。



やがて主任が去ったあと、三田先輩が可笑しそうに肩を竦めながら私に話しかけてきた。

三田先輩

おっかしいんだあ、なつめちゃんも主任も。ムキになっちゃって、まるで過保護なお父さんと反抗期の娘みたい


ぐさっ。

三田先輩の的確な例えが胸を刺す。やっぱり誰から見ても私と主任の関係ってそう見えるんだ。自分でも分かってるつもりだったけど、改めて知るとなんだか結構傷付く。

主任にとってやっぱり私はどう転んだって手の掛かる子供扱いなんだ。

なつめ

もう!私は主任の子供じゃありません!心配してもらわなくったって、一人前の大人としてちゃんとデートしてきてます!


思わずシューズをギューっと握りしめた私を、三田先輩は

三田先輩

はいはい

なんて言いながら面白そうに見ている。

そうして私は成り行き上、八木さんとデートする事を固く心に誓ってしまったのであった。

スマホ

ありがとう!すごく嬉しいよ!なつめちゃんとのデート楽しみだな~


帰宅後。デート承諾の連絡をすると、八木さんは電話の向こうでそれはそれは嬉しそうに声を弾ませた。

その喜びように、なんだか照れくさいような、それでいて私の勝手な都合で利用しているような申し訳ない気持ちと、ふたつの想いで胸が詰まる。


とにかく。三田先輩の言う通りあまり仰々しく考えないようにしよう。デートして気が合えば、そのまま付き合う事だって有り得るかもしれない。そうすれば別に八木さんに申し訳なく思う気持ちは必要ないのだ。

スマホ

じゃあ来週の水曜日に駅前でね。なつめちゃんの私服姿はじめてだから楽しみだなあ


自営業の八木さんは私の休みに合わせてデートの日取りを決めてくれた。美味しいディナーに連れて行ってくれた後、オススメのナイトアクアリウムに連れて行ってくれるとか。

デートの約束ってこういうものなのかと他人事のように感心しながら電話を切った私は、改めてそのイベントにそれなりの準備がつきまとう事に気が付いた。

なつめ

……そっか。オシャレしていかなくちゃいけないよね。デートだもん


けれど、はてさて。デート服ってどんなもんだろう?

活発な上よく転ぶ私、私服は往々にして動きやすいパンツルックがほとんどだ。もちろん足元はスニーカー。せいぜいペタンコのパンプス。

でもこれってきっと、男の人から見たらあんまり可愛い格好じゃないよね。オシャレは嫌いじゃないけど、男の人が喜ぶ服となると頭を悩ませてしまう。

こんな時こそ三田先輩だと思い、私は棚にあったファッション誌を数冊、明日仕事に持っていく鞄に突っ込んだ。





翌日の昼休み。運良く三田先輩と一緒に休憩が取れた私は、食事を終えたあと社食のテーブルにファッション誌を広げて早速相談を持ちかけた。

三田先輩

なつめちゃんのイメージなら暖色系かなー。ベタだけどピンクはやっぱり男の人喜ぶよ。でもフリルやレースは人によっては引かれるかな。足元は無理してハイヒールにしなくていいのよ、華奢なシルエットのパンプスにすれば


さすが三田先輩。女子力が私とは天と地ほどの差がある。“男ウケ”と云う私の中に存在しなかった視点をこんこんと教授してくれる先輩を思わず師匠と仰ぎたくなってしまう。

こくこくと必死に頷きながら大事な事を一字一句忘れまいとメモを取っていると、端に除けて置いたコップにコツンと肘をぶつけてしまった。

あっ、いけない!零れる!

そう思って咄嗟に伸ばした手は……大きな手に重ねられながら、間一髪コップを支えた。

なつめ

……常盤主任

常盤主任

まったく。何をやってるんだ。書き物をするならテーブルを片付けたらどうだ


咄嗟にコップを押さえようと後ろから手を伸ばしてきたのは、偶然通りかかった常盤主任だった。

相変わらずなんというタイミング。そしておせっかい。今のは主任の助けが無くても絶対セーフだったと思う。

それでも、一応助けてもらった事に礼を言う。ちょっと唇を尖らせながら。

なつめ

すみません。どうもありがとうございました

常盤主任

……なんだ、その不満そうな顔は

なつめ

別に


言いながら、私は手元のメモ帳を閉じ、広げた雑誌を手早く片付けた。なんとなく、デートコーデを考えていたなんて主任には知られたくない。

知られたらきっと『お前はよく転ぶからスカートはやめとくんだな』だとか『足元は履き慣れた靴で行け』とか、余計な干渉をされるに違いない。そんなのゴメンだ。

けれど、そんな私の気も知らず

三田先輩

うふふ、なつめちゃんってば来週のデート服考えてたんですよ。可愛いですよね


などと、三田先輩は楽しそうに口を滑らせる。なんてこと。

それを聞いて、主任は一瞬驚いた顔をしたけれど、すぐに厳しい表情を浮かべると

常盤主任

……そうか


とだけ言い残して、そのまま立ち去ってしまった。

なんとなく拍子抜けしてしまいポカンとすると、三田先輩も同じように感じたみたいで

三田先輩

なんか元気ないわね、常盤主任


と不思議そうな顔をしていた。



 


その日の終業後。事務所に退勤のタイムカードを押しに行った私を

常盤主任

狭山、ちょっといいか

と常盤主任が呼び止めた。

何か気付かないうちにミスをしたかな?と内心ヒヤヒヤしていると、主任は人気のない給湯室まで私を連れ出した。わざわざ二人っきりになるなんて、よっぽど酷いお説教なんだろうか。心当たりを探りながらビクビクと青ざめる。

けれど、主任は私の方に身体を向き直すと、口元に手を当ててモゴモゴと言い辛そうに話し出した。

常盤主任

狭山。この間はその……すまなかった

なつめ

え?なんの事です?


予想外の謝罪。けれど、こちらには謝られる要素がなにひとつ浮かばない。この間って何の事だろう?

意味が分からず思わず聞き返してしまうと、主任はますます言い難そうに今度は視線を逸らしながら言葉を続けた。

常盤主任

だから……先週の、エレベーターでの事だ


“エレベーターでの事”。その語句に私の心臓が口から飛び出すかと思うほど大きく跳ねた。

途端に頭に過るあの時のこと。主任に抱きしめられた感触とか、抱きしめた感触とか、まるでキスみたいに顔が近付いた事とか。色々鮮明に思い出してしまって顔が熱くなる。

べ、別に意識する事じゃないのに。あれは緊急事態で、主任は私を落ち着かせようと抱きしめてくれただけで、私も恐かったから主任にしがみついただけで。それに、あれは絶対キスの前兆なんかじゃなかったし。

なつめ

え、エレベーターがどうかしたんですか?


動揺してる事を悟られないように努めて冷静に、なるべく事務的に言葉を返す。

そんな私を、主任は背けた顔のままチラリと見やると、ますます言い難そうに顔をしかめた。

常盤主任

……怒っているのかと思ってな。あれ以来、お前の態度が冷たくなった気がして


えええーー!!?

そ、そんな事を気にしてたなんて!意外すぎる主任の台詞に、私は目を真ん丸くして驚いてしまった。

だって。え?なんで?そんな事を気にしてるって事は、その、主任は悪い事をしたとか思ってる訳?しかも……私の態度を気にしてたの?

なつめ

な、な、なんで。別に謝るような事はしてないじゃないですか


そう、あれは緊急事態だったんだから。何も主任が謝る事はない。

主任は上司だから私を助けてくれただけで。きっと目のゴミを取ってくれようとしたから顔を近づけただけで。

分かってる。女子力が低くて、平凡な顔をしてて、ドジで手ばっかり焼かせて子ども扱いの私なんかに、主任が他意を持って触れてきた訳じゃないって。

だから私は別に怒ってなんかいない。怒ってはいないけれど……放っておいて欲しいとは前より思うようになった。

世話を焼かれれば焼かれるほど、自分が惨めで。エレベーターでの事を勘違いしそうになった自分が、子ども扱いしかされてないのに自惚れそうになった自分が、惨めで。

なつめ

わ、分かってますから。大丈夫です、私なにも勘違いとかしてないし。主任が過保護なのは分かってますから、エレベーターでの事もなんとも思ってません


自分で言っててなんだか涙が出そうになる。もしかして主任は私が変に意識してると思って『勘違いさせてすまない』って意味で謝罪したんだろうか。だとしたら尚更に惨めだ。

今度は私の方が耐え切れず目を逸らす。出来ればもうここから立ち去りたい。けれど、逆に常盤主任はこちらに顔を向きなおしまっすぐに見つめてきた。

常盤主任

なんともって……狭山、お前


主任の顔に浮かぶのは明らかな困惑の色。そしてしばらく額に手を当てて考えるようなしぐさをした後、ハーっと溜息を吐き出した。

常盤主任

鈍感なのか、計算なのか……前者だな

なつめ

え??


主任はボソリと何かを呟いたけれど私の耳には届かず、再び私に視線を戻すと射抜くようにじっと見つめる。

なんだかそれが居心地悪くて、ついに私は

なつめ

あの、そろそろ帰ります

とそこから逃げ出す事を決意した。その瞬間。

ドン!

私が逃げ出そうとした進行方向に、主任が壁に強く手を付けて塞いだ。驚いて身を翻せば逆方向にもドン!

なんと私は壁と主任の腕の間にすっぽりと閉じ込められてしまった。

もしや、これはいわゆる壁ドン……?

なつめ

な、な、何するんですか?

常盤主任

逃げるな


逃げるなって言われても!こんな乱暴な捕まえ方しなくたっていいじゃない!こんな、顔も身体も近すぎる捕まえ方、ルール違反だ。

目の前には常盤主任の整った顔。触れ合ってしまいそうなその距離に、胸のドキドキが治まらない。

なつめ

近い!近すぎる!離れてください!

常盤主任

ダメだ


恥ずかしさのあまり顔を俯かせ身をギュッと縮こめて訴えるも、主任はトーンを落とした声でそれを拒否する。

常盤主任

顔を上げろ狭山


吐息のような低い声でそう命令して、主任は片方の手で私の顔に触れた。少しゴツゴツした長い指が顎をなぞり、そのままクイッと強引に上を向かせる。

恐る恐る目を開いてみれば、私の瞳を覗き込む常盤主任の眼差しがすぐそこに。

これは……まるで、あのエレベーターの日の再来。

私の胸が急加速を始め、息も出来ないぐらいに高鳴る。自分の顔が熱く赤く染まっていくのが分かる。どうしよう、恥ずかしい。ドキドキして苦しい。でも――目が逸らせない。

なんでだろう、逃げ出したい気持ちを押さえ込むように心の中では何かが甘く疼いてる。このまま身をゆだねてしまいたい、そんな何処か幸福な気持ち。こんな時にそんな事思うなんて、私どうかしちゃったんだろうか。

けれど。

常盤主任

男にここまでさせておいて、勘違いだの何とも思ってないだの……どこまで世話を焼かせるんだお前は


私の瞳を覗き込みながら言った主任の言葉に、甘い夢がパチンと頭の中で弾けた気がした。

ほとんど隙間の無い身体の間に無理矢理手を入れ、主任の身体をグイっと押し離す。

なつめ

わ、悪かったですね!世話ばっかり焼かせて!どうせ私は子供みたいに手のかかる女ですよ!

常盤主任

狭山?

なつめ

そんなに世話が焼けるならどうぞ放っといて下さい!私は別に主任に助けてもらわなくったって平気ですから


突然怒り出した私に、主任がパチパチと目をしばたかせている。

そんな彼の身体をもう1度グイッと強く押し退けて、私は給湯室の出口へと向かった。

常盤主任

狭山!


後ろから腕を引かれ呼び止められたけれど、振り向かない。振り向けない、なんだか涙が出そうで。

常盤主任

なんで分からないんだお前は!俺がお前を放っとける訳ないだろう!

なつめ

ほっといてってば!私は大人なんだから、自分で自分のことぐらい出来ます!仕事だってデートだって!

常盤主任

デートなんか行くな!他の男になんかお前を――


そこまで主任が口にしたところで、私は思いっきり腕を振りほどいて給湯室から駆け出した。後ろから

常盤主任

狭山!

と呼ぶ声が聞こえたけれど、私は振り返らない。

そのまま廊下を走り、階段を駆け下りる。ロッカールームで乱暴に鞄と着替えを掴むと、制服の上にスプリングコートを羽織っただけで、従業員用玄関から飛び出した。

 





遊歩道を走りながら、滲んできた涙を拭う。どうしてだろう、自分でも何が悲しいのかよく分からないのに涙が零れるなんて。

ただ、私の心には『絶対デートを成功させて常盤主任に一人前だって認めてもらう』なんて馬鹿馬鹿しい決心だけが、固く固く抱かれていて。

 

なつめ

もう絶対……『世話が焼ける』なんて言わせないんだから


そんな独り言が、勝手に口から零れた。






つづく

第4話 過保護な上司の告白表現

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