第5話






 ひとまずコーヒーでも淹れようか、とドクター・ヤブは言った。促されるまま、俺はヤブメンタルクリニックの診察室、その背もたれの無いキャスター付きスツールに座る。


 壁に貼られたカレンダー、少し古めのパソコンが置かれたデスク、傍に置かれた硬そうなベッド。今日は休診日らしく、クリニックには受け付けも看護師も居ない。部屋の奧に設えられた窓の外はもう暗く、静けさが陰鬱な空気を生み出している気がする。


 二日前、ここを訪れた時と大違いだ、とぼんやり思った。雰囲気も状況も気分も、何もかも。



今日のはインスタントじゃなくて粉から淹れたヤツだし、それなりに飲めるハズだと私は思うね





 やがて別室から現れたドクター・ヤブは、真っ黒な液体の詰まったコーヒーサーバーと、空のマグカップを持って、俺の前のオフィスチェアに腰を下ろした。



ま、客用のだから安物なんだけどね?

別に何でもいい。どうせコーヒーの味なんか分からねえし

おゥ、そりゃ失敬?





 アッハッハとドクター・ヤブは笑った。何が可笑しいんだと思った。だが、それを口にする気力は、もう湧き起こらなかった。



うーん、そうだねぇ。例えば、このサーバーに淹れられたコーヒーを、二人で分けあうとするじゃん?





 言いながら、ドクター・ヤブは片方のマグカップにコーヒーを注いだ。そしてそれを飲んだ。「安物の味だ」などと顔をしかめている。



当然、二人で均等に分けあえば、それぞれの腹には同じ量のコーヒーが入るワケだ。でも、均等に分けあわず、各個人の能力に応じて分けあうと?





 ドクター・ヤブはもう片方のマグカップに、小匙一杯程度のコーヒーを容れて俺に渡した。中を覗いてみると、茶色い液体が底に薄い膜を張っている。酷く不味そうだ。



では尋ねよう。どうだい、これを見た気分は?

殴りたい

オーケー、オーケー、理想的な返しだ! 友人としてなら最高だなぁキミ





 パンパンと自身の膝を叩くドクター・ヤブ。俺はただ、「で?」と言った。



ん? day? 何をいきなり

違う。だからどうした、っつってんだ

ありゃ冷たい反応。昼間はもっとグイグイ来てたっていうのに、どうも重症だねぇ





 ドクター・ヤブは、わざとらしく目をパチパチさせた。それでも冷たく見つめる俺に、彼は頬を膨らませて「だからぁ」と続けた。



つまり、これがキミ達からみて遥か未来、我々の生まれた時代の縮図ってこと。この時代にもあるじゃん? 『恵まれない子供たちに合いの手を!』

愛の手な

それよ。『恵まれない子供が居る』、それは即ち、『恵まれた大人が居る』という事実に他ならないね

 さて、そんな事実と共に時は巡り、資本主義社会が栄華を極めた結果、どうなったか? 経済的不平等? 貧富の差? 格差社会? いやいや、甘い甘い

やって来ました未来社会、待ち受けていたのは甘美で素敵な『富の一極集中』だったワケさ





 ドクター・ヤブはそう笑うと、俺に向けたマグカップに、湯気の立ち上るコーヒーを追加した。地獄のような暗黒がカップに広がり、香ばしい匂いが鼻をくすぐる。



そりゃ凄いものでね。一部の金持ちは天空に、それ以外の貧民は大地で暮らしているんだ

無数に点在する天空都市の各所は冷暖房完備、降り注ぐ紫外線の量まで制御されつくし、街に出ても皆の顔には穏やかな笑みと脂肪の塊がこびりついている

一方、大地じゃあ、ボロボロのビル街に、夏は熱風、冬は寒風が嵐のように吹き荒れ、布切れを着た下っ腹豊かな小汚ない人々が、一握りのパンの皮を取り合っている御有様。世紀末! って言葉がよく似合う、素晴らしいワンダーランド!

怖いもの見たさで地上になんて降りて御覧、数分もすれば骨も残らない修羅道だ

革命も日常茶飯事さ。地の民に天空へ続く道をこじ開けられれば一巻の終わり、天空の都市は中世に巻き戻って虐殺の嵐だ

キミがさっき抱いた感情と等しい、しかしより強烈なものを、貧しい人々は持っているから





 大きく両腕を広げ、ドクター・ヤブがまた笑う。俺は思い出していた。あのスーツ野郎が言っていた言葉。我々は――。



『私利私欲で動いているのでは無い』。彼はそう言っていたね?





 思考の先を読まれたらしい。相手を見ると、彼はまたマグカップに口をつけ、やはり眉をひそめた。うえっマズイ、などと言っている。そんなものを客に出すとは、一体どういう神経なのだろう。



あの言葉はある意味正しい。いつ我が身に起こるか分からない革命と虐殺の恐怖、いつの間にか消えた健全で有効的な競争、誘発される経済の鈍化、生産力の低下。おまけに――ま、これはまた別の問題なんだけど――各天空都市の出生率も下がり続ける一方だ

人々は考えたのさ。間近に見え始めた地味な、でも確実な滅びの切れ端。さぁそれをどう振り払おう? お金をばらまく? 食べ物をばらまく? 偏り過ぎた富で、もはや社会構造すら変化しているのに? それで果たして問題は解決するのかしら?

結論。人々は匙を投げた。『我々の時代ではもう手遅れだ』

だから

そう。『だから過去を変えてしまえ』。こうしてタイム・マシンが生まれた……っていうか作ったのは私なんだけどね?





 俺は怪訝な視線を向けた。ドクター・ヤブも何故か訝しげにこちらを見返した。静かな院内に、訝しむ男が二人。



そう言えばあんた、博士とか言われてたっけ

うん、そうだよ。えー、自己紹介したじゃーん、ドクターだって





 そういう問題ではない。



何でそんなもんをポンッと作れる人間が、この時代で精神科なんで営んでるんだ?

やり残したことがあるっていうのもあるし、趣味っていうのもあるねぇ。ま、依頼されたのがきっかけだけど、タイム・マシンを作ったのだって、ぶっちゃけ半分以上趣味だったからね?

いやぁ好きなものを好きなように作れば一杯お金貰えるんだから、いい世の中だよねぇ。あ、人は私を天才と呼ぶよ。もしくは変態





 それは分かる。だが頭が痛くなってきた。とにかく、彼は彼で俺に事態を説明しようとしてくれてはいるらしい。だが、どうにも端々が軽くて嫌になる。


 彼の言う通りだとすると、SFの世界でしか見たことのない夢のマシンが、日曜大工のような気軽さで作られたということになる。世のSFファンはそれで納得してくれるだろうか。してくれまい。



ちなみに、あのスーツの彼のように、私も自分用のタイム・マシンを持ってこの時代に来てるよ。何なら後で見るかい?

私のはイカスよ。かなりね。金メッキで全体をコーディネートしてる。まさに黄金時代! ヒュウッ!

あ、でも、下手に触らない方がいいかな。間違って時間移動なんかしちゃったら最後、キミも『破門者』の仲間入りだ

破門者?

そう。命名者はキミに薬を渡したあの女性さ。……ちょっと待ってこれホントに不味い。ミルク入れよう





 おもむろに立ち上がってまた隣の部屋に消えるドクター・ヤブの姿を目で追いながら、俺はマグカップに初めて口をつけた。……確かにマズい。泥水みたいだ。



キミ、聞いたことない? 『親殺しのパラドックス』って

さぁ

学が無いなぁ。あー、あのヤモリちゃんなら、もうちょっと話がうまく進んだだろうに





 残念そうな声が隣から聞こえてくる。腹が立つのと同時に、収まっていた陰鬱が、また胸の内から湧きあがってきた気がした。



つまりだね、タイム・マシンで過去に行ったキミが、自分の親を殺したとしようじゃないか。さてキミはどうなる?

そりゃ親が居なかったら俺が生まれないだろ

ってことはキミはこの世から消えるっていうことだ。さて、キミがこの世から消えるとしたら親はキミに殺されなくなるわけだね? ということは親は生き延びるわけだ。じゃあキミが生まれるじゃん? でもキミが生まれるってことはキミが親を殺すってことで――

ちょ、ちょっと待て。混乱してきた

うん、だからパラドックスっていうんだもの。要は『だからタイム・マシンなんて作れるわけない』っていう話だね

でも、実際のところ、タイム・マシンは世界史上でも超激レアな偉大なる大天才・私によって作れちゃった。じゃあまずパラドックスを実践してみよう。ということで、私は時間移動に成功したその直後、成功する直前の時間に跳んで自分を殺してみた





 隣の部屋からドクター・ヤブが姿を現した。片手には、スーパーでよく売っている安物の牛乳パックを持っている。が、突然の告白に、俺はただ目をぱちぱちすることしか出来なかった。



殺した?

うん

自分を?

うん

じゃあ俺の目の前にいる胡散臭いパンチパーマ野郎はいったいなんだよ

胡散臭いパンチパーマ? そんなヒトどこにいるの? 私には陽気でユーモアあふれる天才科学者の姿しか認識できないけどなぁ





 俺は舌打ちをした。よくもまぁいけしゃあしゃあとそんなことが言えるものだ。おこがましいにも程がある。



いやぁあの時はわくわくしたなぁ! 何せ、コンピューターで言うところの『重大なエラーが発生しました』状態になるわけだからねぇ。世界が滅ぶ可能性もあったわけだ!

ま、でも、結果はご覧のとおりさ。時間移動前の私を殺しても、時間移動後の私には一切の影響が無かったんだよねぇ。おまけに、今ここに居る私は、一切の物理的な影響を受けなくなっちゃってた。トラックに正面衝突されようとトレイで殴られようと蹴られようと、ね

ここから打ち立てられたのが、『世界からの破門者』仮説さ。時間移動を行ったモノは、この世界から異端者扱いされて、時の流れから干渉を受けなくなる……いや、影響を『受けられなくなる』んじゃないかっていう、実に横暴で乱暴で論理性の欠片もないハナシ





 喩えるなら、とドクター・ヤブは言った。それは丁度、映画の登場人物が、スクリーンの中から抜け出してしまったようなものさ、と。



スクリーンの中では映画が続いていて、でも抜け出した人物はもう、その映画の登場人物じゃあない。別人の俳優なんだ。だから、俳優が自分の演じていた登場人物を殺しても、俳優本人に影響は無い。映画のストーリー自体は変わっちゃうけどね

俳優に影響を与えられるとすれば、それは同じくスクリーンを抜け出して、映画館にやって来た存在だけ





 脳裏に、あのスーツ野郎が浮かんだ。野郎は言っていた。『自分に何か出来るとすれば、ドクター・ヤブだけ』だと。



さて、話がちょっとずれちゃったから修正しようか。先にも言った通り、キミから見ての未来人たちの目的は、人類全体の滅びを回避することだったワケだ。どうだい、壮大だろう?

そして、これを果たすため、彼らは歴史を挿げ替え、ヒト以外の知的生命体を創り出すことにした。世界が前進するタイミングっていうのは――それが戦争であれ交易であれ――異なる文化集団同士が交わる時だからね

存在自体が異なる文化集団を作り出せば、ホラこの通り





 ドクター・ヤブはそこでようやく、手にしていた牛乳を、自身と俺のマグカップに順次注いだ。


 暗黒の液体は白と交わり、カフェオレとなって、マグカップいっぱいに満ちる。



世界が生み出し、互いに分配しあえる資源の、その絶対量が増大する。文化の発展速度も高まる。貧富の差にも若干の緩和が見られるようになるだけじゃなく、行き渡る資源量が底上げされるんだから、貧民の生活度合だって多少はマシになる

ホラ、凄くない? まさに良いことづくめ! WinWinだね! ま、つまるところヤモリちゃんは、世界全体が豊かになるための、尊い犠牲ってワケだね





 俺はじっとマグカップの中を見つめていた。ぐるぐると混ざり合う黒と白。こうなることで、確かに腹は膨れるようになるかもしれない。マズイものも飲めるようになるかもしれない。みんな幸せ。成る程。



『アストライア』ってのは、何なんだ?





 おや、気になるかい、と相手は言った。俺は答えず、マグカップを見つめ続けた。


 ただ、じっと。



端的に言うと、歴史改変サポート用プログラムのことさ。歴史の改変っていうのはモノすごぉくリスクを伴うからねぇ

カオス理論でも言われることだけど、ただ道端の石ころを蹴っ飛ばしただけで、数百年後に文明が一つ滅んでた、なんてことはざらにある。『風が吹けばOK屋が儲かる』ってのと同じ原理だね

アストライアはそんな事態を避けるため、『異種族を創り出し、一方で元々の歴史と殆ど差異が出ないようにするにはどうすればいいか?』という命題に対し、最適解を提示してくれる。皆はその結果に従って、改変を行うワケだね。今日、ヤモリちゃんに薬を打ち込んだように





 成る程、と思う。種本に関して言えば、もし薬を打ち込まれなければ、あいつはきっと、次に俺たちと同じ境遇の人間を探したことだろう。行動力と決断力の凄い奴だったから。


 そんな活動が、未来にどんな影響を及ぼすか。大層なプログラムじゃなくても、結果は何となく分かる。


 そうか。



あいつをヤモリにしたのが、そのアストライアってわけだ

こりゃ人聞きの悪い。人類を救おうとしているのがキミから見た『未来人』であり、アストライアなワケでね?

あ、ちなみにこれも私が作ったよ。楽しかったなぁ





 勿論、とドクター・ヤブは続ける。タイム・マシンもアストライアも、全てを私一人で創ったわけではないよ、と。



基礎理論こそ私だけど、これは社会全体で取り組んだ公共事業みたいなものなのさ。すべては社会の総意! 如何に滅びを回避し、輝ける明日を創り出すか! 愛しき隣人、素晴らしき人類、その繁栄のため!





 俺は何も言わなかった。夜はひっそりと足元に忍び寄ってきていて、微かな寒気がズボンの外側から足を叩いている。


 マグカップの中から立ち上がっていた湯気は、いつの間にか消えていた。ミルクが入った時? 話を聞いている間? 記憶に残っていない。


 それが、何故かひどく不快だった。



敵意満面、って感じだね?





 俺は顔を上げた。ドクター・ヤブが得意の笑顔で白い歯を見せている。そして続けた。「でもそれは、ただのキミのエゴじゃないかな」と。



だって、少なくともヤモリちゃんはもう苦しくないワケだ。自分に疑問を抱く必要がなくなったんだからね

偉大なる世界が偶発的に産み落とす歴史改変検知の能力は、残念ながらその持ち主に苦痛を与えることはあっても、安らぎを与えることはない。それはキミ自身がよぉぉぉくご存じじゃん?

だから、キミがそうやってぶすぅっとしてると、皆きっとこう言うね。『世界が幸せになることがそんなに嫌か。恵まれない人々が救われることがそんなに不愉快なのか。キミは一体何様なんだ』って!

何様、ね

うん。っていうか





 ドクター・ヤブはそこで首を傾げ、俺の顔を覗き込んだ。そして、不思議そうに言った。



キミ、そんなにヤモリちゃんのこと好きだったの?





 ――その瞬間。放たれた言葉は、眼前で炸裂弾が爆発したかのような、強烈で暴力的な衝撃として俺に降り注いだ。


 それは劇場に響く交響曲のようであり、夜空に咲き誇った花火が遅れてあげる咆哮のようでもあった。または騎馬隊へ向けられた突撃ラッパのようでも、街を壊滅させるべく放たれた八十センチ列車砲の砲撃音のようでもあった。だから。


 俺は次に、ただひたすら、大声で笑った。



えっ、何? 私、何かおかしいこと言った?

何様、何様ってお前! アッハッハッハッハ!!





 思わずドクター・ヤブのような笑い方になっても、涙がうっすら滲んできても、腹が痛くなっても、俺はひたすら笑った。ぬるいマグカップを片手に、バンバンと腿を叩いた。そうして、ひとしきり馬鹿笑いしてから、マグカップの中を一息に飲み干した。


 成る程、確かにさっきよりは随分飲みやすい。ミルクのおかげで味が柔らかくなっている。


 だが。


 こんなぬるいものに比べたら、あのクソまずく、しかし血のように熱い、暗黒の液体の方が遥かにマシだ。



おうこらヤブ医者。何が『キミは何様だ』だよ! そりゃこっちのセリフだバーカ!





 マグカップをデスクの上に勢いよく置いて、俺は立ち上がった。



人類のためだぁ? 知るかそんなもん!





 そうだ。



好きな女をヤモリの別人に変えられて『はいそうですか』って納得できる奴が、この世のどこにいるってんだ!!





 俺は種本が好きだったんだ。


 ロマンスがどうとかそんなことはもう最初からズレていて、俺はきっと、ずっと、彼女が好きなままだった。



あーむしゃくしゃしてきたぁ! してきたぞヤブ医者! ふざけやがって! 何が公共事業だ! 何が未来人だくそったれ!





 俺はぐるぐると診察室の中を歩き回りながら、中学時代、フラれたあの日のことを思い出した。先日再会した時の気まずい空気を思い出した。ヤモリになって気絶した彼女を思い出した。それでも今日、彼女と共に図書館へ歩いたことを思い出した。立ち去った彼女の「またね」という言葉を思い出した。



滅びが迫ってるだぁ!? だからなんだ! シンプルに考えて、それで他人をヤモリにしていい理屈なんてあるかよ!

俺からすりゃあお前らは只の通り魔だ! 種本からすりゃあ悪の秘密組織だ! ジョイさんからすればネギやチョコレートを奪った悪代官だ! 悪意がなけりゃ許されるとでも思ったら大間違いだぞこん畜生!!

悪意がなけりゃ、ね





 少し声を落として呟いたドクター・ヤブは、しかしすぐに俺に向き直り、ニカッと笑った。



しかし、また急に怒り出したねぇキミ。面白いけど

面白がってんじゃねぇよ! こっちは真剣だクソ野郎!

ホントに~? 勢いで思い込んでるだけじゃないの? 『ヤモリが好きだった』とかさ





 ドクター・ヤブはにやにやしながら俺を見つめている。なめやがって。ふざけるな。頭の中が真っ白になって、俺は怒鳴った。「見てろ!」と。そして、懐の携帯電話を取り出し、種本への電話番号を、全力でダイアルした。


 しばしの呼び出し音の後、「はい、種本ですが」と、あのヤモリの声が響いた。



もしもし種本ん家のヤモリさんですか! 井出です! ミスター・イデと呼んでくれて構わんぞ!

えっ、ちょっと何、井出君、声が大き――

いいか! 俺は種本さんが大好きです! 以上ッ!





 怒鳴るように言い放つだけ言い放って、俺は電話を切った。それから余りあるパトスを残らず解放しきらんが如く、背後の診察室のドアを蹴破らんが如き勢いで開き、叫んだ。「好きだぞ種本、愛してる!」と。



見たか! 俺はこんなに本気ですぅ! バーカ!





 振り返って叫ぶと、ドクター・ヤブは腹を抱えて床で笑い転げていた。「馬鹿だ馬鹿だ」などとほざいている。俺はつかつかとドクター・ヤブに歩み寄ると、野郎の胸元を思い切り掴んだ。



教えろ、ヤブ医者! どうやったら種本を元に戻せる!?

えー?

えー、じゃねぇ! で、いま分かったぞヤブ医者! お前も、その公共事業を潰したいんだろ!? だから俺たちを助けた!





 先日からのすべてが目まぐるしく頭を巡った。「何も賛同していない」とスーツ野郎に告げたドクター・ヤブ。種本は言っていた。彼は『俺たちに何かをさせるために助けた』のだと。その理由が、今になって手に取る様に理解できた。


 そもそも、何故彼は精神科を営んでいたのか? 待っていたからではないだろうか? 自らの持つ、何らかの計画に協力できる人物が現れることを。予期していたからではないだろうか? その人物が最初に駆け込むとすれば、メンタルクリニックになるだろうことを。


 すべては計算づくだったのではないだろうか? この男は、時を操る術も、未来を予知する術も、何もかもを創り出したらしいから。



ほぉら、良かったじゃねぇか! いまあんたの目の前には、一緒に公共事業をぶっ壊したい男がいるぞ! おあつらえ向きにな! 畜生め!

そうだねぇ。ぶっちゃけて言うとあのヤモリちゃんの方が良かったなぁとか思ってたりはするけど、まぁキミでいいや

てめぇ

いや、私もね? ホント困ってるんだよ皆のノリにさ。ほら見てコレ





 そう言って、彼は二枚の写真を俺に示した。見ると、幾つもの尖塔を持つサクラダ・ファミリアのような建築物が、ド派手な門の向こうに佇んでいる。



何だコレ

私のお家。左が歴史改変開始前、右が最近撮影したもの。ちなみに撮影したカメラも私と一緒に時を移動しているから、こうして改変前後の様子を記録できるワケだね

見ておくれよもう、ホント信じられなくない?

何が

尖塔の先だよぉ!





 両腕を広げてみせるドクター・ヤブ。注視すると、成る程、何やら各尖塔の頂点に黄金色に輝くものが見える。形状から見るに……シャチホコっぽかった。



うーん……悪趣味だな

芸術の分からないヒトだなぁ。我々の時代じゃあ、金鯱が家にどれだけくっついてるかがステータスなんだよ?





 相手は非難するような目でこちらを見てくるが、俺も逆に同じ目で相手を見返した。もし彼の言葉が本当なら、歴史改変云々の前に、まず富豪たちが己の業の深さと悪趣味さを省みるべきである。



ホラ、左じゃ全部の尖塔の先に金鯱がついてるのに、最近じゃ三つくらい欠けちゃってるんだ。歴史改変で富裕層の富が貧民たちに流れちゃった結果だよ

ホントにありえない! 何で私のシャチホコが勝手に減らされなきゃいけないのさ!?

マジで言ってる?

大マジだよ! だから歴史改変なんて止めてやるんだ

いいじゃないか、キミはキミ自身の、私は私自身のために。どっちもどっち、同次元! 欲望に忠実な我々に幸あれ!





 ヒュウッ、っと一つ口笛を吹いて、ドクター・ヤブは俺の手を強引に握った。成る程、そう言われれば確かに、俺たちは似たもの同士なのかもしれない。……筆舌に尽くし難い抵抗感があるが。



キミの言う通り、私はずっと、この歴史改変を一網打尽にする計画を練ってた。今こそ実行に移す時だ。そんな気がする

でも、一つだけ。この計画、失敗するとキミ、えらいことになるけど?

知らん! その時はその時だ!





 売り言葉に買い言葉というべきか、何も考えてなかったというべきか。脊髄反射的に述べた言葉は、診察室にしっかりと響き渡った。


 本来なら、俺はここでしっかり考えるべきだったのだろう。彼の言葉を、その示す意味を。しかし、進むべくは前だ。そう頭から決め込んでいた俺に、そんな選択肢は浮かびすらしなかった。



で、どうすればいい! 全部のタイム・マシンをぶっ壊すか!?

ノーノーノーノー、そんなことしても意味なーい。すべきことは唯一、狙い目はたった一つ!





 言いながら、彼は傍らのデスクの引き出しを順次開け、何やらガサガサと探し始めた。やがて「さぁ計画の始まりだ!」と言ってドクター・ヤブが掲げた、ホチキス留めされた分厚い書類の束の表紙には、こう書かれていた。


 【銀の弾丸】計画、と。

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