『人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇である』


男は籠もった声でそう言った。

私が最も尊敬する喜劇屋の言葉です


テーブルを挟み、男と相対する女は得意気な声の男の言葉に眉根を寄せる。
其処は街に唯一あるレストラン。
深い霧の中、赤いランプが目印の、数少ない憩いの場である。
店の中には男と女、男の横に座る少女の三人。そして店主。いつもならば賑やかだ、と言ってもいい店内は、つんと静まり返っていた。

それは……あなたにとっては、私の話は笑い話に過ぎない。そう取っていいのですか?

いえいえ。滅相も御座いません。私も今日から『当事者』です。ロングショットというには少々近すぎます


両手の人差し指と親指で枠を作る男を睨んで、女は

ならば何故そんな事を?

という一言をぐっと飲み込んだ。
人を小馬鹿にしたような男の態度。しかしそれはさして重要なものではない。
女にとって重要なのは、男の『当事者』という言葉だった。

……私の『依頼』を受けて下さるのですか?

勿論ですとも。どうして私にあなたの『依頼』を断る必要がありましょうか


腕を大きく広げてのオーバーアクション。男の動きと喋りはいちいち女の癪に障った。
何故、女は苛立ちを噛み殺し、こんな男と向き合っているのか。
それは女が、別のとある女の言葉を信じての事だった。

――物好きな便利屋を知っててね。彼は『あるもの』のためなら、どんな仕事でも受けてくれるのさ。

最後に『君の仏頂面にはぴったりだ』と、気に障る台詞を残した女。
目の前の男同様苛立たしい女だったが、あながち話は嘘ではないようだった。
だが今は、『何でも知っている女』についてはどうでもいい。
しかめっ面の女は男の顔をまじまじと見つめた。

……おや? 私の顔に何かついていますか?


女は男の寒いギャグにあからさまにしらけてみせた。
顔に何かついているか。
『顔を全て隠す仮面』をつけた男は仮面の頬に手を添えた。
奇妙奇天烈。男の容姿は異様だった。
笑顔を象徴する仮面。装いも軽く、小綺麗に着飾り、荷物は小脇に抱えられる程度の小さな包みのみ。旅人とは思えない格好である。
更に奇妙な事に、男の傍らにはやはり旅には似合わない荷物がひとつ。
仏頂面で女はそれを見た。

……

あれ? 聞こえてます? おーい


突っ込み待ちの男の傍らで、静かに目の前に置かれたティーカップを見つめている一人の少女。男の連れであるらしい少女を見て、女は薄気味悪さを感じていた。
少女は表情をぴくりとも動かさない。まるで、人形であるかのように、隣に座る男と同様に仮面でも被っているかのように、無感情に座っていた。
女の意識が少女に向いている事に気付いたのか、仮面の男はおほんとひとつ咳払いし、

では

と話を切り替えた。

どうやら私のジョークがお気に召さなかったようで。滑ったジョークを繰り返すのは好みません。早速、『依頼』と『報酬』の話を致しましょう

やはりジョークのつもりだったらしい。苛立ちを堪えて、女は問う。

……やっぱり、報酬は必要なんですよね

当然です。しかし、ご心配なく。如何なる依頼であろうとも、私が要求する報酬は決まって一律です。私の仕事に対する報酬は……


仮面の男が要求する『報酬』についても、女は『何でも知っている女』から聞いていた。しかし、俄には信じがたい破格の報酬は、実際に男の口から聞くまでは信じられない。男は女の期待に応えるように、仮面の両頬に指を当てた。

あなたの『笑顔』です


『何でも知っている女』は言っていた。
臭いセリフでも何でもなく、本当にそれが彼の求める報酬だと。

私はあなたの笑顔が見たい。あなたの願いを叶えたその時、笑顔を見せて下さい。そうすると誓ってくれるのならば……私はあなたの『願い』を叶えましょう

そんな事で……本当に良いのですか?


聞き返す女に、男は頷き即答した。

ええ。何せ、私は商売人ではありません


仮面の男は胸元に手を当て、首を傾ける。
いちいち演技じみた動きに言葉、奇妙な笑顔の仮面を被った戯けた男。

私はしがない道化ですので


旅する便利屋として知られる彼は自らを『道化』と名乗った。

では、改めて聞きましょう。あなたの『願い』とは?


これは、笑顔を欲する仮面道化が繰り広げる喜劇。
女は険しい表情のまま、仮面の道化に『願い』を告げた。

……『霧の殺人鬼』を、見つけ出して欲しい

1話 霧の街


ここは『霧の街』。
年中絶えることなく霧が掛かる街。
街のシンボルである灯台が、街に至る道をも隠す霧の中に煌々と輝き、人々を導く。
人の表情すら窺えぬ霧がかるこの街で、密かに奇妙な事件が起こっていた。

街のシンボル『霧の灯台』からの『飛び降り自殺』が相次いでいる。

四ヶ月前に、霧の街に暮らす倉庫番の大男が、灯台から飛び降り死亡した。
三ヶ月前に、外からやってきた旅人が、灯台から飛び降り死亡した。
二ヶ月前に、酒に溺れた酔いどれ親父が、灯台から飛び降り死亡した。
誰かに突き落とされた形跡もない三件の飛び降りに事件性はないと判断され、全ては自殺と扱われた。
そして、自殺の名所となりつつあった霧の灯台は、先月とうとう封鎖された。
それでもまた、先月に街に暮らす青年が、灯台から飛び降り死亡した。
精霊の呪いか、はたまた死を欲するものを惹き寄せる魅力がその場所にあるのか、人々は霧の灯台を怖れた。
今では鎖で入り口が塞がれ、灯台守以外は誰も立ち入る事はできなくなっている。

それが実は『自殺』ではなかった。貴女はそう仰るのですね


道化が聞けば、霧の街の女は神妙な面持ちで頷いた。

……『霧の殺人鬼』という噂があります

『霧の殺人鬼』?


霧の街の女は語る。
数年前にひとつの噂を耳にした。
それは『霧の殺人鬼』と呼ばれる殺人鬼の噂。
まるで霧に隠れているかのように姿が見えず、霧のように消えてしまう、見る事さえかなわない、殺人鬼が居るという。人を気の向くままに殺し、霧の中に消えていく。誰も認識のできない殺人鬼を、誰かが『霧の殺人鬼』と呼んだ。

誰も認識のできない殺人鬼が、どうして噂になったのか。不思議ですね

……あなたも信じられない、と?

いいえ。信じます。不思議ではありますが、不可解ではない


意外な答えに霧の街の女が不思議そうに瞬きした。

何か心当たりが?

イエス、とも言えますし、ノー、とも言えます


道化の曖昧な返事に女は表情には出さずとも、声色に怒りを表した。

……からかっているのですか?

その答えはノーです。霧に巻くようで申し訳ありませんが、『こちら』の話です。あなたの願いを叶える為に尽力致しますのでどうかお聞き流し下さい

霧? 煙に巻く、ではなく?

ジョークですよ。霧の殺人鬼だけに

笑えませんね

これは失敬


女は額に手を当て、苛立ちを抑え込む。
いちいち癪に障る男だが、信じがたい噂を信じてはいるようだ。更には何か思い当たる節はあるようで、女に一層の期待を持たせる。

街の人間は、誰一人として『霧の殺人鬼』を信じていない。皆があれは自殺だったと思い込んでいます。だから、私は『霧の殺人鬼』を見つけ出したい。『霧の殺人鬼』が居ると証明したい


レストランの店主が目を逸らした事に女は気付いた。
ぐっと胸に渦巻くもやを抑え込み、女は続ける。

でも、私には『霧の殺人鬼』は見つけられない。だから……!

解せないですね


道化の言葉に女はびくりと震えた。
来た。
聞きたくは無かったが、きっと投げ掛けられるであろう懐疑の言葉は、戯けた道化の口からも当然の様に発せられる。

どうして、街の人間が誰一人信じられない『霧の殺人鬼』を、あなたは居ると断言できるのですか?


街の人間にも言われた事だ。
自殺した者達が殺された証拠は何一つ見つからなかった。
どうして、それら全てが事件であると言い切れるのか。
女は街の人間を説得できなかった。
それでも、女は彼らを説得する為に使った、たったひとつの根拠を告げるしかなかった。苦痛を噛み殺す様に、女は苦しそうに、言葉を絞り出した。

……先月に殺されたのは、私の恋人だったから


道化の前に乗り出した身が、僅かに椅子の背もたれへと傾いた。ティーカップを見つめていた少女が、女に視線を向けた。店主が他所を向き、厨房へと入っていった。
止まる空気。今までと一緒だ。

あの人が死ぬ訳がない。だって、彼は、今月私と……


あの人は約束してくれた。
嘘が下手で、女を喜ばせる為に隠していた計画を隠しきれなくなって、申し訳なさそうに白状した。
次の月に、君にプレゼントしたいものがある。
そしたら、その時、君に言いたい事があるんだ。
君を愛している。

思い出し、堪えていたものが溢れ出す。
それ以上の言葉は出てこなかった。
代わりに目から零れ落ちた雫は、頭からばさりと覆い被さった布に吸い取られた。

え?


女が慌てて頭に急に被さった布を手に取る。
女の頭に被さったのは、絹のハンカチだった。
ハンカチを放り投げた道化は、やれやれと呆れたような素振りを見せて、深く溜め息をつく。

『私は雨の中を歩くのが好きだ。そうすれば、誰にも泣いているのを見られずに済む』

これもまた、私の敬愛する喜劇屋の言葉です。雨の降らないこの街に、涙は少々似合わない。差し上げますよそのハンカチ


女はぽかんとしていた。
道化は笑顔の張り付いた仮面の隙間から、籠もった声を張り上げた。

信じましょう! 私はあなたを泣かせに来たのではない! あなたを笑わせに来たのです! だから、どうか泣かないで欲しい。でも、笑えとは言いません


道化が席を立つ。
そして、そっと白い手袋に覆われた、大きな手を女に差し出す。

私が『笑え』と言うのは、『霧の殺人鬼』を見つけ出した時ですから


芝居がかった臭いセリフが、仮面の道化の返事だった。
貰った絹のハンカチで、女はぐっと目元を拭う。
僅かに赤くなった目をぎゅっと細めて、女は差し出された道化の手を取った。

『霧の殺人鬼』を探し出す。
仮面のしがない道化は、その不確かな依頼を引き受けた。


一寸先は霧。
下手をすれば隣に立つ者の顔すら見えない霧が街を覆っている。

足元に気をつけて下さい


道化が後ろを歩く少女の手を引きながら、優しい声で言う。少女は無表情のままこくりと小さく頷いた。
霧の街は常に霧が掛かっている。ほんのりと足元を照らす街灯を頼りに、人々は道を歩く。白く全容の掴めない街にはぽつぽつと灯るあかりと、その中央に聳える『霧の灯台』。灯台から見下ろせる点在する無数の光は美しく、かつては『蛍火の地』と呼ばれた名物だったという。今では自殺の名所として、完全に封鎖されてしまっているが。

霧の街のシンボルと言えば『霧の灯台』。そして、名物と言えば『潤いの霧』。瓶に詰めたこの街の霧は美肌効果があるとかで、各地のセレブに大人気だとか。いくつか拵えて、懐を潤わせるのも悪くない


そのまま霧を瓶に詰めれば良いのだろうか、道化が顎に手を添えふむと考え込むと、ぐっと後ろに引っ張る力。少女に手を引かれ、道化は振り返る。
無表情で少女がじっと道化を見上げていた。

どうしました?


道化が不思議そうに問えば、少女はこの街に入ってから初めて口を開いた。

おしごと、ゆうせん


消え入りそうな微かな声。耳を寄せてようやく聞こえる程度の声だったが、道化は小さく頷いた。

ええ。勿論ですとも。仕事を片付けた後に、ゆっくり見て回りましょう。灯台から臨む蛍火も、是非見てみたい


少女の手を握る右手とは逆の、空いた左手で仮面の口元を押さえる。仮面の穴からは表情は覗けないが、遠目に見れば笑いを堪えているようにも思える所作。当然、霧の街では彼の素振りに気付ける者は少女以外にはいない。
少女は道化の素振りに興味を示した様子もなく、無表情なまま口だけを動かす。

とうだい、たちいりきんし

おお、そうでした。依頼者さんも言っていましたね


良く覚えていました、と少女の頭に道化がぽんと手を置く。頭を優しく撫でられる少女の表情は、尚も動く事はなかった。

でも、大丈夫。すぐに入れますよ


何かを見越したように、霧の街の白い空に太陽の様に浮かぶ灯台の光を道化は見上げた。立ち入り禁止となった灯台に、すぐには入れるようになる。意味深な道化の言葉にも、少女は大した興味も無い様子で、撫でる道化の手に身を委ねた。

まずは情報収集です。『霧の殺人鬼』の輪郭に、手を滑らせていきましょう


道化が少女の頭から、輪郭をなぞるように頬へと手を滑らせていく。

おや、肌つやが良くなってます?

じょせいに、さわる、いこーる、せくはら。こくそ、ちょうえき、ありすがいってた

え。訴えないですよね?

訴えないで下さいよ!? くう、情報屋め……余計な事を教えて……!


少女の頬から手を離し、道化はごほんと咳払いする。あ、誤魔化した、と少女は思った。うまく誤魔化せたかな、などと考えながら、少女の手を引き道化が再び前を向く。

まずは

まずは?


道化は再び灯台を見上げ、次に霧でもう見えない依頼者と会話した店の方へと視線を流す。見えない視界に何かが見えているかのように、道化はさも当然といった様子で言った。

彼女について

灯台傍の食料品店『氷の宿』に道化と少女は訪れた。
ずらりと並ぶ棚を眺めて歩き回り、道化はほうと感心したような声を漏らして、店主に声をかける。

これは凄い品揃えだ。肉に魚に野菜、ここまで良く揃えたものです。しかも、この棚『氷の棚』ですね。『氷の里』で作られる冷たい棚。こんな品があるとは驚きだ

よくご存知で。結構な値段でしたが、『世渡り』から仕入れましてね。冷やすと保ちが全然違う。お陰で大量に仕入れても安心です


ふむ、と氷の棚を眺めて店を練り歩く道化の後に店主がついてくる。

しかしお客様、見ない顔ですね。……いや、仮面ですかな? お客様も『渡し人』なんですか?

ええ

随分と軽装ですし、『世渡り』ではないですよね? 『風の噂』……いや、『氷の棚』なんて知ってるという事は、『観測同盟』ですかね?

あの識者様方と思われるとは光栄です。実は『組合』には属していないのです。フリーのしがない便利屋のようなものですよ


世間話に興じているようで、店主の目が口調に反して警戒をはらんでいる事に道化は気付いていた。仮面を付けた人物など、当然どの街や里、都に出向いても異質である。道化は特に気にしない。むしろ、気にしていない素振りを見せて、警戒を解かんとする。
店主の警戒は解けなかったものの、追い返されるまで嫌われてはいないらしい。店主は興味深そうに、道化の顔を覗き込んだ。

ほう。フリーとは珍しい。それに便利屋とは。もしかして、お強いので? 『旅路の盾』の護衛は?

護衛など雇う持ち合わせはありません。この世界を渡るのに困らない程度に、厄介事を力づくで解決できる程度には鍛えていますよ。一時期、『旅路の盾』ではありませんが、傭兵の真似事をやっていた時期も

へぇ、そりゃあ……意外ですなぁ


自身の経歴の一部を語ると、店主は更に道化に興味を持ったようだった。

しかし、こんな辺境の街に何のご用で?


この一瞬のチャンスを道化は見逃さない。

実は、最近相次いでいるという『霧の灯台』の自殺を探ってまして


自身の目的を自然に切り出す。すると、店主の顔色が変わった。

……硝子屋の娘ですか?

ほう。何かご存知で?


道化がしらばっくれる。硝子屋の娘というのが、恐らくは依頼者の女なのだろう。どうやら、灯台傍に店を構える店主は、道化の予想通りに事情を知っているらしい。
道化は女の言葉を『半分』信じている。
誰にも気付かれず、証拠も残さずに人を四人殺す殺人鬼。
道化が女を信じる『半分』の根拠は、道化が『それを可能とする存在』を知っているからだ。一方で、道化が彼女を信じられない『半分』の理由は、彼女の言葉にあまりにも主観が混じりすぎているからだ。
他者の目を借りて、この事件の全容を見る必要がある。故に道化は事件に近い人物に接触する事にした。

あの娘の言うことを間に受けちゃいけない。殺人鬼なんていないよ。自分の知り合いが自ら命を絶った事を信じたくないだけだ

事件性がない……証拠がないんでしたっけ? ここは灯台の近くですが、何か聞いていたりしませんか?


店主は首を横に振る。

いや。何度か調べていたみたいだが、痕跡を探っても当日灯台に入ったのは一人だけだったって話だよ。二度目は『観測同盟』の学士さんを外から招いて調査して貰ったくらいだ

そりゃ痕跡を見落とす方が有り得ないですね


道化はふむと顎に手を添え、考える『素振り』を見せた。

ところで、今まで飛び降りた人に、『共通点』はありませんでしたか?


道化が問うと、今度は店主が考え出した。

何か思い当たる節があるようで


期待していた通りの反応。そして、その反応が引き出せたという事は、まず間違いない。道化は思いの外うまく事が運び、心中でガッツポーズを作った。

そう言えば……あの娘と接点がある奴が多い……じゃない。あの女と接点のある奴しかいないような

ほう


道化は店主から話を聞いた。
最初の被害者は、依頼者の女を虐げていた男らしい。彼女に何をしたかまでは、店主は語らなかったが(道化も他人の不幸話を聞く気もしなかったが)、確かに彼女と男はよく一緒に居たらしい。
次の被害者も女と接点のある男で、どうやら最初の被害者の死因に女が関わっていると疑い、探りを入れていたらしい。
そして次の被害者もまた、女と何らかの関係を持っていたらしいが、それ以上は店主も詳しい事は何も話さなかった。
最後の被害者は聞いていた通り、女と恋仲にあった男。

大変参考になりました。では、行きますよ


道化が氷の棚の中の魚と睨めっこしていた少女に声をかける。すると少女は名残惜しさの欠片も見せずに、すぐに道化の傍へと駆け寄った。
とっとと店を去ろうとする道化。考え込んでいた店主はハッとし、呼び止めた。

ちょ、ちょっと! 一体、あの硝子屋の娘は……

情報ありがとうございます店主さん。ご心配なく。直に不可解な自殺は無くなりますよ


店主はぽかんと立ち尽くす。
店から出てすぐに、道化は仮面の口元、三日月に手を滑らせた。

ここまで早く核心に至れるとは。幸先が良いですね

なにか、わかった?

ええ。はっきりと

あれだけで?

はい。何せ必要だった情報は、『不自然な死に共通点がある事』だけだったので


道化が後ろに手を差し出すと、少女はすぐに手を取った。
そして、少しだけ無表情で口をぎゅっと結び、しばらく歩いて、再び口を開いた。

きりのさつじんき、わたしたち、おんなじ?


おお、と道化は短く感嘆の声を漏らし、振り返る。
少女の零した不可思議な言葉の意味は、世界中を探しても、一握りの人間にしか理解できないであろう。しかし、確かに二人の間では通じる解答だった。

よくできました。正解です。先程聞いた話からしても、そうとしか考えられない


道化は確信している。しかし、少女は素直に疑問を口にした。

だけど、それなら、みつからない

ええ。そうであれば、まず彼、あるいは彼女を捉える事は不可能です


やはり言い切り、道化は顎に手を当てた。

ここはもう、賭けですね。一か八か……


言いかけて、道化は口を止めた。
霧に隠れる道の先、ぼんやりと浮かび上がるシルエット。
ゆらり、ゆらりと気怠げな千鳥足は、影だけであっても特徴的なものであった。

……いや、もうそちらの心配も無さそうですね


少女の手を少し強く引き、道化は自身の傍らに引き寄せる。
少女も目の前から歩いてきた影の正体に気付いたようで、あ、と短く声を漏らした。
影が眼前まで迫り、その全容が露わになる。
現れた女は、口元に小さな笑みを浮かべて、道化と少女の前で足を止めた。

やあ、道化。今日も元気そうだね。おチビさんは少し疲れてるのか。駄目だよ道化。ちゃんと適度にお休みさせてあげなきゃあ

それは失敬。ご指摘どうも、情報屋さん


情報屋と呼ばれた女は、気怠げに微笑み、首を傾ける。

つれないなぁ。前にも頼んだじゃあないか。私の事は親しみを込めて、『アリス』と呼んでくれ、と。君、もしかして私の事、嫌い?

失礼、アリス。最後の問いは、聞かなくても、貴女なら答えを知っているのでしょう? ねぇ、『何でも知っている情報屋さん』


にやりと笑って『何でも知っている情報屋さん』、アリスはああ、とそっぽを向いた。

何でも知ってる情報屋は、君のジョークのオチも知ってる。そりゃあ、端くれとは言えども喜劇屋にとっては嫌な客だね

貴女相手にはジョークも不要。さっさと本題に入りましょう


道化は彼女相手には、会話に遊びは仕込まない。既に大分慣れたやり取りも終えて、アリスはああ、と頷いた。
耳を傾け待つアリス。これもいつもの事。彼女はいつでも『問い』を待つ。この状態に入ったという事は、彼女は道化の質問に答えるつもりだという事だ。
道化はアリスに問い掛ける。

見られていましたか?

ああ。見られていたよ

……では、もう準備完了ですね

そうだね


短いやり取りを交わし、道化は仮面の口元に手を当てた。
そして再び、霧に浮かぶ太陽、霧の灯台の明かりを見上げる。
その道化の背中を見つめて、アリスはぽつりと呟いた。

『犯罪に対する最大の動機は、罰を回避せんとする希望なり』


背を向けたまま、道化が問う。

それはヒントですか?

いいや、ただの独り言さ


なら、いいです、と淡泊な返事を返して、道化は膝を曲げ、少女の位置まで視線を降ろす。

ひとつ、お願いしてもよろしいですか?


こくりと頷く少女の耳に、ひそひそと言葉を囁く道化。
しばらく言葉を囁いた後、道化が顔を話すと同時に、少女は小さく頷いた。

わかった


よし、と軽く少女の肩を叩くと、道化は立ち上がる。
そして、両腕を広げたオーバーアクション。
待ってました、とアリスが手を打ち、お待たせしました、と道化が回った。

それでは終わりを始めましょう! 霧の街で繰り広げられる凄惨な殺人事件に終焉を! 悲劇に幕を下ろす喜劇を!


道化は仮面の頬に指を当てる。
真似して少女とアリスも頬に指を当てた。

喜劇のお代は笑顔で!

えがおで

笑顔で!


薄明かり灯る霧の街にて、楽しい喜劇が幕を開ける。

1話 霧の街(前編)

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