第六話「密会」
第六話「密会」
祐介はアパートに帰ると、早速パソコンに向かった。キーボードを叩くと、ほどなくして澪と恭子の部屋が映る。ヘッドホンをつけると二人の会話が聞こえてきた。
「どうだった? 今日のデート。二人きりで楽しんだ?」
恭子がそう尋ねると、からかうように笑った。
「デート? 冗談じゃない! あんな気持ち悪い男」
澪は吐き捨てると、立ち上がってカーテンを閉めた。そして椅子に戻ると、頭を掻きむしる。
「どうしたらいいの? このままじゃ……。このままじゃ……」
澪は神経質に繰り返していたが、恭子はあくまで冷静だった。
「相手の要求は? いくら払えばドラッグに目をつむってくれるって?」
「それがお金じゃないの。公園で男に襲われたって言ったじゃない? あいつのことを知りたがってた」
「何でそんなことを?」
恭子の声に影が落ちる。低く口笛を吹こうとしたものの鳴らなかった。
澪はヒステリックに叫ぶ。
「知らないわよ! そんなこと! でも……友達だって……。それから探しものがあるって」
それを聞いて、恭子は鼻で笑う。そして吐き捨てるように言った。
「本当に安っぽい正義感ね。そういうヤツ大っ嫌い。聞いてるだけで虫酸が走るわ。探しものだってどうせ下らないものでしょ」
敵愾心と嫌悪感をあらわにして、恭子は吐き捨てる。澪は乾いた笑いを浮かべていたが、恭子は続けて尋ねた。
「で、澪は何て答えたわけ? あの男が襲ってきました。ズボンのチャックまで下ろしてきたから殺しましたって吐いちゃった?」
澪はしばらく黙っていた。彼女はボールペンをしばらくノックしている。忙しない手付きだった。
やがて自分に言い聞かせるような口振りで答える
「いや、私が見付けた時には死んでましたって答えたよ」
そう言った途端、澪はハッとした顔に変わった。彼女はポケットに手を突っ込むと、青褪めていく。別のポケットや、カバンの中を探っていたが、しまいにはカバンを逆さにした。ハンカチ、財布、スマホ、ポケットティッシュなどが床に散らばる。
「ない……」
澪は床に這いつくばった。その格好はヤモリにも似ている。
「どうしたの?」
恭子がその様子を見て尋ねると、澪はヒステリックな高笑いを浮かべた。
「落とした、かも……D-6」
澪は顔を曇らせてそう言う。恭子は紫煙を吐き出すと、気だるそうに尋ねた。
「いつのこと?」
「公園を出る時、女の子とぶつかりそうになって……その時落としたのかも……。3000円払うからもう一回取り寄せてよ」
しかし、にべもなく恭子は断った。
「何度も取り寄せるなんてできると思う? しかもこんな短期間で。税関に怪しまれるわ。そんなことより取り戻しましょ?
恭子は焦りを押し殺したような声で言う。
「どうやって? 相手の名前も住所も知らないのに?」
澪のセリフを聞いて、恭子は頭を抱えた。
「問題はそこなのよね」
恭子は平然と言ったが、澪は叫ぶ。
「名案があるんじゃないの!? どうしたらいい? ものは落とすし、こないだの会話も筒抜けだったし……」
「ふうん、筒抜けだったんだ」
恭子の口振りから動揺は感じられない。一方の澪は泣きそうな顔をしている。恭子はしばらく考えていたが、口を開いた。
「とりあえず私のアパートで」
穏やかだったが、有無を言わせぬ口調である。澪は戸惑いながらも答えた。
「う、うん……。じゃあ一回切るね」
澪はそう言うとアプリでの通話を切る。祐介は溜息をついてヘッドホンを外した。そして大きく伸びをすると、彼は順列組み合わせなどのプリントを作り始めたのだった。
教材がプリンタから吐き出されている。祐介はポケットに手を突っ込みながら、その様子を見つめていた。印刷が終わると、赤ペンを手に机に向かい、校正を行なう。
生徒がより解りやすくなるように文章を変えた後、自分のUSBメモリに保存した。
「後は学校でプリントすればいい、か」
彼はそう呟いて、USBメモリをカバンにしまうと、SNSにアクセスした。公園での目撃情報にはコメントが寄せられている。
しかしそのほとんどが賛辞など、雑多な内容だった。ウィンドウを閉じようとすると、最後のコメントが目に留まる。
それは〈優菜〉というハンドルネームからのものだった。あの公園の近くで落し物をした旨が書かれているが、何を落としたのかまでは書かれていない。
祐介は〈優菜〉のプロフィール画面を見た。在住地はベルリン。生年月日は1900年1月1日。日記にも当り障りのないことしか書かれていない。
目撃情報に画面を戻すと、茜がコメントしている。今日、公園に行ったらサイコロのようなものを拾ったと書かれていた。
祐介はキーを叩いてコメントを残そうとしたが、ハタと手を止める。そして不敵に笑ったのだった。
「あの……〈優菜〉さんですか?」
カフェのテラス席。茜は恭子に声を掛けた。ゆったりとしたBGMがかすかに聞こえてくる。恭子はコーヒーを飲む手を止め、目を上げた。薄い長袖シャツを羽織っている。
「初めまして。あなたが茜さん?」
「そうです」
強張った面持ちで、茜は恭子の向かいに座る。恭子は優しい笑みを浮かべると、茜の表情も和らいだ。彼女はメニューにしばらく目を這わせていたが、手を挙げる。
「カフェオレをアイスで」
店員が復唱すると、キッチンへと姿を消した。恭子はそれを見届けて、茜に頭を下げる。
「落し物を拾ってくれてありがとう」
「いえいえ。とんでもないです」
顔を赤くしながら茜は慌てて手を振った。
「こういうカフェは初めて?」
「ええ、いつもはマックですから」
茜はそう言うと恥ずかしそうに笑う。恭子は頷いて言った。
「マックなんかもいいわよね。安いし、早いし」
「ええ、まぁ……ところで暑くないんですか? その格好」
茜は興味本位で尋ねると、恭子は苦笑した。
「日焼け対策よ」
そして恭子はコーヒーを一口飲むと、切り出す。
「それで、どこにあるの? 私の落し物拾ってくれたんでしょ?」
彼女は優しい笑顔を見せたが、茜は俯いて何も言わない。膝の上で手をもじもじとただ動かしているだけだった。
やがて消え入りそうな声が聞こえてくる。
「それが……」
彼女が言い淀んでいると、恭子は心配そうに尋ねる。
「どうかしたの?」
茜は膝の上で拳を固めると、顔を挙げて言った。消え入りそうな声である。
「すみません……。今、持ってなくて……」
一瞬ではあるが、恭子の顔に影が差した。恭子はコーヒーを一口飲むと、聞き返す。
「持ってない? どういうこと?」
「たまたま一緒にいた先生に預けてしまって」
「先生?」
恭子に尋ねられ、茜は少しためらっていた。恭子が笑むと茜は頷いて答える。
「学校の先生です」
「ふうん、先生はどうするっておっしゃった?」
「交番に届けるって言ってました」
しどろもどろになりながら茜は答える。恭子は頷くと言った。
「ありがとう。交番に行ってみるわ」
恭子は立ち上がってレシートを掴んだ。レジへと向かう姿を見て、慌てて茜は財布を取り出そうとする。恭子は振り返って、手で押し留めた。
茜は戸惑ったように言う。
「で、でも……悪いです」
「いいのよ、別に。お礼だと思って」
恭子はそう言うと、笑みを見せた。茜はしばらく押し黙っていたが、やがて満面の笑みを浮かべたのだった。
「ありがとうございます!」