第四話「手紙」
第四話「手紙」
夕方の駅前では、女性がティッシュを配っていた。祐介は黙って受け取ると、一瞥してポケットに突っ込む。「ワタナベ・カードローン」と書かれていた。彼の顔に皮肉っぽい笑みが浮かぶ。
角を曲がると、すぐにビルが見えてきた。消費者金融だけが入っている。
祐介がそのビルに入ると、カウンターの向こうに若い女性が座っていた。
「いらっしゃいませ。ご融資の相談でしょうか?」
受付の女性が笑顔を貼り付けて尋ねると、祐介は運転免許証をカウンターに放った。
隣では若い女性が一人、「ご融資」の書類にボールペンを走らせている。彼女の香水はきつく、祐介は思わず咳き込んだ。
「室生澪様。ご確認をお願い致します」
そう言われ、澪は書類に目を通していたが、手が震えている。祐介は彼女を横目で見ながら、受付の女性に告げた。
「渡辺の息子です。父に話が」
「少々お待ちください」
受付の女性は運転免許証に目を向ける。そして受話器を取り上げると、内線番号を押した。一言二言だけ話して、すぐに電話を切ると、祐介の顔を見る。
「お会いになるそうです
それを聞いて、祐介は愛想笑いを浮かべた。
「どうも」
女性とともに階段を登ると受付の女性が社長室をゆっくりと、二回ノックする。すぐに逞しい声が聞こえてきた。
「入っていいぞ」
「失礼します」
「息子さんをご案内しました。それでは失礼します」
その様子を見て、受付の女性は気まずそうな声で言う。そしてそそくさと立ち去ったのだった。
「何の用だ?」
渡辺は立ち上がると窓辺に立った。逆光で表情はよく見えない。祐介は慇懃だったが、口許は皮肉っぽく吊り上がっている。
「ご融資とやらは受けられるでしょうか? 一億ほどお借りしたいのですが」
「冗談は顔だけにしろ。お前の戯言に付き合ってる暇はない」
渡辺は即答するとさらに続けた。
「息子との感動的な再開に浸るような性格じゃないんでね」
「そうでしょうね。あなたなら」
「言いにくい話題はそういう顔をする。昔とちっとも変わらない。で、用件は何だ。融資なら下の窓口に行け」
祐介は告発状をポケットから取り出して掲げる。そして冷たく言った。
「こちらをお書きになったのは、お父様でありませんかね?」
それを聞いて、渡辺の目にかすかな光が宿った。ポケットに手を突っ込むと、祐介を顎でしゃくった。梨絵は祐介へ歩み寄ると、彼女が渡辺に紙を手渡した。
「ほう、犯罪者か。お前にぴったりじゃないか」
彼は目を落としたまま、そう言うと低く笑う。それを聞いて祐介は呟いた。
「気付いてたのか」
「薄々な」
渡辺は煙草に火を点ける。そしてのんびりと言った。
「五十万とは考えたもんだな。十万以下だとガキの駄賃にもならない。でも百万を超えれば他の役員が黙っちゃいない。そんなところか」
「で、あんたは堪りかねて僕を告発したんでしょ?」
「おいおい、誤解してるんじゃないのか? 俺はムダなことが嫌いなんだ。校長先生にこんな手紙を送るくらいなら……」
渡辺は眉をひそめていたが、祐介は首を振ると遮った。
「いや、学校じゃない。警察にこのメールが届いたんだ。だからこそ、あんたなんかに会ってるんじゃないか」
それを聞いて、渡辺は肩を竦める。そして憐れむような微笑を浮かべて言った。
「だったら余計に、だ。俺たちが警察へこんなメールを出したら自分の首を締めちまう。特に今は」
「ロープで債務者たちの首を締めてるくせによく言うよ」
「ともかく俺じゃない。他を当たれ。お互い時間のムダだ」
渡辺は梨絵に目を向けたが、彼女も首を振る。
「私も違います」
「そうですか。ありがとうございます」
渡辺はうんざりしたような様子で祐介に言った。
「もういいだろ。さっさと帰れ」
「せっかく愛する息子が職場へ遊びに来たのに追い返すんですか?」
「俺が愛してるのは金だけだ」
渡辺はそう言うと紫煙を吐き出す。それを見て祐介は言った。
「そしてその金蔓が死んだ、と」
「何の話だ」
渡辺は眉一つ動かさない。
「金蔓ってのは谷口ですよ。谷口弘」
「あぁ、彼か。小学校の時に会って以来だな。……なんだ、死んだのか。知らなかった」
渡辺は呟くと、コーヒーテーブルの上の新聞紙を一瞥する。経済紙だった。
「経済紙しか見ないんでね。で、お前は安っぽい義憤に駆られて、俺の事務所へ押しかけてきた、と」
渡辺の口許には嘲るような微笑が浮かんでいる。
「別に。ただ火の粉がかからないようにしたいだけです」
「ほう。でも残念ながら俺も会社も関係ない」
祐介は疑り深そうに渡辺を見ていたが、やがて首を振った。
「USBメモリもですか」
「USBメモリ?」
それを聞いて渡辺の眉がかすかに上がる。彼はしばらく黙っていたが、やがて首を振った。
「いや、知らんな」
「そうですか」
祐介が言うと、渡辺は腕時計に目を向ける。そして焦れて言う。
「もういいだろ? 次の打ち合わせがあるんだ。確か製薬会社だったはずだね? あの融資の交渉に一任してあるはずだが」
渡辺に目を向けられ、梨絵は事務的に返した。
「ダイス製薬です。一度くらいはお目にかかりたい、と先方がおっしゃっていまして」
「おお、そうだった。収支状況には目を通しているが、当たり外れの大きい業界にしてはなかなか好調じゃないか。どうだね。祐介、この製薬会社の株でも買わんか。カネなら貸すぞ」
上機嫌に渡辺は言ったが、祐介は肩を竦めた。
「ご安心下さい。株を買うとしても、あなたからは借りません」
「そうか。残念だ」
渡辺はさらに続けた。
「ともかくカネを借りるつもりはないんだな。これ以上居座るんなら部下が出口まで送り届けるが」
渡辺はそう言うと、デスクの受話器を持ち上げた。祐介は弱々しく笑うと首を振る。そして硬い表情で社長室の扉を閉めたのだった。
祐介の足音が聞こえなくなると、梨絵はソファに腰を下ろす。そして渡辺に尋ねた。
「気にしてるんですか? あの子のこと」
「いや。今、警察と関わったら面倒になるだろ。それこそ五十万以上の損失を与えかねない」
「そうですけど」
梨絵は口を尖らせて言う。
「ともかく今はまずい。藪をつついて蛇を出すよりは、しばらく様子見だな。だからあいつの質問にも丁寧に答えてやったんだ」
「USBメモリのことが不安だったんじゃなかったんですか?」
それには答えず渡辺は外のビルを見下ろした。バベルの塔さながらにそびえている。梨絵は何か言いたそうな目で見ているだけだった。
家へ戻ると、祐介はブラウザを立ち上げた。「公園」「谷口弘」「殺人」と打ち込んでキーを叩く。目撃情報はすぐに見つかった。
女が公園から血相を変えて飛び出したらしいが、詳しくは書かれていない。祐介はコーヒーを一口飲んで、画面を睨んだ。コメント欄ではしきりに茜が絶賛している。
祐介はおもむろにストリートビューにアクセスした。パソコンの画面には、通り沿いの家々が映し出されている。
「昨日はこの辺の電波を拾ったから……」
祐介は呟くと、半径ニキロメートル圏内を指でなぞった。そしてマウスをクリックして標札を一軒一軒見て回る。「室生」という文字を見つけると、祐介は笑った。自転車は見当たらないが、投函するときに確かめてこよう、と思った。
祐介はコーヒーを一口飲むと、ワープロソフトを立ち上げる。「室生様」という書き出しで、「D-6の一件で話があります。じかにお会い頂けないでしょうか。土曜日の正午、谷口弘の殺された公園でお待ちしております」と打ち込んだ。そして文面を読み返すと、プリントアウトする。深夜の部屋に静かな音が響き渡っていた。