城までの道は遠くはないが、明かりの消えた夜道には人の声が無く、不気味だった。

よく勘違いされる事だが、人の住まう場所に人の姿が見えないからこそ、それに不気味さを感じるのだ。

これが森であれば、動物の姿に驚き恐怖する事はあっても、得体の知れない何かが自分に戒めを与える為に現れるのではないかと思う事はない。

危険が無いからこそ、得体の知れない危険に身を竦めている状態とも言えるだろうか。

私は単身、城へと向かっていた。どうしても、国王に話さなければいけない事がある。

先ず、今日の遅刻……欠席についての問題が一点。もう一点は彼女の事について、私は確認しておかなければならなかった。

すうと風が通り抜けるような、背の高い天井。薄暗い廊下には燭台が立っていて、まだ明かりは点いていた。ならば、まだ起きているだろうか。

日中の訓練に現れなかった事について、何か懲罰が待っているかもしれない。

本当に、どうして寝過ごすような真似をしたのだろう。騎士に有るまじき失態……降格されてもおかしくはない。幽霊と話していたら夜中になってしまったので遅れましたとは、口が裂けても言えない。

……しかし、私ほどでは無いにせよ、遅刻は日常的になってしまっている。夜警担当は体調を崩しやすいし、充分な休養も確保出来ない事が多い。

帝国の仕組みを見直す良い機会では……いや、そんな事は言わない方が良いだろう。

淀んだ感情が胸の奥で渦巻く中、私は王室の扉をノックした。

騎士

陛下! 私です。本日の件について、お話したいことが!


…………返事がない。どうしたのだろうか。

若しかして、居ないのだろうか。外に出ておられる……? 誰かに聞こうかと思ったが、いつも居るはずの王室の警備が、今日は居ない。

廊下は閑散としてほろ暗く、虫の声も聞こえては来なかった。

扉が揺れている……おや? どうやら、開いているようだ。

騎士

……失礼します


一応断りを入れて、私は王室の扉を開いた。

誰だ!!


入った瞬間に叫ばれてしまい、私は全身を硬直させて固まってしまった。……まずい。大変にお怒りだ。当たり前だ。私は騎士の秩序を乱すような真似をしてしまったのだから。

失態を犯した時こそ、堂々と振る舞うべきだ。私は歯を食い縛り、姿勢を正した。

騎士

本日の件について、謝罪をする為に伺いました


返事がない。……いや、言葉もない、といったところか。私だって、自分で自分が信じられないのだ。

王室には豪勢な装飾の施された、机と椅子。武器と鎧以外には、目立つものは見当たらない。国王は私の事を一瞥すると、再び机に視線を戻した。

閉めろ

騎士

はっ!


慌てて戻り、扉を閉める。……普段は扉番が居るので、開きっ放しにしてしまった。次の言葉など、分かり切っている。


「用件は何だ」だろう。国王は長々とした話を最も嫌う。

簡潔に、そして明瞭な説明をしなければ。扉から手を離し、私は直ぐに国王が向かっている机の対面に立った。

直立不動のまま、私は冷や汗を隠せずに立ち尽くした。

…………はあ…………


用件は何だ、とも聞かれなかった。まさか、溜め息が会話の冒頭とは……当たり前だ。私が国王でも、こればかりはそうするだろう。ともすれば、ここは全力で謝り通す以外にない。

騎士

本日は、本当に申し訳ありませんでした!! 何なりと、私めに罰をお与え下さい!! 私は、喜んでそれを受け入れます!!


腰から身体を折るように頭を下げ、謝罪の弁を口にする。

何が待っているだろう。武器と鎧だけは、奪われる事は無いと信じたい。その昔、訓練に遅れて登場した騎士が、総長から正式に決闘を申し込まれたという例もある。……これは、この帝国の話ではないが。

床を見詰めたままで渦巻く思考は、やがて沈黙に耐えられなくなり、私はその姿勢のままで、目線だけを国王に向けた。

気にするな。……仕方のないことだ


――――今、なんと。

我が耳を疑った。俯き加減の口からは、確かにそのように呟かれた。私は思わず目を瞬かせて、国王の表情を深く観察しようとした。

そうして、気付いた。……国王の目の下には、この距離で見ても分かる程にくっきりと、隈が出来ていたのだ。

主に誠実に、生きよ。それが主の願いだ


国王は、私の事になど構っている暇は無いのかもしれない。

何があったのだろうか。この間の奇襲に近い攻め込み以降、目立った事は無いように考えていたが……。いや、あの戦争では実に沢山の人間が死んでしまった。騎士だけに留まらず、女子供も巻き込まれた。

人を大切にする国王だ。……きっと、苦しんでいるに違いない。

それが証拠に、国王は机の上に名前を書き記していた。あれはおそらく、死者のリストではないだろうか。裕福な帝国であるが故に、騎士の体勢に隙があると知れれば、真っ先に狙われる危険性もある。

我々は、常に気軽には攻め込まれない勢力で居なければならないのだ。

騎士

申し訳ありません、陛下。寛大なお言葉、ありがとうございます。いち騎士として恥じぬため、今後も帝国を護る為に精進していく所存です


国王は、傷心しておられる。……何ということだろうか。私よりも遥かに真剣に、帝国について考えておられるのだ。

しかし、この憔悴した状態では。体勢に乱れが生じてしまうかもしれない。そうなった時に支える事が出来るのは、国王をよく知っている人間だけだろう。

私は、国王の事をよく知っている人間にならなければ。

……我々は、後ろを振り返ってはいけない。そこにどのような犠牲があろうとも、口を利かぬ者、動かぬ者にいつまでも悲しみを抱いている訳には行かないのだ

騎士

はっ!! ……先の戦争では、本当に多数の死者が出ました。我々の伺い知らぬ所で、また新たな死者を出さないようにする事こそが、我々の使命であります!!


国王は頭を抱えたまま、私の事など一瞥もくれずに、歯を食い縛っている。

そこには、確かな覚悟があった。如何なる不調・不運にも負けないのだと、強い意志で主張するかのような瞳は、ただ木製のテーブルだけを見詰め。

一際大きく目を見開いたかと思うと、国王は力強く、テーブルに右手を突いた。

今の自分に何が出来るのか、それだけを考えて生きろ!!

あまりに尋常ではない、緊迫した空気だった。



まさか。



……また、大掛かりな戦争が始まるのか。確かに、このままでは我々は攻め込まれる一方。先の奇襲で勢力が落ちた事など、間もなく周囲にも知れ渡るだろう。

そうなれば、次々に戦いを挑まれ、我が帝国は目も当てられぬ事態に陥るかもしれない。

ならば、我々も攻め、戦うしかない。周囲よりも強く、そして脅かす事は出来ない国なのだと主張を続けるしかないのだ。

例えそれが、どれだけ苦しい道であっても。

騎士

ありがとうございます!! ……国を護る騎士として、全力を尽くします!!


隣国からの客の話は……どうやら、出来そうにない。ここは一度、出直すべきだろう。

私は国王にそれだけを伝えて、部屋を後にした。

Ⅳ  人の上に立ち人を憶う

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